映画「フットルース」のサウンドトラックから数多くの日本語カバーが生まれたのはなぜ?
数多くの日本語版カバーが生まれた「フットルース」サウンドトラック
映画「フットルース」のサウンドトラックから、なぜこれほど多くの日本語カバーが生まれたのか? そして、見事なまでに続いたテレビ主題歌とのタイアップーー。
CBS・ソニーの洋楽ディレクターとして、ジャーニー、ビリー・ジョエル、そしてブルース・スプリングスティーンなどのビッグアーティストを担当できたこと、かつ、彼らのキャリアにとってもエポックメイキングな作品にタイミングよく出会えたことは、私にとって非常に栄誉なことでした。
今回取り上げる1984年の映画『フットルース』のサウンドトラックも私が担当したものですが、このアルバムは、アーティストのアルバムとは全く違う考え方が必要でしたし、マーケティングマンとしても新しい経験を積むことができました。40年前の出来事ですが、色々とクリアに覚えています。
お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、このアルバム収録曲から日本人アーティストによる日本語カバー作品がいくつも誕生しています。シングル盤だけでも4タイトル発売されていますが、ひとつのアルバムからこれだけの日本語カバーがつくられていること自体が極めて稀有なことでしょう。また、シングル盤としては発売されていませんが、アルバム収録曲として存在するものを含めると、相当な数のカバー作品があるのではないでしょうか。
シングル盤として発売されたものは、まずはボニー・タイラーの「ヒーロー」をカバーした葛城ユキ。彼女のハスキーヴォイスは本家ボニーに似て、インパクトがありました。この曲は競作となっており、後に麻倉未稀も歌っています。ムーヴィング・ピクチャーズの「ネバー」はピンク・レディーのMIE(現:未唯mie)が歌っています。そして渡辺美里のデビューシングルとして採用された曲が、ケニー・ロギンスの「アイム・フリー」のカバーでした。私が当時把握していた主だったものは、この4タイトルです。
映画公開後は100万枚を超え社内記録に
今回のテーマは、なぜこれほどに日本語カバーが作られたのか? ということです。その理由というか、この場合はその正体といった方がいいのかも知れませんが、このうち葛城ユキ以外の3曲は、いずれもテレビドラマのタイアップだったのです。しかも全てTBSのドラマですから、なんだかキナ臭い大人の動きがミエミエかも知れません。ちなみに、この日本語カバー3曲以外に1曲だけオリジナルバージョンでのタイアップがありますが、それもまたTBSでした。それぞれの曲が使用されたテレビ番組を放送の時系列順に紹介します。
ちなみに、我々の “フットルース・プロジェクト” は1984年3月にシングル、4月にアルバムを発売。7月の映画公開に向けて毎月のようにシングルの7インチ盤や12インチ盤を発売。ラッキーなことに大ヒットを連発。夏休みの映画公開までに、サントラ盤でありながらアルバムセールスも40万枚を越えるほど。映画公開後はさらに大爆発して、100万枚を超えるCBS・ソニー洋楽部門の社内記録となっています。
続々とテレビ主題歌になった「フットルース」からの日本語カバー
MIEが歌った「NEVER」は1984年4月に放送がスタートした『不良少女とよばれて』のメインテーマとして9月まで使用されていました。本家のムーヴィング・ピクチャーズは、アメリカでのシングカットもなかったのですが、日本語カバーに便乗して7月に日本盤のシングルを発売しています。
この「NEVER」が流れている放送期間に重なり、『金曜日の妻たちへⅡ 男たちよ、元気かい』の主題歌としてマイク・レノ&アン・ウィルソンの「パラダイス〜愛のテーマ」が7月から10月まで流れていました。これだけが日本語カバーではなくオリジナルバージョンでしたが、このドラマタイアップは映画公開直前のナイスなタイミングでアルバム拡売に大きく貢献してくれました。そして、MIEの「NEVER」が使用されていた『不良少女とよばれて』の放送が終わった直後の改編タイミングで、10月からは『スクール☆ウォーズ』のテーマ曲として、麻倉未稀の「ヒーロー」が登場。
