『土を育てる』という良書もありますが⋯⋯「何かを育てている」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」
動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第28回は篠原さんの植物に対する思いです。果たして育てている「何か」とは⋯⋯
※NHK出版公式note「本がひらく」の連載「卒業式、走って帰った」より
何かを育てている
植物を育て始めた。
筋金入りの動物派なので動物に比べると植物を育てた経験は、乏しい。
学校のカリキュラムでミニトマトを育てたことと、実家の裏庭でひと夏、家族とキュウリを育てたことはあるが、一人では、地元のバザーで購入したサボテンを何年か育てていたくらいだ。
母は割と植物好きだったので、家のベランダにはポーチュラカやアメリカンブルーが咲いていたし、祖父も植物が好きだったようで、多種多様な植物が息づく庭はいつもきれいに手入れされていた。子どもの頃は、ドウダンツツジの花を妖精のカップに見立てておままごとをしたり、ゼラニウムの葉っぱでサラダを作り、アリに提供したりしていた (後で知ったことだが、ゼラニウムは虫除けの効果があると言われる植物だった) 。
私と同じ動物派だとおぼしき父までも気まぐれに庭にマーガレットやバラを植えていた。もっとも、マメなタイプでないので、植えただけで満足し、後は自然に任せていたため、最初は可憐だった花々は、ゴツゴツとした節くれ立った枝を野放図に伸ばしながら、己の力のみでたくましく成長し、最終的にはアーノルド・シュワルツェネッガーのような花になっていた。木質化という現象らしい。
Googleで「マーガレット ムキムキ」「マーガレット マッチョ」で検索しても一向にそれらしいものが出てこず、では、うちの庭の土に一体何が……?と思っていたのだが、ChatGPTに聞いたら意図を汲んで教えてくれた。
植物にまつわる思い出はそれなりにあるし、嫌いなわけではないが、動物に比べると興味が薄い。子どもの頃は、植物園を「ハズレの動物園」だと思っていたほどである。動物は植物なしには生きられず、生物という同じ地球の仲間であることは承知しているのだが、歩いたり飛んだり食べたりする動物にばかり目を奪われ、植物をどこか背景のように感じてしまっていたのだ。
また、父の「マメじゃなさ」を引き継いでいるので、分かりやすい自己主張をしない植物を毎日忘れずに世話できるのだろうかという懸念もあり、今まであまり手を出してこなかった。
しかし、精神的に落ち着いてきたせいか、体力が衰えてきたせいか、視野が広くなってきたせいか、激しく動いたり、鳴き声を上げたりせず、匂いや色という柔らかい自己表現を行う植物にも心引かれるようになってきた。
何より、ホニャホニャの新生児からスクワットをたしなむパワー赤ちゃんに育て上げた経験が私に自信を与えてくれる。
そんなわけで、うちには今、八重咲きの桜の盆栽と「何かの薬味」がある。
桜は3月の終わり頃に、繊細なポップコーンのような花をポンポンと咲かせ、今は、窓際で濃い緑色の葉っぱを伸ばしている。来年の春、また家で花見ができたらいいなと思っているが、最近、インスタで一年早く桜の盆栽を育て始めた友人の、「枯らした」というストーリーを見たので、ドキドキしている。桜の木を枯らしていた友人は、私より遥かに適切な世話ができそうなタイプに見えていたからだ。草より丈夫そうだと思って木を育て始めたけれど、意外と難しいのだろうか。
「何かの薬味」とは、一体どういうことなのだと疑問に思う方が多いかもしれないので、説明したいと思う。
もともとは、バジルの育成キットを購入した。どうも種が入っているとされる袋に何も入っていないような気がしたけれど、私が見逃してしまった可能性もあるので、しばらく水をやって育てていたのだが、やはり芽吹く気配はない。何も変化がないので、植木鉢の前を通るたびに夫が赤ちゃんに「ママの育てている土」と紹介していて、ムカつくのだが、事実、土を育てているのだと思う。
しかし、せっかく、植木鉢と土があるので、どこかで新しく種を買ってきて植えようと思っていたところで、薬味の種のカプセルトイと巡り合った。
カプセルに入っている薬味は、青じそ、三つ葉、鷹の爪、わさび菜、ネギのどれからしい。どれが出てもうれしいラインナップである。
この原稿を書いている今はまだ植え付けたばかりで、自分が何を育てているのか分からない。自分が何を育てていたのか分かる日が楽しみである。
食べられるものを育てるという行為には、独特のロマンがあると思う。私が育てているのは、薬味という料理の引き立て役なので、自給自足にはほど遠いのだが、自給自足への憧れが少し満たされるのを感じる。
子どもの頃、植物そのものには興味が薄かったけれど、自給自足というフレーズには強い憧れがあった。自給自足のシーンが登場する物語に心引かれ何度も読み返した。
授業中、じっと椅子に座っていることが苦手だったので、「頑張って椅子に座っていることの報酬として植物が育つ」という脳内設定で、少しずつノートの上で農場の絵を描き広げるという超アナログな『牧場物語』のような遊びをして過ごしていた。授業時間に連動して育った植物を出荷(という設定で消しゴムで消していた)することによって、他の植物を買う資金に充てたり、動物を購入したりとかなり長い時間慈しみ、私の空想の農場は、曼荼羅まんだらのようにノートを埋め尽くすほどに拡大していたのだが、あるとき、先生にノートごと没収されて消えた。
以後、歴史の出来事として、農地を没収された民の事例を聞く度に深く胸を痛めている。
これから私が育てる「何かの薬味」は没収されることがないうえに、本当に食べられる。自分で育てたものというのはやたらおいしく感じるものだ。
大昔に育てたキュウリは、マメじゃない父と私が育てていたものなので、これまたかなり巨大化して、もし、白亜紀にもキュウリがあったら、こんな見た目だったのかなと思わせるような、迫力のある野菜に育ったが、味はとても美味しかったことを覚えている。一般的には、スーパーに並んでいる、プロが育てたキュウリの方がおいしいと思う。しかし、その味を一つ一つ思い出すことは不可能だ。自分たちで育てたキュウリの味は、おそらく、だいぶ脚色されながら、心の中に残り続けている。
今育てている何かも、食卓に上がるときには、薬味という枠を超えて、料理の主役に躍り出るに違いない。
ここまで期待が大きく膨らんでいるが、薬味ということだけが分かっている植物はまだ芽すら出していない。
また、「ママの育てている土」になってしまったら、自分の植物を育てる才能に見切りをつけて、得意分野であるカブトムシの幼虫でも育てようかと思っている。
プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)
1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)、『歩くサナギ、うんちの繭』 (大和書房) などを出版。
バナーイラスト 平泉春奈