昔ながらのつなぎを使った手打ち蕎麦の店。南魚沼市「八海山 宮野屋」。
南魚沼市大崎地区、八海山尊神社のすぐ隣に店を構える「八海山 宮野屋」。4代目の米山さんは、大学を卒業してすぐに家業に入り、それ以来、蕎麦打ち一筋。「宮野屋」の未来だけじゃなく、地元の蕎麦農家の未来も見据えて、今できることに取り組んでいます。その取り組みのひとつが、乾麺の製造。手打ち蕎麦屋が乾麺を販売することはとても珍しいそうです。今回は米山さんに、蕎麦打ちをはじめた日のことから今後の目標まで、いろいろとお話を聞いてきました。
宮野屋
米山 俊介 Shunsuke Yoneyama
1988年南魚沼市生まれ。「宮野屋」4代目。埼玉県の大学を卒業後、家業に入る。在学中はカナダに10ヶ月留学。活字好きで、ジャンルを問わず常に本を近くに置いている。
八海山のふもとに、蕎麦屋あり。
――米山さんは、大学を卒業してすぐに「宮野屋」に入られたんですね。
米山さん:亡くなったじいちゃんはよく、常連さんたちに「こいつが4代目だから」と言っていました。子どもの頃からそう言って育てられ、お客さんからはお小遣いをもらって。悪い気はしなかったです(笑)。でもきっと当たり前に「家業は継ぐもんだ」と思っていたのは、僕らの世代が最後なんじゃないですか。
――確かにそうかも。
米山さん:はじめて「これでいいのかな」と思ったのは、大学生のときでした。就職活動をしていないから、大学の就職課から連絡が来たんです。働く先はもう決めていると伝えたら、「それでいいのか」と言われて。そのとき、一瞬「ほんとうにいいのか」とは考えました。でも結局、留学する間際だったし、担当の人には「嫌なら出ますんで」と伝えた気がします。
――お店は八海山尊神社のすぐ隣にあるんですね。しかも、八海山の登山口でもあるそうで。
米山さん:以前は、八海山の登り口ごとに蕎麦屋があって、それぞれに役割があったみたいですね。
――そうなんですか。「宮野屋」さんにはどんなお役目が?
米山さん:登山客や行者の方が利用する民宿のような場所でもあったんです。私が小学生の頃は、毎週末宿泊客さんがいました。でも、行者の高齢化や登山にロープウェーを利用する人が増えて、いつの頃からか宿泊業はやめました。
「自分のことだけじゃダメ」。4代目が考える、蕎麦産業のこの先。
――米山さんが「宮野屋」さんで働きはじめた頃のことを教えてください。蕎麦打ちは、お父さんが教えてくれたんですか?
米山さん:「教わった」って感じでもなかったんですよね。子どもの頃から、ずっと蕎麦打ちの様子を見ていましたし。こっちに戻ってきて2年目の夏だったと思うんですけど、親父が体調を崩したんです。お盆の繁忙期過ぎで、お客さんは多くないだろうから「俺が蕎麦を打つわ」ってなって。それから、ずっと俺です(笑)
――えぇ~。けっこう早くに任されたんですね。
米山さん:それまでも親父と分業で蕎麦を打っていましたから、それなりの経験はありました。でも今思うと、ひどい出来だったかもしれない(笑)
――気負いはありませんでした?
米山さん:それはないっすね。いつか来るものだと思っていましたし、それが「今日だったのね」っていう感じで。
――お蕎麦とおつゆのことも聞きたいです。
米山さん:代替わりした当初は、親父と同じような作り方をしていました。材料も道具も同じ。でも2年くらい経つと、ちょっと色気が出てくるんです。休みのたびに他の蕎麦屋に食べに行ったし、YouTubeを見て勉強もして、「こうしたらどうなるんだろう」って、ちょっとずつ試すうちに材料も道具も変わっていきました。そのうち蕎麦は地元のものを使うようになって、粉も自分で挽くようになりました。ガラリと一新させるのは金銭的に無理だったので、10年くらいかけて少しずつ変えていったんです。
――常に研究しているんですね。
米山さん:つゆに関しても、そうですね。使っているものはほぼ同じだけど、温度や出汁の取り方は今でも変えています。
――米山さんが納得できる味に仕上げているんだなって、思いました。
米山さん:美味しくないものを作るのは、気持ちよくないですからね。まだまだやりたいことはあるけど設備的に厳しいところもあります。設備、道具、調理法を常に変えているんだけど、「昔のもの」も使っています。
――「昔のもの」というと?
米山さん:ふのりとオヤマボクチを蕎麦に入れているんです。じいちゃんの代も、親父の代も、そうしていました。オヤマボクチは、山ごぼうのこと。その葉脈を使います。昔は保存環境が良くないから、蕎麦にはつなぎが必要だったので、ふのりやオヤマボクチが使われていました。今でもつなぎにオヤマボクチを使っているお店は、ほとんどないと思います。
――代々引き継がれている製法というわけですね。
米山さん:食材を長く保存できるようになったから、蕎麦のつなぎはもういらないといえば、いらないんですよ。水でも蕎麦はできますし。
――でも昔ながらのやり方をしているのはどうしてですか?
