102年前の関東大震災の記憶を歩く。「百年(ペンニョン)」と朝鮮人虐殺の証言をたどって【両国~亀戸~八広】
大正12年(1923)9月1日、関東大震災が発生。直後から「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマが広がり、軍隊・警察、そして民間人の自警団などが朝鮮や中国の人々を虐殺した。この記憶について学ぶ「百年」のフィールドワークに参加し、残された目撃証言をたよりに両国~亀戸~八広の現場を歩いた。
公的記録に残らないもの【横網町公園】
震災から102年が経ち、体験した人がほとんどいなくなった中、20〜40代のメンバーからなる「百年(ペンニョン)」というグループが虐殺事件について記憶し、考えるための活動を行っている。その一環となる今回のフィールドワークは、聞き取り調査や文献から集めた証言の現場を訪ね、その場で音読するというものだ。
両国駅西口に集合した「百年」のメンバーと参加者たちは、まず都立横網町公園に向かった。ここには関東大震災と東京大空襲の犠牲者を祀(まつ)る「東京都慰霊堂」がある。当時この場所は、陸軍の被服廠(ひふくしょう)(工場)の跡地で、火災から逃れた人々の避難所となった。ところが家財道具に火が燃え移ったことから大火災が発生、3万8000人とも言われる避難者が焼死。それがこの慰霊堂建立のきっかけとなった。くじ引きで決めた順番で、まずは私がこの場所で証言を読み上げた。
「(略)それまで多くの死体を見てきたが、被服廠跡のすごさには比べようがなかった。そのわずかの空き地で血だらけの朝鮮の人を4人、10人ぐらいの人が針金で縛って連れてきて引き倒しました。で、焼けボックイで押さえて、一升瓶の石油、僕は水と思ったけれど、ぶっかけたと思うと火をつけて、そしたら本当にもう苦しがって。(略)」
(浦辺政雄・当時16歳)*1
自分で発した声が耳から入ると、内臓が圧迫されるような苦しさを覚えた。「慰霊堂に掲げられた案内板では火災で亡くなった人々のことには触れていますが、虐殺された朝鮮人たちのことは書かれていません」と、「百年」の本多心さん。
なお荘厳な慰霊堂の北側には、こぢんまりとした「朝鮮人犠牲者追悼碑」があるが、これは「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会」が1973年に建て、東京都へ寄贈されたものだという。
虐殺の証言が多数【亀戸~小村井】
公園を後にした私たちは、隅田川沿いの証言をたどったのち、亀戸駅へ。亀戸周辺もこの惨劇を知る上で重要な場所だ。
「当時の亀戸は交通の要衝だったため、被災後、軍が早期に到着して厳重な治安警備を行いました」(「百年」遠藤純一郎さん)。そして組織ぐるみで朝鮮人虐殺を行っていたという証言が多数残っている。私たちは駅前で証言を読み上げた。
「(略)亀井戸警察署の練武場に収容されていた朝鮮人は三百余名にのぼっていたが、この日午後1時には騎兵一個中隊が来て同警察を監視しはじめた。(略)このとき指揮者は、銃声がきこえると附近の人に恐怖感を与えるから、銃の代りに刀で殺せと命令した。そこで軍人たちはいっせいに刀を抜いて83名を一時に殺した(略)」
(崔承萬(チェスンマン)による「亀井戸署で働いていた羅丸山(ナファンサン)氏の目撃談」)*2
凄(すさ)まじさに皆、言葉を失う。「朝鮮人たちは、『保護する』という建前で警察署に連れてこられたと言われています」(遠藤さん)。該当の場所まで行ってみると、そこにはかつての悲劇を感じさせる要素などみじんもない平凡な商業ビルが立っていた。
穴を掘って遺体を埋めた【東向島~荒川河川敷】
北十間川に架かる境橋を渡り、東武亀戸線の小村井駅から電車に乗って東向島駅へ。曳舟(ひきふね)川通り沿いの寺島警察署跡を経由し、最後の目的地である荒川河川敷を目指した。
今回私たちが歩いた道は、震災時、火災に追われた人々が避難したルートとおおむね同じだという。たくさんの避難民が押し寄せたという旧四ツ木橋は今はない。その100mほど下流にある木根川橋の下で、私たちは最後の証言に耳を傾けた。
「四ツ木橋の下手の墨田区側の河原では、10人ぐらいずつ朝鮮人をしばって並べ、軍隊が機関銃でうち殺したんです。まだ死んでいない人間を、トロッコの線路の上に並べて石油をかけて焼いたですね。そして、橋の下手のところに3カ所ぐらい大きな穴を掘って埋め、上から土をかけていた。(略)」(浅岡重蔵)*1
証言をたどれば、軍が機関銃を撃ったのは、土手の上だったという。では私たちが今いるところは、朝鮮人が並ばされ、狙い撃ちにされたあたりなのだろうか。今殺されんとする恐怖はどれほどのものだったのか。そして殺す側は何を考えていたのか。
虐殺事件の記憶をつなぐ【ほうせんかの家】
延べ5時間の街歩きを終えた私たちは、最後に虐殺現場のすぐそばにある『ほうせんかの家』を訪ねた。ここは、毎年犠牲者の追悼式を行い、証言の聞き書きを続けてきた「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」/一般社団法人ほうせんかが運営する小さな資料館だ。理事の西崎雅夫さんが出してくれたジュースで喉を潤しながら、皆、今回の感想を語り合った。
