池袋・仙行寺で「生きる」を養う大仏と出会う〜お寺でひとやすみ!〜
2018年8月、池袋に誕生した“池袋大仏”をご存知でしょうか。多くの人でにぎわう池袋駅から徒歩5分、まさに都会のど真ん中に建つお寺、仙行寺(せんぎょうじ)さんでお会いできる大仏さまです。大仏建立の発願(ほつがん)をされたご住職の朝比奈文邃(あさひな・ぶんすい)さんは、長年池袋の街づくりに携わるお仕事もされています。さらに、本堂の隣に建つ小劇場「シアターグリーン」の代表でもあり、脚本家としてもご活躍されているそうです。今回は、そんなお寺以外のお姿を拝見しつつ、たっぷりとお話を伺いました!
都心で会える大仏さま
池袋というとどんなイメージでしょう。駅の東西に大きな百貨店があって、サンシャインシティなどのショッピングモールが集まり、東京芸術劇場やジュンク堂書店などの文化的スポットを擁する街。はたまた、漫画やアニメの専門店や、本格的な中華料理店も集まり、近隣の都市から足を運ぶ人であふれる街といったところでしょうか。そんなにぎやかな街の一角に、緑あふれるオアシスのようなエリアがあります。
池袋駅から徒歩約5分の、南池袋公園一帯です。駅から少し足を伸ばしただけで、メインストリートとはまったく異なるのんびりした空気が漂っています。周囲にはお寺が建ち並び、学校や小さなカフェも。サンシャイン60通りなどの大きな通りの裏手にあるので、駅から近いものの、足を踏み入れたことのない人も多いかもしれません。その一角に建つのが、今回訪れた仙行寺さんです。朝比奈さんはこの「南池袋公園」を運営する会の会長も務めていて、地域のランドスケープを作る役割も担っています。
各フロアから緑の枝が伸びているこちらのビルが、仙行寺さんの本堂です。
開け放たれた木の扉の奥を、ちょっと緊張しながら覗いてみると、奥にはほの暗い一角が。
その中に、池袋大仏さまが浮かんでいるのです!
こちらの大仏さまを擁するお堂「仏音堂(ぶっとんどう)」の向かって右手には、雑司が谷七福神の一つ「華の福禄寿」像が。両脇に立つ風神・雷神像とともに、思わずなでたくなるような愛らしい姿を見せています。
向かって左手には、昔なつかしい駄菓子コーナーも設けられています。
その隣には、御朱印の授与やお守りを求めることのできる売店が。この日はマジシャンでもある僧侶の男性にお会いできました!
お寺の各所でスタッフのみなさんが温かく迎えてくださることも、お寺への入りやすさに繋がっています。
愛される街には、祈る場所がある
──本堂は緑の多いこのエリアに溶け込みつつ、街のシンボルのような存在になっていますね。
師匠である僕の父が木造の本堂を建てていたんですが、私の代になり、東日本大震災の時に本堂がダメージを受けたので、思い切って建て直すことにしたんです。現在この地域では消防法上、木造の本堂が建てられなくなっているのですが、木の温もりを残したいという思いがありました。
朝比奈さん:僕はバックパックでメキシコ、ベリーズ、カナダ、インドなど世界中を回っていた頃があるんですが、成熟した魅力ある街、地元を愛している人が住んでいる街には、たいてい街の中心に祈る場所があるなと気づいたんです。教会のように、訪れる人々が頭を下げる精神的な居場所がありました。一方、池袋にはお寺が点在しているけれども、みんなが手を合わせる姿をあまり見かけることがありませんでした。改めてお寺の本来の役割を考えた時に、やはり手を合わせる場所でありたいと思ったんです。
──大仏というと、疫病や災害が続いたときに造立されるものというイメージがあります。
それよりも、街ゆく人たちが自然と手を合わせたくなる場所を作りたいという思いがありました。それを具現化したのが大仏ですね。季節や土地と共に生きていると感じられる場所を、池袋という都会にどうしても作りたくて。
