現代に注目を集めるアリストテレスの「徳」。なぜ失われ、復興したのか──『哲学史入門Ⅳ』
徳倫理学の復興──善い生き方をいかに実現するか
第一人者とのインタビュー形式で、哲学史の流れと論点を大きくつかむ“まったく新しい入門シリーズ”『哲学史入門』が、読者の皆様の声により、ついに再始動!
2025年9月10日発売のシリーズ第4巻『哲学史入門Ⅳ 正義論、功利主義からケアの倫理まで』では、倫理学を学ぶ意味から、功利主義、正義論、ケアの倫理など、複雑極まる現代を私たちがどう生きるべきか、正しさとはなにかを考えさせる「倫理学」の魅力を幅広く伝えます。
人文ライターの斎藤哲也さんが、古田徹也さん、児玉聡さん、神島裕子さん、立花幸司さん、岡野八代さん、ブレイディみかこさんというトップランナーと向き合う本書より、立花幸司さんが指南役を務める第3章「徳倫理学の復興 善い生き方をいかに実現するか」を一部公開します。
聞き手:斎藤哲也
なぜ徳倫理学は衰退したのか
──徳倫理学というと、教科書的にはアリストテレスに始まったのち、ストア派や中世キリスト教思想に受け継がれたものの、近代に入って徐々に廃(すた)れ、二〇世紀後半にふたたび英米圏で復興したというストーリーで語られます。このストーリーは妥当なのかどうかというあたりからお話をうかがえればと思います。
立花 義務論や功利主義と比べると、現代の徳倫理学は歴史的にまだ浅いんですね。そのため、徳倫理学の歴史については、いまだに十分な理解や定説がまとまっていないというのが実情です。
復興という点から言えば、一九五八年にアンスコムが「現代道徳哲学」を発表したのが大きなきっかけになっています。その前にも少し準備段階はあったと思いますが、本格的な復興はそこからです。そう考えると、まだ七〇年も経っていないわけですよね。だから研究の蓄積じたいが浅いし、そもそも「徳倫理学史」と呼べるものが、ちゃんと存在しているのかどうかすら怪しい。
でもだからこそ、私はこの分野が面白いと思っているんです。そうした前提を踏まえたうえで、いま私が把握している限りで、なぜ廃れていったのかについて説明してみます。
後でまた話題に出るかもしれませんが、アラスデア・マッキンタイアが『美徳なき時代』で描いた近代像は、かなりの影響力を持ちました。彼が言うには、近代においてキリスト教社会の安定性が失われ、個人が個人として自分で世界を構築しなければならなくなった。そうしたとき、哲学者たちは「私の理性によって世界を把握する」という近代的な合理性に頼るようになった。
その流れのなかで、道徳についても「私の理性によって普遍的なものを把握する」ことが目指されるようになり、結果として、キリスト教的な価値観に支えられていた徳倫理のようなものは、頼りないものと見なされるようになっていったというわけです。
彼の語るストーリーは、大勢の人に響いたんですね。ただし、ほんとうにそれが正しいのかどうかは、しっかり検証しなければいけない。というのも、このトピックはとにかくデカいからです。
──アリストテレスから現代までカバーしないといけませんよね。
立花 そう。一人の研究者が一生かけてもやりきれないようなテーマです。古代・中世から近代まで、それぞれの時代の哲学研究者たちが、チームで取り組んで初めて明らかにできるものだと思います。
──マッキンタイアの説に対して異論・反論も出ているんですか。
立花 一例として、ドイツのドロテア・フレーデ(一九四一‐ )という古代ギリシア哲学の研究者がいます。彼女は「徳倫理学の衰退の歴史」というタイトルで、マッキンタイアに批判的な論文を書いています。
その論文では、徳倫理学が廃れたのは、マッキンタイアの言っているような哲学的な立場の変化だけではなく、当時の社会構造の崩壊も大きな要因ではないかと指摘しています。
