90年代の傑作!小沢健二「LIFE」オザケンが30年前のアルバムを生で再現するその意味は?
日本武道館で行われる「LIFE」アルバム再現ライブ
アルバム『LIFE』の発売日は1994年8月31日。そのピッタリ30年後の8月31日の土曜日に日本武道館で、スカパラのメンバーやスチャダラやヒックスヴィルや服部隆之指揮のオーケストラ…、つまり一緒に録音した大勢のみんなと、『LIFE』全曲の音を再現します。キーボードが3台入っている曲は、3人のキーボーディストで再現。「あの音だ!」となるはず。昔一緒に聴いてたご友人や、最近音楽に興味のあるお子さんたちと聴きにきてください。帰り道、「お父さん、なんで泣いてるの?」となるやつです。笑
今年4月、小沢健二自身の名前で発表されたこの告知は、オザケンファンにとっては涙モノだっただろう。このコメントが出た時点ですでに “お父さん、なんで泣いてるの?” と子どもに言われた方も多いんじゃないだろうか。
今回、日本武道館で行われる “一夜限り” の『LIFE再現ライブ』は小沢とファンにとって特別な意味を持っている。注目は、小沢のコメントにある “最近音楽に興味のあるお子さんたちと聴きにきてください” という一文だ。単に昔を懐かしむだけのライブなら、今あらためてやる意味がないし、オザケンがそんな後ろ向きなことをするわけがない。これは “自分が大切にしてきたものを、次の世代に継承するためのライブ” なのだ。
まさに『LIFE』= “人生の1枚”
今からジャスト30年前、1994年8月31日にリリースされた小沢の2枚目のソロアルバム『LIFE』は、収録9曲中実に7曲がシングルカットされており、ベスト盤ではないのに、その趣もある1枚だ。当時の小沢の充実度が窺えるし、90年代半ば、このアルバムを10代後半〜20代のときに聴いた層(今40代後半〜50代)にとってはまさに『LIFE』= “人生の1枚” でもある。
私は小沢より1歳年上で、本作がリリースされたときは27歳だった。いちおう同世代ではあるのだが、同じく年の近い奥田民生、斉藤和義、吉井和哉らの音楽を聴いて感じるような “同世代感覚” は小沢には感じない。というよりむしろ “1つ下の世代” という印象すらある。なぜなんだろう?
それはおそらく、奥田らがビートルズはじめ60〜70年代の洋邦ロックから受けた影響を隠すことなく楽曲へ反映させているのに対し、小沢の音楽はとにかくポップで、いろんな要素が混在、ルーツがパッとわからなかったことも多分にある。明らかに同世代の他のアーティストとはバックグラウンドが違っていたし、どの曲も洗練されていてオッシャレーだった。“いったいどんな音楽を聴いて育ったら、こんな曲ばかり書けるようになるんだろう” と不思議に思いながら聴いていた。
さまざまな洋楽のエッセンスを取り込み日本のポップスを “進化” させていった小沢健二
当時誰かが、“オザケンはさぁ、平成の筒美京平なんだよ” と言っていて、あー、なるほどと膝を打った記憶がある。稀代のヒットメーカー・筒美京平はウェットな日本の歌謡曲が大嫌いだった。そんな土壌を変えようと、日本の音楽にない、さまざまな洋楽のエッセンスをどんどん取り込みヒットさせることで、日本のポップスを “進化” させていった。
かつて筒美が日本の歌謡界に対して感じていたフラストレーションを、小沢もまた、当時の日本のポップスシーンに対して感じていたに違いない。まさか『LIFE』の翌年(1995年)に小沢が筒美と組んで「強い気持ち 強い愛」を発表するとは思わなかったけれど、同時にすごく納得した。
筒美はつねに最新の音楽を聴き、これはという若い才能が登場すると “一度逢いましょう” と声を掛ける人だった。小沢もそのお眼鏡にかなった1人で、よほどウマが合ったのだろう、2人は世代を超えてプライベートでも親交を結ぶようになる。「強い気持ち 強い愛」も、何も言われなければオザケン作曲だと思うだろう。『LIFE』のストリングスのアレンジも筒美作品を彷彿とさせるし、2人は作家としての感性においても、根本のところで近いものを持っていた気がする。
