ゴッホ、ルソー、広重も。中秋の名月に「月」の名画を楽しもう!
「中秋の名月」とは、旧暦の8月15日頃を指す言葉で、2025年には10月6日が中秋の名月です。 古くから、日本では中秋の名月の頃に、団子やススキなどをお供えし、美しい月を眺める「お月見」を楽しむ習慣があります。平安時代に中国から日本へ伝わったとされ、以来現代においても、風流なイベントのひとつとして愛され続けているのです。 月の持つ神秘的な魅力や美しい輝きは、世界中のアーティストを虜にしてきました。古今東西さまざまな画家たちが、月を描いた名作品を生み出しています。 本記事では、「月」をテーマにした名画たちを取り上げました。2025年の中秋の名月は、本物の月とともにアートを楽しみませんか?
19‐20世紀の西洋画に描かれた「月」とは?
19‐20世紀 西洋画の月①:ヴィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』
ヴィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』
『星月夜』は、ゴッホが精神の病を患っていた頃、サン・レミ養老院から見た景色を描いた作品です。
絵の中央に見える小さな教会は実際の風景には存在しておらず、ゴッホが架空に描き加えたモチーフでした。
空中いっぱいに表現されたうねるようなタッチ、輝く月やまたたく星たちさえ包み込んでいるように見えます。ゴッホの目に、月や星々はどのように見えていたのでしょうか。
後年の研究では、本画が聖書の一部を絵画化したという説や、かつてゴッホが失敗した『オリーブのキリスト』という作品の「苦悩」を表現したものではないかという説が浮上しています。
37歳で没した波乱の画家、ゴッホ
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ『ローヌ川の星月夜』
ヴィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)は、「ポスト印象派」の画家です。オランダ南部にて牧師の息子として生まれました。
神職の道を志したゴッホでしたが、神学部への受験に失敗し、挫折しました。その後画家となることを決意し、1886年にパリへと移住したのです。
やがて精神的に追い詰められ、自身の耳の一部を切り落とす事件を起こすなど、不安定な状況が続きます。その後も静養しながら制作を続けましたが、1890年にわずか37歳という若さで亡くなりました。銃弾を胸に受けたことから、自殺を図ったと見られています。
19‐20世紀 西洋画の月②:フリードリヒ『月を眺める2人の男』
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ『月を眺める2人の男』
夕暮れの秋の森を散歩する2人の男性。現れた月の美しさに、思わず足を止める様子が描かれています。
絵の中にいるのは、作者であるフリードリヒ本人と、弟子のアウグスト・ハインリヒだと言われています。人々が月に魅了され、その美しさや神秘さをしみじみと感じ入る様子が表現された作品です。
月の魅力は絵画だけではなく、当時の文学、音楽、哲学などあらゆるものに表れており、月を題材にした多くの芸術作品が誕生しました。
ロマン主義の代表的画家、フリードリヒ
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ『霧の海の上の放浪者』
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774-1840)は、ドイツのロマン主義における代表的な画家として知られています。
同世代には、音楽家のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)や作家のヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ(1749-1832)らがおり、この時代にたくさんの芸術が進歩しました。
『月を眺める2人の男』からもわかるように、フリードリヒは自然の厳しさや荘厳さを描き、大きな自然と小さな人間の対比を描いた構図を用いました。そして、美しくも厳しい自然の中に、宗教性や深い精神性を込めたのです。
19‐20世紀 西洋画の月③:アンリ・ルソー『夢』
アンリ・ルソー『夢』
アンリ・ルソーが生涯最後に描いたのが、この『夢』です。
ルソーは晩年、森に住む動物たちや南国の植物を描くようになりました。それまで、その独特の画風はなかなか評価されませんでしたが、60歳を過ぎてようやく人々に認められるようになったのです。
タイトルの通り、まるで夢のように美しい森の中には、動物、花、木々や葉が描かれています。ルソーが愛したものたちが作品に詰まっており、その美しさに思わず息を呑んでしまいます。
そして、背の高い植物や花々で埋め尽くされた空の向こうに、くっきりとした月が見えます。まるで、南国の森で月を見上げているような気持ちにさせられます。
評されてもめげず、独自の世界観を築いたルソー
アンリ・ルソー『眠れるジプシー女』
アンリ・ルソー(1844-1910)は、フランスの税関職員として働きながら、独学で絵筆を執り続けた異彩の画家です。
ルソーは仕事が休みの日に、少しずつ絵を描き進めました。41歳で初めて展覧会に絵を出品した際「下手な絵」だと酷評を受けましたが、それでもめげることなく作品を描き続けます。
作品のモチーフとなった南国や熱帯地域に足を運んだことはありませんでしたが、植物園や動物園、図鑑などからさまざまなインスピレーションを得て、独自の作風を築き上げました。
庶民の暮らしと幻想の世界。浮世絵に描かれた月とは?