中世の徳倫理は、基本的にはキリスト教的な政治制度や価値観と結びついたものでした。それが失われた背景には、戦争が頻発し、地域国家が不安定になったという、現実的な社会変動があった。そういった現実の社会制度の崩壊のほうが、むしろ決定的な理由だったのではないか、と。
キリスト教と一体だった中世の徳
──なるほど。「徳倫理が失われた」と言うとき、人々のなかで徳に対する理解や、それにもとづいた生活が希薄になっていったという側面と、哲学的にも徳をテーマにしなくなったという側面とは、ほぼ並行して進んでいったのでしょうか。
立花 結果的には、そうなったんだと私は思っています。ミルの『自由論』なんかは典型的ですけど、当時の社会を説明したり、新しい制度を考えたりしようとした哲学者たちにとって、徳というフレームはあまり実用的ではなかったんじゃないでしょうか。つまり、徳という概念を使っても、現実の人々の状況をうまく説明できない。人々が抱えている困難を解決する助けにもならなかった。
あと、私はクリスチャンではないので断言はできませんが、やはり「徳」という概念にまとわりついているキリスト教的なフレーバーみたいなものも、使いにくさに拍車をかけたのではないかと思います。
──徳って、そんなにキリスト教風味が強い言葉なんですか。
立花 どうしても、教条的になりがちなんですよね。日本語でも同じだと思いますが、「人としてこうあるべきだ」という話になってしまう。プラトンの挙げた「勇気」「節制」「思慮深さ」「正義」といういわゆる「四元徳」に、キリスト教はさらに三つの「対神徳」―――「信仰」「希望」「愛」を加えて、「人間にとって何が大事なのか」を七つの徳にまとめ、それを教義として教会のなかで扱った。そこにしっかりなじめる人にとってはいいのかもしれませんが、そうでない人にとっては、ただのお説教に聞こえてしまう。それが徳概念の使いにくさにつながったんだと思います。
いずれにしても、近代に入って「徳」という概念は用をなさなくなっていったことはたしかです。たとえばニーチェ(一八四四―一九〇〇)は、「教育者としてのショーペンハウアー」(一八七四)という論文で、次のように語っています。
徳とは、そんな言葉では教師も生徒もそれ以上何も考えられないという言葉であり、人々が嗤う時代遅れの言葉なのである―――嗤わないとしたらそれは良くないことだ。なぜなら、そのとき人々は偽っているだろうから。
「現代徳倫理学について──理論の概要、日本における始まり、教育という観点」『フィルカル』六巻二号、二〇二一年、立花幸司訳、九九頁
つまり、「virtue(徳)」なんて言葉は、真面目に使おうとしても、もはや全然意味が伝わらなくなっていたということです。それくらい、一八、一九世紀のヨーロッパでは、徳という概念はすでに力を失っていた。二〇世紀に入っても、その状況はあまり変わらなかった。
アンスコムがやろうとしたのも、そうした状況への挑戦だったのでしょう。のちの一九八〇年代、アリストテレス全集を英語に翻訳するときも、「virtue」という言葉では学生たちに意味が伝わらないから、代わりに「excellence(卓越性)」という訳語を使おうとした、というエピソードもあります。ごく最近まで、このギリシア語を英語でどう表現するかに悩むほど、「徳」という概念は歴史のなかで失われていたわけです。
そもそも何が失われたのか
立花 マッキンタイアに対しては、また別の観点からの批判もあります。
徳倫理学史を紡ごうとすると、たいていはアリストテレスにさかのぼるんですけど、アリストテレスは古代ギリシアの哲学者のなかの一人にすぎません。プラトンもいれば、ストア派もいて、そのなかの「ワン・オブ・ゼム」だった。必ずしもトップ・オブ・トップではなかったんです。
それに、アリストテレスの研究じたいも、原著が失われていて、のちにアラブ世界経由で再発見されるなど、複雑な歴史的経緯もあります。だから、「徳倫理学が失われた」と言っても、そこで言う徳倫理学がアリストテレスの言っていたこととほんとうに同じものだったのか。そこすらも、実は怪しいんです。
