マドンナはマイケル・ジャクソンとプリンスの宿命を引き継いでポップシーンで闘っている!
現在もポップミュージックの最前線で活躍するマドンナ
マドンナ、マイケル・ジャクソン、プリンス―― 1980年代のポップアイコン3人は奇しくも1958年生れの同い歳である。
“キング・オブ・ポップ” という称号を与えられ、常にメガヒットを宿命づけられたマイケル・ジャクソン。ポップミュージックのイノベーターとして、常にラディカルであり、聴いたことのない新しい音楽スタイルの発明を宿命づけられたプリンス。この2人はすでに歴史上の人物となってしまった。
そして、現在でもポップミュージックの最前線で活躍を続けているマドンナ。マドンナが1980年代というマテリアルな世界を生き抜き、使い捨てのポップアイドルとして消費されずに今日まで生き抜いてこれたのかを考えてみると、ラディカルな視点をポップミュージックに取り入れ続けることで常に新鮮さを失わず、大衆に飽きられなかったことが最大の要因だと言えるだろう。
そして、ラディカルとポップの両立は音楽性だけでなく、ポップスターとしての立ち位置やイメージ戦略、ビデオクリップ、歌詞を含めた言動など、全てにおいてマドンナという存在そのものに反映されており、“過激なポップスター” というイメージを作り上げることに成功しているのだ。
マドンナ初のメッセージソング「パパ・ドント・プリーチ」
では、マドンナはデビュー当初からラディカルとポップの融合に成功していたのかというと、そんなことはない。筆者が、彼女の表現にそうした芽生えを感じたのは1986年にリリースされたサードアルバム『トゥルー・ブルー』からのシングル「パパ・ドント・プリーチ」だった。
この曲は、“未婚のティーンエイジャーの妊娠” をテーマにしており、妊娠した10代の女の子がそのことを父親に告白するという内容。サビの部分で “お父さん、お説教はしないでね” と歌われる。当時、社会問題になっていた10代の妊娠をテーマに、人工中絶に対する問題提起にもなっており、マドンナのレパートリーとしては初めてのメッセージソングと言えるだろう。
さて、ここで「パパ・ドント・プリーチ」のミュージックビデオを観てみよう。ショートカットになったマドンナが妊娠してしまうティーンエイジャーを好演する印象的な作品となっている。
胸元も露わなセクシーな衣裳のマドンナ
内容は、小さい女の子が父親に育てられ、10代の少女に育っていく。年頃になった少女はイケメンのボーイフレンドができ、妊娠してしまう。そのことを父親に告げるシーンへとテンポよく映像は展開されていく。そして、サビの「♪パパ・ドント・プリーチ」と歌われる部分になると、胸元も露わなセクシーな衣裳のマドンナが踊りながら歌う映像に切り替わるという唐突な展開を見せる。
そんなビデオクリップなのだが、本稿の冒頭で述べたマドンナのラディカルとポップの両立というスタンスに照らし合わせて考えてみると、サビの部分はセクシーに踊り、歌うポップスターとしてのマドンナのショットを入れる必然があることに気付かされる。
ただただ、シリアスに社会問題を提起するだけではマドンナという表現にはなりえないのだ。10代の妊娠という重いテーマと、セクシーに歌い踊るポップなマドンナの両極端な要素の同居がどうしても必要だったのだ。大衆はポップアイコンとして魅力的であり刺激的なマドンナが提起する社会問題だからこそ注目し、目と耳を傾けるのだ。マドンナはこうした自分の置かれた立ち位置には自覚的であったはずだ。それは、これ以降のマドンナの作品や活動を参照すれば明らかと言えるだろう。
エポックメイキングなヒット曲「パパ・ドント・プリーチ」
今日のマドンナは圧倒的なスーパースターとしてショウビズ界のトップに君臨している。しかし、その表現はスターになればなるほどラディカルなほうへとシフトしている。そして、ラディカルなだけでなく、同時にポップであることへの担保も決して怠らない。そう考えると、マドンナの勝利の方程式を確立したエポックメイキングなヒット曲が「パパ・ドント・プリーチ」だったと言えるのだ。
1980年代を共に生き抜いた戦友であるマイケル・ジャクソンとプリンス。マイケルのポップであることの宿命とプリンスのラディカルであることの宿命を引き継いでマドンナはタフに刺激的にポップシーンで闘っている。その戦いの始まりを告げるポックメイキングなヒット曲が「パパ・ドント・プリーチ」だ。マドンナの果敢な闘いはまだまだ終わることはなさそうだ。
Updated article:2025/08/16
Previous article:2021/06/11