<「娘やめます」の10年後>絶縁したのに!?「会いたい」姉から伝えられた母の言葉【まんが】
私(アヤ)が「お母さんの娘をやめる」と告げ、母と絶縁をして10年が経ちました。母の顔色をうかがい母の望む言葉を口にして生きてきた頃とは違い、今は幸せな家庭に恵まれています。夫のリョウは私の思いを理解し、すべてを受け入れてくれています。最愛のひとり娘である娘のユイは現在5才。このままずっと幸せな日々が続くといいな……。そんなふうに願っていたのですが、私は自分のなかのある気持ちにずっと苦しめられていたのでした。
結婚するとき私は「母には連絡をしない」と決め、事情を伝えたところ義両親も受け入れてくれました。姉とは定期的に連絡を取り合っていたので、もしかしたら姉経由で母に伝わっているのかもしれません。けれど母とはずっと絶縁状態です。
その日もユイを保育園に迎えに行き、いつもどおりに帰宅しました。そして食事の支度をしていると姉から着信が……。「いま大丈夫?」「大丈夫だよ。どうしたの?」電話の向こうにいる姉はなにやら口ごもっています。「それがね……」
「娘をやめる」そう母に告げてから10年。私は幸せに暮らしていました。母とは一切会っておらず連絡もとっていません。リョウは私のことをとても良く理解してくれ、義両親も優しく接してくれます。ひとり娘にも恵まれ、母の顔色だけを気にして生きていた頃とは大違いの、幸福感に満たされた日々を過ごしていました。 そんなある日、姉から「母に病気が見つかった」という一報が。しかも母は私に会いたがっているらしいのです。私に伝えるべきかどうかは、姉もずいぶん悩んだようです。ただ命に関わる可能性があり、手遅れになる前にと連絡することにしたそうです。母の「会いたい」に私は応えるべきなのでしょうか?
【母の気持ち】「生きていても仕方ない」私が唯一望むこと
私(ヨウコ)は、パートをしながらひとり細々と暮らしています。ときおり長女のミユキが様子を見にきてくれます。次女のアヤに「娘をやめる」と言われてから10年。アヤに会わないことが今の私にできる精一杯の償いだと思い、連絡も一切とらずにやってきました。数年前にミユキから、アヤが結婚をして子どもを出産した話を聞きました。アヤは元気でやっているようです。もうそれでいいと思っていたのですが、ある日、私に病気が見つかるのです。
私はずっとアヤの気持ちに見向きもせず、自分の都合や自分の気持ちだけを押し付けてきました。そのことを忘れないために、アヤの小さい頃の写真を新しく部屋に飾ったのです。それを見ながら「ごめんね……」とつぶやく毎日でした。
もちろん手術をしてきちんと治療すれば助かる可能性もありました。けれど私はもう「生きていても仕方がない」という心境だったのです。「アヤのこと、ずっとないがしろにしてきたバチが当たったのよ。だから甘んじて自分の運命を受け入れるわ……」
会わなくなって10年、私はアヤのことを忘れたことはありませんでした。むしろ「今ごろアヤは何をしているのだろう……」と思いを馳せることが増えていました。聞けば会いたくなるので、ミユキにはアヤの様子を聞かないようにしていました。そんななか私の病気が分かりました。 手術や治療が必要と言われて最初はショックを受けましたが、いつしか私は「バチが当たったんだ」と思うようになったのです。これはアヤを傷つけてきた私への罰なんだ。これから始まる治療はきっと大変なものになるでしょう。それに立ち向かう気力は私にはなく、このまま命を終えても構わないとさえ思いました。 それでもミユキは私に生きていてほしいと願い、必死で治療を勧めてきます。そのときふいに私の口から出てきたのは「アヤに会えるなら考えてもいい」という言葉でした。
【私の気持ち】病気の母に会うべき?「会いたくない」過去思い苦しむ私
ある日、私は姉から母が病に侵されていることを聞かされます。これから手術や治療が必要になるため、母が私に会いたがっているとのこと。私は複雑な思いでした。
10年経ったいまでも、私はまだ母を恐れているのです。「お母さん」と聞いただけで未だに緊張するし、あの日々が思い出されるのです。会わずに済むなら会いたくない。けれど……。私はユイが眠った後、リョウに自分の思いを打ち明けました。
電話の翌週、私は姉と会って話すことになりました。姉は実家から車で30分ほどの場所に家族で暮らしていて、娘のヒナちゃんはいま14歳、息子のガクくんは11歳になるそうです。姉が私の住む街まで来てくれたので、2人で近くのカフェに入りました。
あれから10年も経っているのに、未だに「お母さん」と聞いただけで私の心臓がビクンと跳ねます。あの日々を思い出し、緊張して身体がこわばってしまいます。会いたいわけがないし「会わない」という答えは出ているはずなのに、事情を聞いて悩んでしまう自分もいるのです。 リョウが「後悔のないように」と言ってくれたので、私は自分の気持ちを振り返っていました。そう、こちらから絶縁したはずなのに、私は「お母さん」から解放されることはなかったのです。この10年間、私は母の存在をずっと意識しつづけていました。ユイが産まれて母親になった私自身の気持ちについて、久しぶりに会う姉に正直に話そうと思っています。
【母の気持ち】自らが母になり「愛されなかった」苦しむ娘