たしかにトマス・アクィナス(一二二五頃―七四)のように、キリスト教神学者のなかにはアリストテレスにシンパシーを持つ人たちもいました。ただ全体的に見ると、やっぱりアリストテレスの思想はキリスト教的な価値観とは相性があまりよくない。むしろ、プラトンのイデア論的な考え方のほうが、キリスト教とはずっと親和性が高かった。
たとえばアリストテレスは「見た目がよくないとあんまり幸せになれませんよ」みたいなことを言っちゃうわけです(笑)。のちにニーチェが批判しましたが、貧しく、虐げられてきた人こそがすばらしいとするキリスト教の「善き生」の価値観からすると、「うーん、それはどうかなあ」という感じになってしまう。
だからアリストテレスは、常に批判の対象になっていた。ルター(一四八三―一五四六)もアリストテレスを批判していましたしね。そういう意味で、失われたとされる徳倫理とアリストテレスの徳倫理を簡単に同一視できないようなズレがそもそも存在している可能性があるんです。
私が理解する限り、いまの研究状況でもそのあたりはまだ不安定で、はっきりとしたスタンダードは確立されていない。
だから、たしかに「失われた」と言える。でも、そもそも何が失われたのか、なぜ失われたのかについては、いままさに検討中というところです。
アンスコムたちが徳に向かった理由
──二〇世紀後半になって、アンスコムが徳倫理学復興の狼煙を挙げたわけですが、なぜ彼女は徳という問題に取り組んだんですか。
立花 アンスコムが描いたパースペクティブでは、キリスト教的な世界が瓦解(がかい)して、神がいない状態になった。でも、その神のもとにあった「~すべき」とか「~しなさい」という道徳的命令のスタイルだけは、名残として残ってしまった。
道徳哲学者たちは、その残された「べき」をめぐって議論を始めたわけです。たとえば、「この機械を動かすにはこのプラグをつなぐべき」という意味の「べき」と、「困っている人がいたら助けるべき」という意味の「べき」は、同じものなのか? といった議論をするんですね。つまり「べき」という概念だけがこびりついたままなので、なんとかそれを説明しようとする。でもそれは実際のところ、キリスト教的な背景が失われた後に残った「影」と戦っているようなもので、実はそこには何もないんじゃないか。そういう感覚が、アンスコムがこの問題に取り組んだ大きな動機の一つだったと思います。
もう一つ考えられるのは、アンスコムとR・M・ヘア(一九一九―二〇〇二)って同い年なんですよ。当時はヘアのほうが、職位的にも格上だったと思います。何が言いたいかと言うと、ちょっと単純化しすぎかもしれないんですが、ヘアのような「どんな行為であれ、それが普遍化できる限り道徳的なステータスを持つ」という、なんでもありみたいな考え方に対して、やっぱりそれはおかしい、われわれの道徳的実感や実践とは合わないんじゃないかという同世代としての反発があったと思うんですよね。
そうした問題意識が重なったときに、じゃあ「べき」とか「べし」を使わずに、もっとちゃんとした倫理の考え方はできないのかという問いが生まれた。そこでアンスコムが立ち戻ろうとしたのが、アリストテレスでした。
アンスコムに加えて、フィリッパ・フットやアイリス・マードックといった、当時のオックスフォード大学の若手とされる女性研究者たちが、こぞって徳倫理学の原型になるような動きを立ち上げるんです。彼女たちの活動は、いま西洋では熱心に研究されていて、とても面白いテーマになっています。
たとえば、彼女たちが徳倫理学を復興させようとしたとき、時系列的には古代ギリシアがあって、中世キリスト教があって、近代道徳哲学があって、現代メタ倫理学がある。「じゃあどこに戻るか」というときに、キリスト教には戻らなかった。そこを飛ばして、アリストテレス、つまり古代ギリシアに戻ったんです。
──なぜ、中世キリスト教ではなく、アリストテレスに戻ったんですか。
