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【静岡の高校サッカー戦後史Vol.59】清水商業(現清水桜が丘)が1971年度、全国選手権ベスト4

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【清水商④】奇跡の逆転 再び全国へ

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。静岡サッカー応援アプリ「シズサカ」でまとめてご覧いただけます。

1971年度全国選手権県予選決勝リーグ最終戦。清水商(濃いユニホーム)は猛攻を仕掛け奇跡の逆転V=清水市営グラウンド


全国選手権県予選は1次トーナメント、リーグ戦、決勝トーナメントを経て、代表校を決める方式が定着している。ところが、1971年(昭和46年)度は1次、2次トーナメント、決勝リーグと進む形を採用した。清水商は最終関門の決勝リーグで奇跡を起こし、この年度の出場切符を手にする。2年ぶり2度目の全国選手権行きだった。

決勝リーグで藤枝北に7−0

決勝リーグを争ったのは清水商、藤枝東、浜名、藤枝北の4校。最終日の第1試合で藤枝東と浜名が対戦し、1−1で引き分けたため、代表の行方は第2試合の清水商―藤枝北戦にゆだねられることになった。といっても藤枝東は1勝2分け、勝ち点4で一歩リード、しかも得失点差で5点と大きな貯金があった。

清水商はどうだったか。勝てば勝ち点で並ぶ。しかし、得失点差で上回るには6点差以上の勝利が必要だった。逆転はほぼ不可能な状態であり、藤枝東の選手たちもリーグ戦1位は信じて疑わなかった。

ところが、清水商は大逆転劇をやってのけた。開始直後に橋本三郎(大阪府茨木市在住)が決めたのを皮切りにゴールを量産、なんと7−0の大差で勝利を収め、県代表の座を獲得した。

“奇跡”にスタンドはどよめいたが、監督の苫米地康文(静岡市駿河区在住)には「七分三分でいける」との思いがあった。だが、まな弟子たちには「いい試合をやろう」とだけ求め、点差を意識させなかった。

壬生川工(愛媛)との準決勝

全国選手権本番。2回戦から登場すると、松本県ケ丘(長野)を2−0で退け、報徳学園(兵庫)を4−0で圧倒して、ベスト4に駒を進めた。

壬生川工(現・東予、愛媛)と対戦した準決勝の前評判は、明らかに清水商優位だった。最終ラインは白井益弘(横浜市在住)、中盤は橋本、前線は主将の山田良雄(イハラケミカル)を軸にした布陣は、攻守にバランスが取れていたからだ。

しかし、現実は厳しかった。前半5分に先手を取られ、焦りが出た。20分に追い付いたが、リズムに乗れず、後半35分に突き放されて1−2で涙をのんだ。

実は、この選手権は69年度総体の浜名優勝から数え、静岡県勢の全国大会6連覇が懸かっていた。だが、指揮官は県勢6連覇はおくびにも出さず、「ベストを尽くす」ことだけを要求した。県予選決勝リーグ最終戦と同様に。その結果が選手権ベスト4だった。(敬称略)

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