世の中には病院がたくさんありますが、それに匹敵するくらいお寺もあります。東洋医学には、病は自然の中にいて治すものという考え方がありますが、西洋医学が入ってきてから、病はやっつけるものという考え方にどんどん変わっていきました。病院が病と戦う場所であるならば、お寺は健康を養っていく場所だと思うんです。日々の祈りとか、小さなお願いとか、自然と頭を下げるようなことが生活の中に根付くことで、その街に住んでいる人たちが成熟していくと思うんですよ。それにあたるのがお寺でなければいけないと思っています。
―その後奇しくもこのコロナ禍がやってきて、健やかに生きることがますます求められるタイミングを迎えたんですね。
暦に込められた知恵が健康を養う
朝比奈さん:人生って、いろんな節目があるじゃないですか。冠婚葬祭に始まり、二十四節気だったり、七十二候だったり。それが簡略化されたり、本来の意味を見失ったりしていることが、病の根底にあるんじゃないのかなという思いがあります。
今って、携帯電話で遠くの誰かの悪口をひたすら見たりだとか、自分との繋がりがないまま遥か彼方を見ていることも多いと思います。でも、本来自分が息をしているのってこの場所、この土地なんだっていうところを見直さなきゃいけない。心と体は一つであるわけだから、心の疲れは絶対体に出てきますよね。そういう疲れをなくしていく考え方が、仏教や年中行事、昔の日本人が持っていた人と人との付き合いにあると思うんです。
朝比奈さん:例えば日本には、「水に流す」という風景があります。生活しているうちに溜まっていく穢れ(けがれ)を流すタイミングが、かつては折々にありました。行事やお祭りでそれを定期的に流すというのが、今までの日本人の知恵だったと思うんですよね。お墓参りにせよ、おばあちゃんやおじいちゃん、近所の人から教わるものであり、村の付き合いでもあったんですよね。そういったものを通して、八百万(やおよろず)全てに神を見たわけです。そういう気持ちが、健康に生きることを養ってきたんだと思います。そういったものの再発掘が大きなテーマです。
植物に込められた生きる知恵と小さな祈り
―昔からの慣習に従って日々を送っていれば、意識せずとも自然と垢を流せていたんですね。仙行寺さんでも、そういった知恵を取り入れている例があるのでしょうか。
朝比奈さん:「紫陽花(あじさい)守り」って知ってますか?昔、「紫陽花節句」というものがあったんです。紫陽花を一枝長く切り、それに半紙や水引を巻いて、軒に吊るして魔除けにするんですよ。
―わぁ、素敵な慣習ですね!初めて知りました。
朝比奈さん:5月だったら菖蒲の根の毒で邪を祓ったり、「勝負」の音に掛けて男の子の成長を願ったりしますよね。そういうひとつひとつの季節のあしらいには、小さな祈りがあります。人を招いた時のしつらいにそういう気持ちを表すというのは、日本人がずっと持っていた姿勢で、それが今の日本人の根底を作っているのではないかと思います。
朝比奈さん:運動会のときなどに使うくす玉も、もともとは中に薬になる植物を入れて魔除けにして、その時期ごとに吊るしていたものなんです。
朝比奈さん:こちらは、5月のしつらいとして飾った菖蒲です。紙を折るだけで、そこに祈りがこもります。結婚式のお祝いも、幸せになってくださいねっていう気持ちを紙に折り込んで、水引でさらに気持ちを結んでいったわけです。目に見えない気持ちを形にしたのが折形(おりがた)であり、水引であり、一年を通しての魔除けだと思うんですよね。ずっとマンネリで単調な生活を送っていると、気が枯れるっていうのかな、それは人間にとってあまり良くないことだと思います。季節があって節目があって、というのが知恵だと思うんですよ。「ここからは大人よ」とか、「ここは農耕に感謝する日なんだよ」とか。そうやって散りばめられた知恵を利用して生きていく方が、絶対日本人に合っていると思うし、万病の元もそういうところにあると考えています。
―普段見慣れた日本の飾りには、そういった思いが込められていたんですね。仙行寺さんにお参りするだけで、境内の所々で目にするものから自然と季節のリズムを受け取ることができそうです。西武百貨店やジュンク堂にお買い物に来た方にも、その流れでぜひ仙行寺さんを訪れてほしいなあと思いました。
あえて一歩を踏み出す意味