米山さん:ふのりは値段が高くて煮る手間がものすごくかかる上に、携わっている農家さんが高齢化しています。だから、いずれなくなるものかもしれません。面倒でお金がかかるのなら、「水でいいじゃない」ってなっちゃいますよね。でも今、この作り方をやめてしまったら、絶対に復活しないと思うんです。
――お蕎麦の値が張る理由がわかります。
米山さん:お米と同じく蕎麦もすごく値上がりして、去年の1.5倍くらいの額になっていて。蕎麦農家さんは、儲けがないからとどんどんやめてしまっているんです。蕎麦の実を作るには、広大な畑が必要なのに、農家さんが生産をやめてしまったら、そこは耕作放棄地になります。荒れた畑には、誰も手を加えようとしないでしょうから、もうその土地は終わりです。
――悲しい現状です。
米山さん:お取引している農家さんは、ほとんどが高齢者です。最後の最後、消費者に蕎麦を届ける立場の人間として、その辺のことも考えなくちゃいけないと思っています。ここで蕎麦屋を営んでいる以上、自分のことばかり考えていてはダメ。
――そこまで考えを巡らせているとは……。
米山さん:コロナ禍で、一気に変わりましたよね。農家さんは「蕎麦は儲からない」と苦労されていて。その前からも「あと10年お付き合いを続けてもらえるんだろうか」と思ってはいました。こっちは、「まだ30年営業を続ける」と考えたら、どうにかしないといけないですよね。
そして誕生した、乾麺。
――この度、「宮野屋」の乾麺を作られたそうですね。
米山さん:手打ち蕎麦屋が乾麺を作るなんて、普通は絶対しないと思います。ちょっとジャンルが違うというか、手打ち蕎麦と一緒にされては困るという考えがあるんです。「手で打った蕎麦がいちばん美味しい」と思っているんだから。
――では、なぜこの試みを?
米山さん:津南町に在来種の蕎麦を栽培している農家さんがいるんですけど、今は外国産の材料が主流になっている事情などがあり、せっかくの国産なのに安く売るしかないそうなんです。数年前から、うちはその農家さんから通常よりも高い額で仕入れをさせてもらっていて。でも、「宮野屋」で手打ちするだけでは、ぜんぶは使いきれないんです。
――それで、乾麺を作ることにしたんですね。
米山さん:高いと売れないから、安くするしかないんだけど、利益がほとんどないのでは、蕎麦農家さんはやってられないですよね。
――試作など、ご苦労されたのでは。
米山さん:乾麺作りのプロと私たちでは、道理が違うんですね。業者さんから「それでは美味しくなりません」と言われても、「いや、1回この通り作ってみてください」と押し通して。結局「やっぱり美味しくないですね」ってことになったり(笑)。アドバイスをいただいて、味はどんどんよくなりました。今のところ、店頭のみの販売です。
30年後を見据えた商売。最終的な目標は?
――「宮野屋」さんを継いでから、どんな思いで仕事に向き合っていたんでしょう?
米山さん:子どもの頃、じいちゃんから「うちには相当の売り上げがある」って聞いていたんです。大学時代に経営を学んでいたので、飲食店のおおよその粗利率を考えて「普通に暮らしていけるかな」と思っていたのに、実際の売上はじいちゃんの言葉からはほど遠くて(笑)。「これじゃ、やばくないか」って、俺も若かったから、ブランディングとかマーケティングとかをやってみたけど、まずは圧倒的に売上が少ないことが問題だと思ったんです。お盆や週末は行列なのに、その次の日はお客さんが10人しか来ないということも珍しくなくて。
――う~ん、悩ましい。
米山さん:平日でも、雨でも雪でも、お客さんがパンパンに入っているお蕎麦屋さんもあるんだから、「こうならないと」って焦るんだけど、どうしたらいいかわからなかったんです。そのとき、思いました。「もっと蕎麦がおいしくならなくちゃだめだ」って。
――ある意味、すごくシンプルな目標を立てたんですね。
米山さん:教えてくれる人がいないから、YouTubeの動画も参考にしました。当時のYouTubeなんて、まだ下火だから今みたいに蕎麦関連の動画なんてほとんどなくて。それでも「明日、これやってみようかな」ってトライしてみましたね。
――外部の情報がとにかく参考になったんですね。
米山さん:あるとき、たまたま会津若松の専門店でのし棒を買ってきたんです。それまで、親父が使っていた棒を使っていたんだけど、新しいのし棒で蕎麦を打ってみたら、感触がぜんぜん違ったんです。もう、蕎麦の表面が光っているように見えたくらい。要は、親父のは手製の棒だったけど、専門店で買ってきた棒はまん丸で、仕上げに漆が塗られていたから、そう見えたんです。「道具ひとつでこれだけ変わるのか。それなら、もっとやりようがあるかも」と、少しずつ自分に合った設備を整えるようになりました。
――米山さんの最終的なゴールはなんでしょう?
米山さん:常に意識していることは「昨日より、今日」。最終ゴールはもう決まっていて、倅に「宮野屋」を渡すことです。
――なんて、潔いお返事。
米山さん:30年後にもふのり文化や地元の蕎麦農家さんが残っているのか、わかりません。でも、その可能性を次の世代に残しておきたいなって思うんです。その頃も、まだここで商売ができる環境であるのであれば継げばいいし。とにかく倅が継ぐ年まで、「食える状態」にしておくっていうのが最終目標なんです。
八海山 宮野屋
南魚沼市大崎3742
025-779-2145