葛城ユキのバージョンと同じ作詞家である売野雅勇が麻倉未稀に新しい歌詞を書いています。そして、このバージョンは85年4月まで放送。ちなみに、CBS・ソニー的には、この時期はすでに『フットルース』は去年のこと。ブルース・スプリングスティーンの初来日を迎え、テンションあがりっぱなしの4月でした。
さらに続いて、85年5月から同じくTBS系のドラマ『スーパーポリス』の主題歌として渡辺美里の「I'm Free」が流れています。シンガーソングライターでもある彼女のデビューシングルが洋楽カバーだったというのは意外です。ちなみに、このシングルのA面どころかカップリング曲もエイジアのカバー「タフな気持で(Don't Cry)」でした。
つまり、大作映画『フットルース』の楽曲をカバーし、テレビタイアップを利用して、MIE、麻倉未稀、渡辺美里などの日本人シンガーを売り出すきっかけになったということです。しかし、なにも洋楽曲のカバーでなく、もっと彼女らに相応しい日本のオリジナル曲の方がいいのではないのか? という疑問もあるかと思います。
主役は音楽著作権を有していた音楽出版社
さあ、洋楽カバーを発売することによって得する人は誰でしょう? なんだかミステリーもどきになって申し訳ありませんが、この日本語カバー&テレビタイアップを推進させたのは誰か? ということです。―― そう、この主役は映画『フットルース』のサウンドトラックに関する音楽著作権を有していた音楽出版社ということになりますよね。
曲や詞を掲載する際に必ずついているⓒマークの本籍はアメリカですから、日本地区におけるサブパブリッシング(サブパブ)の権利ということになりますが、このサブパブを有していた日本の音楽出版社が日音という大手音楽出版社だったのです。そして、この会社はTBSの100%子会社ですから、TBSで使用する音楽の権利関係に大きく関わっていたのです。
ラフな説明で恐縮ですが、音楽の権利には、レコード会社や実演家に属する音源に関する権利と、楽曲を作った作家に属する著作権(出版権)があるのです。アーティストやパッケージを売っているレコード会社は前者で、楽曲と言う無形のソフトウェアを創り出す作家と契約しているのが後者の音楽出版社です。シンガーソングライターの場合は同一人物なので混乱しがちですが、アーティストと作家はそれぞれ別の権利に守られているのです。
洋楽カバーを促進した理由とは?
たとえば、ボニー・タイラーの「ヒーロー」のシングル盤が売れるとCBS・ソニーは儲かりますが、葛城ユキの盤(ラジオシティレコード)がいくら大ヒットしたところでCBS・ソニーには一銭も入ってきません。しかし、楽曲の権利者である音楽出版社の日音にはどちらが売れても印税がはいってくるのです。加えてテレビ放送で曲が使用されたり、カラオケで歌われたり、コンサートで演奏されても音楽出版社には印税収入があるのです。
当時の外国楽曲のサブパブ契約に関しては、レコードが売れたり放送で使用されたりしてJASRAC経由で日本の出版社に入ってくる印税の80%ぐらいは海外の原権利者の取り分です。日本分は残りの20%になります。しかし、日本地域でカバー作品を成立させると、契約先の日本(ローカル)のサブパブリッシャー(音楽出版社)の努力に対するご褒美みたいなものですが、印税の比率がグンと変わって、海外取り分が65%とか70%で済むとか、そういうベネフィットがありました。
これは、あくまでも当時の契約にあった項目ですが、日本に残るお金が増えるわけですから、それだけにサブパブリッシャーとしては、カバー曲をつくることは、最優先事項のひとつだったはず。―― そう、テレビ局系音楽出版社の存在と洋楽曲のサブパブリッシング契約、そして日本語カバー成立によるベネフィット。これらの要素が、年が変わって『フットルース』の映画公開が終わっても、粘り強くカバー曲をつくり、テレビタイアップをつけていた理由なのです。