──扉の奥が暗くなっていて、お寺の外からほんのり大仏さまの空気が感じられるところも素敵ですね。前を通るだけでも、すがすがしい気のようなものを受け取れるような気がします。
人間って、「ん?奥に進んでみようかな?」っていうのが好きじゃないですか。神社でもザーッと鳥居が並んでいたりしますし、茶道にしてもそうですが、一回頭を下げて入るということに意味があると思ってこうしています。
お寺に入っていくと、それだけで穢れを払えると思うんですよ。大自然の森林に入るときも、心がスッとしますよね。その時って、目には見えないけれど、気持ちの薬がダッと効いていると思うんです。一日一回でも、都会から中の薄暗いところに入って、お香の中で大仏さまを見上げて、薄暗い中で手を合わせる。それだけで、たぶん相当な薬になると思っています。
──お近くの方だったら、通勤や通学の途中で毎日手を合わせることもできますね。
やられる方、多いんです。そんな姿を見ていると、こっちも心がスーッとするような気がします。徐々に街全体がそういう雰囲気になっていけばいいなという思いがありますね。でもそれも、縁がないと入ってこないと思うんです。「近くにこんなところがあったんだ」と改めて気づくときってあるじゃないですか。心がそういうものを欲していたり、見るべき時に来て初めて目に映ってくる景色ってありますよね。そこにわざわざ入っていく、っていうことが重要なんじゃないかなと思います。
──薄暗いところにあえて入っていくという体験って、大人の日常には少ないですよね。こうして大仏さまを拝んでいると、子供の頃に押し入れやテーブルの下に入ったときのような落ち着きも感じます。
お顔が見えないから少し明かりをつけていますが、極力灯明の灯りだけにしたいというのが、堂内を暗くしている理由です。火の力ってあるじゃないですか。炎を近くで見ると、熱いけどすごい力を感じますよね。あれってまさに生きているというか、リアルというか。僕、江戸時代の脚本を書いていますが、江戸時代は火事ばかりだったから、生き方の中にも火がありました。その火が仏教では知恵にも例えられたりするわけです。
──この大きさと、静かに揺らぐ火を前にすると、なんだか心地よい無力感のようなものを感じます。お参りしたとき、ずっとたたずんでいてもいいんでしょうか?
そういう方、いらっしゃいますよ。海外の方が五体投地(ごたいとうち)していたりすることもあって、そういう姿から教わることも多いですね。
──大仏さまを眺めていると、子供が親を見上げているような気持ちになりますね。安心する気持ちと、少しの畏怖といいますか。その力って、大人になってからこそ強く感じられるような気もします。
まさに仏師さんが、ちょうど子供が親を見る目線の高さに計算して造っているんです。日蓮宗の帰依する「法華経(ほけきょう)」という経典の中に、お釈迦さんが地上で教えを説く場面と空中で説く場面があって、その空中の場面を表現しています。だから仏像が宙に浮いているんです。
──本当に、スッと目線が合いますね!大人になると自分より大きな存在が少なくなって、つい気が大きくなっちゃったりしますけど、こうして首を垂れる気持ちになれるのって、大きな大仏さまだからこそかもしれませんね。
都会で急にバカでかい木に会うと、単純にすごいなって思うじゃないですか。その力って、人間にとって必要だよなって。どうしようもない世の中で、自分が地球の一つであると感じることがやっぱり必要なんだと思います。
現存都内最古の小劇場「シアターグリーン」
仙行寺さんのもう一つの柱となっているのが、本堂ビルの真横に経つ「シアターグリーン」。3つの劇場「BIG TREE THEATER」「BOX in BOX THEATER」「BASE THEATER」から成っています。上演される作品は幅広く、ザ・小劇場な作品から、アイドルや2.5次元の作品、近所のインターナショナルスクールの子供たちのミュージカルなど、さまざまな顔を見せています。
──朝比奈さんは、劇場「シアターグリーン」の代表でもあり、演劇や『大岡越前』などの脚本も執筆されているそうですね。お寺で落語の公演を行うという話はよく耳にしますが、演劇と関わりの深いお寺って、とても珍しいのではないでしょうか?ぜひ経緯をお聞きしたいです。
