黒船のようなタイムマシン!加藤和彦【サディスティック・ミカ・バンド】LP BOX がすごい
サディスティック・ミカ・バンド3枚のオリジナルアルバムがリイシュー
1971年に結成されたサディステック・ミカ・バンドは、翌72年にシングル「サイクリング・ブギ」でレコードデビュー。高橋幸宏の参加後『SADISTIC MIKA BAND』『黒船』『HOT!MENU』という3枚のスタジオアルバムを残す。日本のロック黎明期において、国内のみならず海外にも注目された音楽性の高さはもはや世界基準であり、リリースから50年という時を経た今も、その革新性はまったく色褪せていない。
2023年7月、ユニバーサル ミュージックよりリイシューされたサディステック・ミカ・バンド『1973-1976 LP BOX 完全生産限定盤』には彼らが70年代にリリースした3枚のオリジナルアルバムとライブアルバム1枚、そしてデビュー曲「サイクリング・ブギ」の7インチがインクルーズ。セカンドアルバム『黒船』のプロデュースを務めたクリス・トーマスの監修で、ロンドンのアビイ・ロード・スタジオのマイルス・ショーウェルによるハーフスピード・カッティングで蘇る。
さらに豪華ブックレットには、デヴィッド・ボウイやマーク・ボランを撮影した世界的なフォトグラファー鋤田正義撮影の若き日のメンバーが収められている。『黒船』のレコーディングメンバーであった加藤ミカ(当時)、加藤和彦、高中正義、小原礼、高橋幸宏、今井裕のポートレートはセピアカラーでありながら、当時の最先端モードと何か面白いことをやってやろう!という意気込みと自由な感性が入り混じり、深い味わいを残す。特にロックスター然とした高中正義のジャンプスーツ姿や当時のロックンロールリヴァイバルをそのまま体現した今井裕のTEDDY BOYスタイルは惚れ惚れするほどイカしている。
また、レコーディング時のオフショットやライブ写真にも臨場感があり、まさにタイムマシンに乗り、当時の音楽シーンの一端を目撃したような感覚に陥る。レコードのラベルも当時のままで再現され、そのディテールと最新カッティングで蘇る音の素晴らしさに、なんて豪華なんだと思わずにいられない。
驚くのはその音のきめ細かさと立体感であり、当時のアルバムと聴き比べてみても、そのクオリティは格段に違っている。最新のカッティング技術に圧倒されたわけだが、同時に当時のサディステック・ミカ・バンドが未来を見据えたサウンドメイキングを施したからこそ、50年近く経った今の時代にも、懐かしさを微塵も感じることなく受け入れられるのだろう。
ザ・フォーク・クルセダーズからサディステック・ミカ・バンドへ
サディステック・ミカ・バンドは、ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦を中心に結成された。ザ・フォーク・クルセダーズは、1967年にリリースした「帰って来たヨッパライ」でオリコン初のミリオンヒットを放ったフォークグループだ。
レコーディングされたテープの高速回転というユニークなアイディアで一躍お茶の間にも浸透した「帰って来たヨッパライ」。この楽曲のソングライターとしてクレジットされた加藤和彦がソロ活動を経て結成したのがサディステック・ミカ・バンドだった。
そのネーミングの由来がプラスティック・オノ・バンドにあったように、サウンドの根底には計り知れないビートルズの影響があったが、同じように、ザ・フォーク・クルセダーズにもその影響は顕著に表れていた。「帰ってきたヨッパライ」の最後のお経が流れる部分は「ハード・デイズ・ナイト」の歌詞になっている。
サディスティック・ミカバンドとイギリスのロックムーブメント
そんな加藤和彦を中心に結成されたサディステック・ミカ・バンドは、イギリスの大きなロックムーブメントと密接なつながりがあった。そう、1970年代初頭のイギリスではグラムロックの台頭と相まって、ロックンロール・リヴァイバルの波が押し寄せていたのである。
グラムロックを象徴する T.Rex のマーク・ボランには12歳の時にちょうど渡英していたエディ・コクランのバックステージに潜り込みローディーを志願したという有名な逸話がある。わかりやすいメロディーでキャッチーなグラムロックには1950年代のロックンロールがひとつの基盤になっている。そして、1973年に公開された映画『アメリカン・グラフィティ』がヨーロッパにおいても大ヒットを記録し、ロックンロール・リヴァイバルは本格的なものとなる。
この1年前の1972年にリリースされたサディステック・ミカ・バンドのデビューシングル「サイクリング・ブギ」はそんなムーブメントをいち早く察知したかのように、50年代のロックンロールのキャッチーさを全面に打ち出し、コミカルな日本語の歌詞を乗せていた。この手法はのちにダウン・タウン・ブギウギ・バンドが踏襲し、「カッコマン・ブギ」や「スモーキン・ブギ」などのヒット曲を残した。また、サディステック・ミカ・バンドは同じく1972年にデビューしたキャロルといくつかの共演を果たしているのも興味深い。
クリス・トーマスプロデュースのセカンドアルバム「黒船」
しかし、加藤和彦を筆頭に高橋幸宏、高中正義、小原礼といった、のちにそれぞれのスタイルで日本の音楽シーンに燦然たる軌跡を残したメンツを擁したサディステック・ミカ・バンドにとって、ロックンロール・リヴァイバルというのはあくまでも音楽性の中のひとつの要素であり、重厚な演奏力と革新的な音楽センスでバンドとしての多様性を示し、日本人アーティストとしては規格外の作品を残していくことになる。
「サイクリング・ブギ」の翌年にリリースされたファーストアルバム『SADISTIC MIKA BAND』の完成度の高さに驚いた英プロデューサー、クリス・トーマスが、サウンドプロデュースを申し入れ、セカンドアルバム『黒船』が完成する。クリスはビートルズの『ホワイトアルバム』でのアシスタントからキャリアをスタートさせ、ピンク・フロイド、ロキシー・ミュージック、セックス・ピストルズなどを手がける。70年代の英ロック史の本流は、まさにクリスの軌跡だと言っても過言ではないほどの名プロデューサーである。
日本最高峰のグラムロックナンバー「タイムマシンにおねがい」
『黒船』に収録されているサディステック・ミカ・バンドの代表曲である「タイムマシンにおねがい」は日本最高峰のグラムロックナンバーだ。荒井由実(松任谷由実)、近田春夫&ハルヲフォン、ROLLYなど数多くのアーティストにカバーされ、PUFFYのデビューシングルである「アジアの純真」でもその影響を垣間見ることができる。
サディステック・ミカ・バンドは、『SADISTIC MIKA BAND』『黒船』、『HOT!MENU』という3枚のスタジオアルバムを残し1976年に解散する。この3枚のアルバムは、英ロックの本流を正しく継承しながら、どこかオリエンタルな雰囲気を醸し出すオリジナリティが日本のロックの金字塔として語り継がれている。
クリス・トーマスを圧倒させたファーストアルバムの『SADISTIC MIKA BAND』、そしてバンドの絶頂期とも言える『黒船』、実験的要素とユーモアセンスを兼ね備えながらもメンバー各々の日本人離れした感性と力量が1枚のアルバムの中で静かにせめぎ合う『HOT!MENU』と、サディステック・ミカ・バンドが短い時期に残した音の軌跡は、圧倒的な音の完成度を感じると共に世界的なロックの流れを俯瞰した上でも極めて重要な位置にある。だからこそ、ダイレクトに音を体感できる『1973-1976 LP BOX 完全生産限定盤』でその全貌を体感して欲しい。
▶ Information
映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」
2024年5月31日より全国公開
※2023年8月4日に掲載された記事をアップデート