立花 いろいろ理由が考えられると思います。たとえば、トマス・アクィナスよりもアリストテレスのほうが時代的に古いから、そちらに戻ったほうが理論的な強みがあるとか、あるいは、オックスフォードでは古代ギリシア研究が一つの標準的なアプローチだったから、という理由もあるでしょう。
でも、個人的には、それだけではなくて、キリスト教が持つある種の色合いを嫌った、あるいはそこから距離を取ろうとした、そういう意図もどこかにあったのではないかなと、ちょっと思ったりします。
また、キリスト教(カトリック)は同性愛や自殺を強く禁止していて、そういったものへの反発もあったのかもしれません。それで言えば、アンスコムは熱心なカトリックでしたが、フットとマードックは無神論者だったので、別々の想いがあったとも考えられます。そこまでいくとわからないことも多いので、断言はできないんですけど。
大切なものは見てわかる
──いま挙げていただいた三人が、みな女性研究者という点も興味深いです。
立花 それについては、たしかフィリッパ・フットがインタビューで答えていました。「なぜ当時、あなたたちはそんなふうに集まれたんですか?」と聞かれて、彼女はこう答えたそうです。「戦争で男子がいなくなったから」と。
──身も蓋もない答え……。
立花 もちろん、フット自身は謙遜して言っていたのかもしれないですけど。それにしても、優秀すぎる三人ですよ。
──当時のオックスフォード大学というと、日常言語学派的なエートスもあったんでしょうか。
立花 あったでしょうね。ギルバート・ライル(一九〇〇―七六)もいたし、ヘアもいましたし。オックスフォードの空気として、日常言語学派的なものはしっかり残っていたと思います。
それに対して、たとえばマードックは一時期サルトル(一九〇五―八〇)に惹かれたんですよね。でも、やっぱりどこか違うんじゃないかと感じて、プラトンを使ってサルトルを批判する方向に向かう。一方で、アンスコムやフットはアリストテレスを使う。だから、そこには少し毛色の違いがありました。
ただ、共通している点もあります。とくにマードックに顕著ですが、「見てわかる」という考え方です。つまり、道徳的判断とは、推論を積み上げてようやく到達するようなものではなく、価値あるもの、大切なものは直接見てわかるのだという発想です。これはアリストテレスもそうですし、プラトンもそうです。マードックの場合、それが「イデアを見る」という話につながっていく。つまり価値はそこにあって、われわれはそれを直接把握することができるという考え方です。
だから、ヘアが言っていたような「普遍化可能性」の議論や、「べき」や「べし」の論理的な議論とは異なります。徳を持つことそれじたいが、価値を直接把握できるようになることなんだ。彼女たちは、そういう議論をしていたわけです。
『哲学史入門Ⅳ 正義論、功利主義からケアの倫理まで』では、
・倫理学に入門するとは何をすることなのか
・現代に生きる功利主義――誰もが幸福な社会を目指して
・義務論から正義論へ――カントからロールズ、ヌスバウムまで
・徳倫理学の復興――善い生き方をいかに実現するか
・なぜケアの倫理が必要なのか――「土台」を問い直すダイナミックな思想
・「地べた」から倫理を考える
という6章構成で、倫理学の魅力とその可能性に迫ります。
立花幸司
1979年、東京都生まれ。千葉大学文学部准教授、ジョージタウン大学メディカルセンター国際連携研究員。東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻博士課程修了。熊本大学大学院文学部准教授などを経て現職。博士(学術)。専門は古代ギリシア哲学、現代徳倫理学。編著『Alternative Virtues』(Routledge)、『徳の教育と哲学』(東洋館出版社)など。
斎藤哲也
1971年生まれ。人文ライター。東京大学文学部哲学科卒業。著書に『試験に出る哲学』シリーズ(NHK出版新書)、監修に『哲学用語図鑑』(プレジデント社)など。