ある日、私に病気が見つかります。弱気になった私は「アヤに会いたい」と告げ、ミユキからアヤに伝えてもらったのですが……。
ミユキはアヤの住む街まで出向いて、アヤがよければ一緒にこの家まで連れてくるつもりだったのです。家に入ってくるミユキの声に、私は緊張しながら振り向きました。しかしそこにアヤの姿はありませんでした。私はガックリと肩を落とします。
「ユイのお遊戯会や運動会、保育参観……行事のたびに1枚でも多く写真を撮ろうとか、ずっと目に焼き付けておきたいとか、成長したな~とか……ユイからたくさんの気持ちをもらえるの。でもその一方で、またお母さんを思い出すの」
もしかしたらアヤが来てくれるかもしれない。10年ぶりに会えるかもしれない。緊張と嬉しさが混在していました。アヤが来てくれたら、今までのことを心から謝ろう。親子関係をもう一度やり直そう。今度こそアヤに尽くすために、私は治療を頑張ろう……そう思っていたのです。 しかしアヤは来ませんでした。アヤは私と築けなかった親子関係を、自身の育児を通して再び思い知ることになり、もがき苦しんでいたのです。本当に私はアヤになんてことをしてしまったんだろう……。後悔してもしきれませんでした。
「呪縛から抜けだせない」再会断ってきた娘
「ユイを叱ると、いつか私もお母さんみたいになっちゃうんじゃないかって怖くなって……。どうしてお母さんは、私を愛してくれなかったのかな? これだけ愛おしい自分の子どもをないがしろにできるって、相当私のことが嫌だったんだよね」
「私ね、お母さんから離れて娘をやめさえすれば楽になるって思ってた。でも子どもを持つ前は分からなかった苦しみが、今はたくさんあって。お母さんを反面教師にしようと頑張っているけど、結局私は『お母さん』の呪縛から抜け出せていないんだ」
アヤの辛い気持ちが、痛いほどに伝わってきました。あの頃は自分の生活に必死で、第一子であるミユキで経験したことは、アヤで経験する必要はないと思っていました。結果的にミユキにはしてあげたことを、アヤには全くしてあげていなかった。全部私の目線で見ることしかできていなかったのです。 アヤがどう思うか、アヤのために何をしてあげるか……。そんなことは、何ひとつ考えてはいませんでした。「どうしたら私が楽か」そればかりだったのです。そんな私はアヤに許してもらう資格はありません。自分がしてきたことを悔やみ、少しでもアヤの傷が軽くなるように祈ることしかできないのでした。
娘からのメッセージ「会える日まで生きて」
病気が分かったとき、私は「バチが当たったんだ」と思いました。これはアヤを傷つけてきた私への罰なんだと。だからこのまま運命を受け入れるべきなのだろう、と……。しかしアヤはそんな私に「生きていてほしい」と言ったそうです。
「これ……アヤと娘のユイちゃんの写真」ミユキは今のアヤの姿を見せてくれました。10年ぶりに見るアヤは、すっかりお母さんの顔をしていました。娘のユイちゃんも、アヤの幼い頃にソックリです。生きていれば、いつか会えるのでしょうか?
アヤはきっと私を許してはくれないでしょう。私がしてきたことは、それほどのことだったのです。けれどアヤは最後に「いつか向き合える日がくるかもしれない」と言ったそうです。私には遠回しに「治療を頑張って」と言ってくれているように感じられました。 いつか懐かしいと思える日が来るかもしれない、それは自分の子育てが終わったときだろう、と……。ならば私はその日まで、意地でも長生きしなくてはなりません。 こうして私はいつかアヤと会う日を迎えるため、病気に立ち向かう決意をしました。それは私の生きる目標です。これからの人生は、アヤのために生きていきたいと思います。
【私の気持ち】愛する家族と前を向いて進む!私も娘も「ひとりの人間」
母が会いたがっていると伝えられましたが、私が行くことはありませんでした。母からの呪縛が消えないまま自分自身が「母」となり、私は昔とは違う苦しみを味わっていたのです。
むしろ自分が母親になってからの方が、もっと「お母さん」を意識してしまっているような気がします。そんな胸の内をつぶやくとリョウが言いました。「でもさ、そういう迷いって多かれ少なかれ誰にでもあることなんじゃないのかな?」
私は目の前にいるユイを育てるなかで「お母さん」の影がちらつき、苦しく感じるときもありました。けれどユイのことを「私の子ども」ではなく「ひとりの人間」と考えて接することができれば、迷いもなくなっていくのかもしれません。
「お母さんの娘をやめる」と言ってから10年、私は自分の人生を生きようと必死でした。楽しいことも嬉しいこともたくさんあったし、優しい人たちにもたくさん出会いました。そしてリョウと出会い、ユイが産まれて現在の幸せな生活があります。 けれど自身が母親になってからは、迷いの連続でした。きっとこれからもそんな日々は続くでしょう。ただ私は「お母さんの娘」ではなく「ひとりの人間」です。迷ったときは、目の前の子どもを「自分の子ども」じゃなくて「ひとりの人間」だと思って接することができれば……。そんなふうに思っています。 その後、姉からは母が入院して治療をはじめたと聞きました。いつか会おうと思える気持ちになるのか、それはまだ分かりません。リョウと協力してユイを愛し育てながら、いまは前を向いて進みたいと思います。