劇場は、昭和43年(1968)に父が作ったものです。父はもともと大きなお寺の息子だったんですが、縁あって昭和33年(1958)に仙行寺を任されることになりました。当時は本堂もないようなお寺だっだそうです。戦後の池袋には闇市があって、怖い街というイメージがありました。これじゃ人が寄りつかない、だから文化を育てなくてはと考えたそうです。文化を育てて、池袋を文化の町にするというのがテーマで、それが僕の根底にも流れています。
朝比奈さん:父の知り合いに役者がいて、本堂を貸して稽古場にしていたんだそうです。でもあまりにも稽古が激しいから、お檀家さんが集まる集会所のほうで稽古をやるようになって。そこにいろいろ手を加えていったら劇場になっちゃった、というのが始まりですね。風間杜夫さんや渡辺えりさん、三宅裕司さんが旗揚げに使ってくださって、そこから自然と有名になっていったんです。
──今でもお寺は地域の催しや芸術活動の場としてよく使われていますが、その延長線に劇場が誕生したのですね!そこから朝比奈さんが関わられるまでの経緯もお聞きしたいです。
僕が海外から帰ってきて日蓮宗の宗務院で働いていた頃、日本中のお寺に出張する仕事をしていましたが、劇場をやっているお寺なんてまずありませんでした。僕自身、初めは「お寺で演劇?」という感じだったんです。
ただ、お坊さんとして演劇を見たときに、祈ることと芸術を見ることってイコールで、どちらも生きるを養うことだと思ったんですよ。いい演劇作品と出会って、泣く、笑う、怒る、みたいなことが、薬にもなるんですよね。そこに面白さを感じて、自分でもやっていこうと思うようになりました。
―僧侶の目線と演劇という要素が、そこで重なるんですね。
江戸時代のお寺は「エンタメ空間」だった
──お坊さんが書かれる時代劇、すごく観てみたいです!どんな要素が詰まっているのでしょうか?
僕が書く脚本には、たぶん僧侶目線が入っているんですよ。江戸時代の人は寿命が短いし、病気になったらおしまいというのもあって、親からもらった命を大切に生きていくというところがありました。今と違って、もっと人間らしかったっていうのかなあ。一所懸命生きるんですよね。
何より、恥というものをちゃんとわかっていた文化だと思っています。江戸時代の人たちは、「親の顔に泥を塗る」とか「ご先祖様に顔向けできない」っていう気持ちが根底にある美学を持っていました。例えば火事になったとき、牢屋の番人が「このままじゃお前ら焼け死んじゃうから全員逃げろ、でもこの日までには戻ってきてくれよ」って言うと、今だったら誰も戻ってこないかもしれないけれど、全員戻ってくるんですよ。現代人の裏の裏の人間の真相を描いていく世界もあるけれど、僧侶として、人間のそういう一番潔い部分を描きたいと思っています。
──時代劇で描かれるそういった世界観と、僧侶としての生き方に大きく重なるところがあるんですね。
その辺って、演劇やアニメのようなエンタメのほうが伝わりやすい部分があると思います。江戸時代のお寺のことを調べると、どこもエンタメをやっていたんですよ。境内地で芝居をやっているお寺はいくらでもあって、珍しくなかったんですよね。富くじや、興行代をお寺の修繕などに充てる勧進相撲もありました。人をどうやって集めるかということを当時も考えたんでしょうね。
──今ではお寺で演劇と聞くと珍しく感じますが、むしろそれが当たり前の時代があったんですね!そういえば現代でも、近くにある雑司ヶ谷の鬼子母神の境内で唐十郎さんの唐組の公演が行われていますね。
鬼子母神はまさに時代を感じる山道で、わかりやすく当時を思えますよね。当時はお寺で行われる声明(しょうみょう)も、娯楽が少ない時代の一つの芸術でしたから、それを聞くのも人々の楽しみだったでしょうし。体に染み入ってくる音楽も薬になって、生きることを養っていたんだろうなと思います。
――日々の楽しみと生きる力を与えてくれるものが、大きく重なり合っていたんですね。現代のお寺は静かにおとなしく過ごす場所という印象がありますが、ワクワクするものが詰まったにぎやかな場所でもあったんですね。