『LIFE』に収録された楽曲はどれもスッと耳に入ってきて心地よいけれど、どの曲も “自分が聴きたい曲はこういう曲なんだけど、誰も書かないから自分で書く!” という小沢の決意が痛いほど伝わってくる。『LIFE』というシンプル極まるタイトルも “これが僕の人生であり、生き様です” という宣言であり、生半可な気持ちではつけられないタイトルだ。
本作のコンセプトそのものだった「愛し愛されて生きるのさ」
また、このアルバムは “恋愛” がテーマになっている。オープニング曲「愛し愛されて生きるのさ」なんて、曲名からして本作のコンセプトそのものだし。けっこう小っ恥ずかしい表現もあったりするが、小沢は “ナルシスト” と揶揄されようと、まったく気にせず我が道を行った。当時の小沢にとっては “LOVE” = “LIFE” だったのだ。
バブルもすっかり弾けきった1994年。“もうさぁ、今信じられるものって、つまるところ、“愛” しかなくない?” …そう言い切ってくれる小沢は、どんどん殺伐としていく世の中で、心の拠り所を求めていた当時の若者たちの救世主になった。彼らにとって『LIFE』はいわば “心のベスト10 第1位” でもあった。
ノッケから「愛し愛されて生きるのさ」と宣言した小沢は、2曲目も「ラブリー」で飛ばす飛ばす。この曲、(あえて)ヒネリのないブラスが素晴らしい。そう、「♪君と僕とは 恋におちなくちゃ」。そうすりゃ、ホントに楽しい人生を取り戻すことができるのだ。ラスト、♪パラパラパ〜 という脳天気なブラスに乗せて、小沢が叫ぶ「♪LIFE IS COMIN’ BACK」は、あの超明るいトーンで歌うからこそ心に響く。たとえダチョウ倶楽部・肥後にモノマネされようと(笑)。
「今夜はブギー・バック」のオザケンマジック
オザケンが明るく突っ走るこのアルバムの中で、異彩を放っているのはやはり、スチャダラパーとコラボしたファンクディスコ「今夜はブギー・バック」だ。「♪よくなく なくなく なくなくない?」って、いいのか悪いのかどっちだよ? なんだけど、お笑い要素の入ったスチャダラパーと組んだチョイスは、このアルバムで鳴っている、ちょっとコミカルな響きのブラスに通じるものがある。
この曲なんかも、「♪神様がくれた 甘い甘いミルク&ハニー」「♪そうさ今 君こそがオンリー・ワン」なんて、普通の感覚だと気恥ずかしくて歌えないし、それだけ見るとめちゃくちゃダサいフレーズのはずなのに、スチャダラパーのまるで意味のないラップ、「♪俺って何も言ってねーっ」が間に入ることによって、オシャレに聴こえてくるから不思議だ。このオザケンマジックはもちろん計算ずくなのだが、「♪ほんのちょっと困ってるジューシー・フルーツ 一言で言えばね」の意味不明さがまた彼らしい。そもそも一言じゃないし(笑)。でもね、なんか愛に溢れてるじゃないですか、このフレーズ。甘酸っぱいよね。
「LIFE」の世界観をいちばん象徴している「ぼくらが旅に出る理由」
ライヴ仕立てで収録されている「いちょう並木のセレナーデ」や、「おやすみなさい、仔猫ちゃん」もオザケンのメロディメーカーぶりがいかんなく発揮されているけれど、この『LIFE』の世界観をいちばん象徴しているのは「ぼくらが旅に出る理由」だ。
自分としばらく離れて、遠いところに旅に出る彼女へ “あふれる幸せを祈るよ” とメッセージを贈るこの曲は、「♪遠くまで旅する恋人に」が最後だけ「♪遠くまで旅する人たちに」に変わっている。そう、「♪ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり 誰もみな手を振ってはしばし別れる」のだ。この “しばし” がどれだけの期間になるかは、わからない。だけど、いつかまた逢える。そのことが大事なのだ。
いくら2人の距離が離れていようと、逢えない期間が長くなろうと、根っこのところで通じ合っていれば、なんら隔たりなどなく心は通じ合える。つまりそれが “愛” なのだ。オザケンが30年前の作品『LIFE』を生で再現する意味は、まさにそこにある。そして彼は、1994年以上に世界が殺伐としている今、その “愛” を音楽とともに、次の世代へ伝えたいのだ。8月31日の武道館は、愛で溢れる “ラブリー” な空間になるに違いない。LOVE & PEACE!