浮世絵の月①:月岡芳年『月百姿』シリーズ
月岡芳年『つきの百姿 大物海上月(だいもつかいじょうのつき)弁慶』
月岡芳年による『月百姿』シリーズは、8年間で100枚以上の作品が描かれたものです。浮世絵の中でも屈指の数を誇る「揃い物(シリーズ)」であり、芳年の生涯最後の作品群でもあります。
芳年は、月という幻想的なモチーフを、さまざまなテーマと組み合わせて描き出しました。たとえば、シリーズで最も有名な『つきの百姿 大物海上月(だいもつかいじょうのつき)弁慶』は、能の演目である『船弁慶』に取材したものです。
兄・源頼朝に汚名を着せられた源義経は、西国に逃げる航海の途中、かつて義経によって滅ぼされた平家の怨霊たちに襲われてしまいます。しかし、義経の部下である弁慶は、その法力によって見事に彼らを鎮めたのでした。
本画には、荒れ狂う波に毅然と立ち向かう弁慶が前面に描かれ、その後ろに、雲の隙間から煌々と輝く月が顔を見せています。波の音だけが聞こえるような、夜の海の美しさが魅力的な1枚です。
「血みどろ芳年」「最後の浮世絵師」と呼ばれた月岡芳年
月岡芳年『月百姿 玉兎(ぎょくと) 孫悟空』
月岡芳年は明治20年代から30年代の頃活躍し、「最後の浮世絵師」として知られた人物です。
残虐な場面や表現を多く用いたことから、1960年代頃からは「血みどろ絵」、あるいは「無惨絵」といったイメージを植え付けられていました。
ですが、実際には残酷な絵だけではなく、物語をモチーフにした浮世絵や、歴史をモチーフにした浮世絵など、数々の作品を残しています。
『月百姿』は、そんな芳年が病の床にありながら、渾身の力で描き上げたシリーズです。彼はさまざまな表情を見せる「月」に、どんな思いを込めていたのでしょうか。
浮世絵の月②:歌川広重 『名所江戸百景 猿わか町よるの景』
歌川広重『名所江戸百景 猿わか町よるの景』
『名所江戸百景 猿わか町よるの景』は、風景画で有名な浮世絵師、歌川広重(1797-1858)が描き続けた『名所江戸百景』シリーズのひとつです。
猿若町(さるわかちょう)は、現在の東京都台東区にある地名です。
「江戸三座」として人気を博した中村座・市村座・森田座の芝居小屋が、「天保の改革」によって強制的に移転させられたのが猿若町でした。
「天保の改革」では倹約のために庶民の贅沢が禁止され、当時の最大の娯楽だった歌舞伎や浮世絵がどんどん縮小されていきました。さらに安政2(1855)年には、猿若町が大地震や火災に襲われるなど、厳しい状況が続きました。
しかし、本画に描かれているのは、大変な状況の中でも希望を失わず、穏やかな表情で行き交う人々の姿です。空を見上げる人も描かれており、夜の暗さとは裏腹に温かい雰囲気が漂っています。
ぼんやりと雲がかかった月には、まるで人々を見守っているような優しい存在感があります。
諸国の美しい風景と人々を描いた広重
歌川広重『東都名所 高輪之明月』
歌川広重(1797-1858)は、浮世絵における風景画の巨匠として知られています。
代表作は、『東海道五十三次之内(とうかいどうごじゅうさんつぎのうち)』シリーズや『江戸名所百景』シリーズです。「ベロ藍」と呼ばれる青い顔料をふんだんに使った色彩や、旅情をかき立てる風景によって、現代でも高い人気を誇っています。
また、風景画に描き込まれた人々や動物たちの表情にも注目したいところです。おおらかでほのぼのとしたその表情は、鑑賞者の心をほっこりと温めてくれます。
まとめ
世界中の画家たちによって、さまざまな形で描かれてきた月たち。
満ち欠けによってその姿は変わりますが、ゴッホが見た月も、広重が見た月も、現在私たちが目にしている月と同じものです。そう考えると、深いロマンを感じませんか?
中秋の名月には、夜空に輝く美しい月を眺めるだけではなく、月を描いた名画の素晴らしさも堪能してみてはいかがでしょうか。
参考書籍:
『ゴッホ原寸大美術館 100%Van Gogh!』(小学館)
『[おはなし名画シリーズ]アンリ・ルソーとシャガール』(博雅堂出版)
『鬼才 月岡芳年の世界 浮世絵スペクタクル』著:加藤陽介(平凡社)
『江戸十八大浮世絵師 絵師から入る浮世絵の世界』著:深光富士男(河出書房新社)
『代表作でわかる浮世絵BOX』著・監修:太田記念美術館(講談社)