産後に母と衝突! 「ありがとう」が言えない私にキレた母。
小学校1年生の息子と生後7ヶ月になる一卵性双生児の男子の、3兄弟のママ“まにゃ”です。在宅コールセンターのマネージャーと事務の仕事をしています。双子出産の時、なかなかゆっくりと会うことができない母が我が家へ泊まり込み、手伝ってくれました。
ありがたいと思う反面、他人事と思っていた肉親とのトラブルが、当時の自分に降りかかってきました。
間に合った! かけつけてくれた母に感謝感謝の日々
一卵性双生児を妊娠した際、身内ではもちろん、身近にも双子がいなかったため、母はよく私を気にかけてくれていました。義両親は近所に住んでいましたが、実家の母が遠方にも関わらず「出産時期には、すぐに駆け付けるよ」と言ってくれていたのです。
妊娠36週にさしかかった時、妊娠高血圧でドクターから即入院の指示が出されました。しかも、入院をした3日後の夜中に、まさかの破水。
母にすぐ連絡をし、翌朝早くの手術に何とか間に合うように来てくれました。手術後に、待っていてくれた母の笑顔に安心し、気がつけば涙があふれていました。しかし、母との関係は思わぬ方向に進むことに…。
「ありがとう」が言えない私に、母の不満が爆発!
普段から仲が良い母娘関係でしたが、性格が似ている分、ぶつかることもありました。そんな時にいつも母と私を繋いでいたのは父。しかし、今回は母と私+双子(上の子と夫は、義両親の家にいました)だけの生活。これは初めての体験でした。
喧嘩の理由は些細なことですが、多くは私が素直に「ありがとう」と言えないことが原因でした。入院中に必要なものを届けてくれたり、新生児のための準備が不足していて、ベビーグッズを買いに走ってくれたりしていた母に対し、言えなかった「ありがとう」の一言。
退院時ぎりぎりまで、必要なものをあれこれと電話でお願いし続ける私の態度に「あなたから、“ありがとう”という言葉が聞こえたことがないわね!」と、ついに母がキレました。
人と比べる母の言葉に、爆発した私
もちろん、私がキレてしまったこともあります。その理由のひとつが、妹や親戚の子との比較でした。もちろん母も悪気があったわけではないと思うのですが、当時の私にはつらかったのを覚えています。
双子は夜泣きがひどく、2時間ごと交互に起きていました。そのため私は睡眠不足で、心身ともにぼろぼろでした。そんな時、母が「この2人は本当によく起きるね。〇〇ちゃんのところは、夜から朝までぐっすり眠るんだってさ」と言ったのです。
第1子も夜泣きがひどく、今回も半ば諦めていました。しかし、他人と比べられると「どうせ、うちの子は何倍も手がかかるのよ! だから何よ! もう、ほっといて!! 」と、ヒステリックに反応してしまうのでした。
別れ際にようやく言えた「ありがとう」。そして涙…
「じゃあ、もう実家に帰るよ」と、母も何度も言い返してきました。その結果、気付けば私たち2人の間に、大きな溝ができていたのです。母の更年期や、体調不良などもあったかもしれません。私自身の態度に問題があることも、重々わかっていました。
しかし、そんな状況でも黙々と3食用意してくれたり、夜泣きが特にひどい時は、少しでも私が寝られるように双子を数時間見てくれたりと、母が心身ともに支えてくれていたのは確かでした。
ついに母が帰る日、双子を義母に預けて車で空港まで見送りに行ったときのことです。別れ際に、ようやく「ありがとう」の一言を言うことができました。そして、涙の抱擁。しばしの別れに、お互い涙が止まりませんでした。
よくある出産後の実母トラブル。大人になってから母と2ヶ月も一緒に過ごしたことがなかったため、度重なる衝突に悩み、妹にも相談のメールを送っていました。親子とはいえ、お互いのストレスはかなり大きかったのだと思います。しかし、それでも親子。私たち親子の信頼関係と絆は崩れることがありませんでした。つらい時に支えとなってくれたことに、今でも感謝の気持ちは尽きません。いつも素直に言えないけれど「お母さん、ありがとう」。
[まにゃ*プロフィール]
在宅でコールセンターのマネージャーと事務の仕事をしつつ、時々ライターもしています。2人目不妊を乗り越えて、長男が6歳の時に一卵性双生児の男の子を出産。出産時36歳という高齢出産にもめげず、毎日育児に奮闘しながら楽しく生活しています。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。