「当時の言葉を誰かが声に出して読むことで、今は形にないものが確かにそこであったんだ、ということを想像できた」。ひとりが言うと、西崎さんがしずかに口を開いた。
「朝鮮人虐殺は日本が朝鮮を植民地支配している時期に起こったため、徹底的に隠蔽(いんぺい)されました。だから、歴史を知るには証言しかない。何があったのかは、生身の人間の言葉からしか伝わってこない。それこそが歴史を伝えていくためのツールなんだと思います」
歩き終えて、疑う余地もないと思っていた日常の光景に102年前のレイヤーが重なっている実感が湧いた。この感覚はきっと、ネットや本からの知識だけでは得られなかったものだと思う。
「追悼式は、『続いていくもの』 みたいな感じがある」
「百年」は、『ほうせんかの家』を訪れた若い世代を中心に2021年末に結成された。
「ほうせんか」が毎年行ってきた追悼式を継承し、「ほうせんか100周年追悼式実行委員会」として23年の追悼式の企画・運営を担ったほか、フィールドワークやワークショップ、読書会や上映会などを開催している。
メンバーは流動的で「15~20 人くらい」。職業や参加の動機もさまざまで、自身のルーツからの問題意識を持つ人や、研究の延長でという人もいる。「ホウセンカを使う韓国・朝鮮の伝統的な爪染めを体験できると聞き、『百年』メンバーで漫画家のとれたてクラブさん主催のイベントに参加したのがきっかけ」と言うのは小泉多恵さんと平石萌さん。
「ほうせんか」の西崎さんは言う。「理事の平均年齢も70歳近く、このまま活動が終わってしまうとこの地域で起こったことがなかったことにされてしまう。それが一番怖いんです。だから、若い人たちが集まってくれるようになって本当にうれしかった」。
西崎さん自身も、1982年の大学4年の時に「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し慰霊する会(のちに「追悼する会」)」に参加して以来活動を続けている。
「慰霊する会」は、小学校教諭だった絹田幸恵(ゆきえ)さん(故人)が荒川放水路の歴史を聞き取りしていた時に、「デマのためにたくさんの朝鮮人が殺され、旧四ツ木橋の下手に埋められた」という証言を聞いたことがきっかけとなり発足した。遺骨を発掘することはできなかったが追悼式と聞き取りを続け、証言集や活動記録を出版。追悼碑を建て『ほうせんかの家』を開いた。「場」ができたことで多くの人が訪れ、若い人たちの入り口になったのだ。
101周年の追悼式で、「ほうせんか」理事の愼民子(シンミンジャ)さんは「『殺される恐怖、殺す恐怖』が、被害・加害の側という立場を越えて、共有されることになったことは、100年目の大きな成果」と語った。「百年」のメンバーたちは、このような活動を継いでいくことをどのように感じているのだろうか。
小泉さんは「みんな集まりたいから集まるし、やりたいからやっている、という感じなのかなと思います」と、気負いがない。唐井梓さんは、日々できることを続けていきたいと話す。「追悼式のような場だけでなく、フィールドワークに人を誘ったり活動を人に話したりすることを日常の中でやっていくことで、人も集まってくるのかなと思います」。
そんな彼らに次の活動予定を尋ねると、「どうしよっか、いつ集まる?」から盛り上がる。スマホ片手に週末の予定の相談をするような軽やかさが頼もしかった。
「百年」の今後予定
「関東大震災102周年 韓国・朝鮮人犠牲者追悼式」は9月6日(土)15時から荒川河川敷 木根川橋下にて。フィールドワークは2025年10月25日(土)にも開催予定。最新情報はInstagramで。
『ほうせんかの家』詳細
ほうせんかの家
住所:東京都墨田区八広6-31-8/営業時間:毎週土の13:00~17:00に開放/アクセス:京成電鉄押上線八広駅から徒歩1分
取材・文=鈴木紗耶香 撮影=鈴木奈保子
『散歩の達人』2025年8月号より
*1 出典:関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会『風よ鳳仙花の歌をはこべ——関東大震災・朝鮮人虐殺から70年』教育史料出版会、1992年(※当日のフィールドワーク資料の表記にあわせて、数字は算用数字とした)
*2 出典:崔承萬著・極熊崔承萬文集出版同志會編「 関東大震災の思い出」『 極熊筆耕』寶晋齋、1970年、初出は民族問題研究所編「関東大震災の思い出」『コリア評論』1970年4 ~ 7月号、コリア評論社(※当日のフィールドワーク資料の表記にあわせて、数字は算用数字とした)
【参考】
西崎雅夫編著『〈増補百年版〉関東大震災朝鮮人虐殺の記録——東京地区別1100の証言』現代書館、2023年
ほうせんか編著『増補新版 風よ鳳仙花の歌をはこべ——関東大震災・朝鮮人虐殺・追悼のメモランダム』ころから、2021年
一般社団法人ほうせんか ブログ https://housenka1923.hatenablog.com/
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