誰の心にも響く内なる仏の声
──音といえば、池袋大仏さまには、仏さまの特徴である三十二相(さんじゅうにそう)のうち三十一までが揃っていて、音によって完成するというお話も気になりました。
絵や木に彫った仏像に、最後に何かを足すことで完成するという考えがありまして。自分の中の仏さんを見つけて初めて、木の仏像が仏さんになるということです。仏さんが手を合わせていて、こちらも同じように手を合わせると、何かを感じたりしますよね。そこに物を投げつけようなんて思わないのは、たぶん自分の中の仏が声を発し始めているからだと思うんです。
仏教の考え方に「十界互具(じっかいごぐ)」というものがあります。心には地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏という十の世界があって、それぞれの世界が他の世界も備えているということなんですよ。人の姿をしていても、その十個の世界が僕らの中にあるんです。生きているとどうしても、修羅道に堕ちて「この野郎!」みたいな気持ちを抱いたり、餓鬼道に堕ちて「どうしてもあれが欲しい」という気持ちになったりします。逆に当然仏さんも僕らの中にいて、それを感じる時もあるわけです。その仏の声を聞くということだと思いますね。
――人間にはいろんな心がある中、手を合わせることで自分の中にある仏の心が共鳴して、チューニングが合うみたいなことでしょうか。
朝比奈さん:育ってきた環境によっては、そういう音を聞きづらい人生もあると思います。どうやって生きたらいいのかという知恵を与えられずに、ひたすらストレスだけが溜まっていったら、そうならざるを得ないですよね。でも、本当は誰もが生きる知恵を自然と感じているし、欲しているんだと思います。
――今すぐ触れたり信じたりする機会はなかったとしても、薬になる知恵はあるんだと知るだけで、生き方が違ってきそうな気がします。
朝比奈さん:僕、あえて言わないんです。「信じなさい」なんて。それは大仏さんに頼んでいるんです。僧侶にできるのは仏さんの周りをきれいにして、仏さんに仕えること。お坊さんは、周りを常に掃除して、お香をあげてという行いをする給仕です。その中で仏さんと会ってくれたらいいなと思っています。
──仏像の美しさに惹かれる人もいれば、境内に咲く花からお寺に出会っていく人もいるかもしれませんね。今日お話をお聞きして、仏教と植物のつながりを感じられるようなお寺を巡ってみたくなりました。
小田原市の蓮華寺副住職の羽田鳳竜さんを訪ねてはいかがでしょうか。境内でたくさん蓮を育てていて、寺ヨガや子供たちのプログラミング教室を行なっているお寺です。当山の別院が神奈川にあるので、神奈川の日蓮宗の青年僧の集まりでお会いしました。僕と同じくサックスや雅楽をやっている方です。
――蓮のお寺に、どんな音が響いているのでしょうか。とても楽しみです!
松栄山 仙行寺(しょうえいざん せんぎょうじ)
住所:東京都豊島区南池袋2-20-4/営業時間:9:00〜18:00/定休日:無/アクセス:地下鉄有楽町線東池袋駅から徒歩4分、JR・私鉄・地下鉄池袋駅から徒歩5分
朝比奈文邃さんプロフィール
明治大学卒業後、立正大学に編入。日蓮宗宗立谷中学寮にて学ぶ。大学院在院中に大荒行堂にて初行を成満。日蓮宗宗務院奉職を経て仙行寺に戻り、2018年に第二十八世住職となる。「ざ☆くりもん」主宰および脚本。「シアターグリーン」代表。株式会社アリー・エンターテイメント代表取締役。池袋演劇祭実行委員長。NPO法人Halo ART理事長。南池袋公園をよくする会会長。近年はNHK「BS時代劇 大岡越前」の脚本を務めるなど、活動の幅を映像にも広げている。
取材・文・イラスト=増山かおり 撮影=仙行寺、増山かおり
増山かおり
ライター
1984年青森県生まれ。かわいい・レトロ・人間の生きざまが守備範囲。道を極めている人を書くことで応援するのがモットー。著書『東京のちいさなアンティークさんぽレトロ雑貨と喫茶店』(エクスナレッジ)等。