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日本の池・川・湖の<ヌシ>とは一体なんなのか? 『ヌシ 神か妖怪か』ブックレビュー

サカナト

『ヌシ 神か妖怪か』(発行:笠間書院)

小さい頃、特定の場所にくると「なんかいやだな……いやだなー……ここなんかやだなー……」って思うようなところって、ありませんでしたか?

あるいは、すごいきれいな海や川、あるいは池や湖でもいいでしょう。

「ここいいな」と思って入って泳いでみたら、遠くのほう底のほうが霞んでぼやけてよく見えなくて、ぜったいこれは「何かいる」としか思えなくて、背中がひんやりしてきてなんとなくすごすごと岸辺に戻る……とか。

書籍『ヌシ 神か妖怪か』(伊藤龍平、笠間書店)はたぶん、そんなお話です。

本邦初「ヌシ」を総合的に捉えた本

笠間書院から2021年に発行された『ヌシ 神か妖怪か』は、日本の怪異の世界に登場する「ヌシ」という存在に焦点をあててまとめた、本邦初の本格的読み物といえる書籍。

想像を絶する意味不明で奇怪な現象、人知を超えた存在、あるいは神話に登場する伝承、奇妙としか言いようがないあやかしや様々なうわさや伝説、語り継がれてきたオーラルヒストリーです。

日本各地に存在する様々な怪異

日本には姿かたちをかえた様々な怪異が知られていますが、中でも身近な自然の中に存在する水域、幽玄な山奥、あるいは古びた建物に潜む、齢を重ねて神秘の域に到達した生き物のことを「ヌシ」である、とこの本では定義づけています。

妖怪や怪奇現象の本は数あれど、ヌシのみに着眼してまとめあげたのは、先人の民俗学者や妖怪研究者の仕事を見渡してもこの本が初出、ということなのだそうです。

本書は日本で語られてきたヌシ、あるいはヌシと思われる存在について、数々の伝承から抽出しその事例を紐解いて、ヌシの種類や行動原理、ヌシ界の社会と人との関わりを明らかにしていき、あらためてヌシとは何なのかについて迫っていく、という内容になっています。

「ヌシ」の存在について

「ヌシ」といわれて一般的に想像されるのは、底の見えない深い川の淵や池に潜む巨大な水棲生物、例えばコイやナマズ、ウナギ、イワナ、サメ、ヘビ、カニ、カメ、虫類のほか、龍など想像上の生き物があげられると思います。

お堀のヌシ(提供:PhotoAC)

実際のところ、事例のほとんどはこのような水辺に潜む“モンスター”が関わる伝承といえます。

しかしそれだけでなく、先程の定義に当てはまる事例におさまるのであれば、化け物が人に姿を変える、あるいはその逆に人が化け物になるというパターンのヌシもいる、としています。

いずれにしても、ヌシとは生きて尊きあるいは畏怖を放つ存在であり、霊異ではないのが特徴としてあげられています。

では、ヌシは「神か妖怪か」どちらなのでしょうか。

人によって祀られるのが神で、人に服従しない存在が妖怪とし、そのどちらにも当てはまる横断的な存在としてヌシを挙げています。

「ヌシ」の発見者

ヌシという存在を最初に発見したのは誰なのでしょうか。それはわかりません。

しかし妖怪を世に知らしめた人はわかっています。

アマビエ像(提供:PhotoAC)

最初にその仕事に取り組んだのが、江戸時代中期の浮世絵師である鳥山石燕といわれています。

鳥山石燕は伝承や噂話の存在でしかなかった妖怪について『画図百鬼夜行』などの画集を制作し、今日に知られる妖怪像を定着させた人物として知られています。

近代に入ってからは民俗学者の柳田國男が、その生涯をかけた民間伝承を記録していくというフィールドワークを通じて、妖怪とは「生活の中で生まれた存在であり恐怖や習慣から発生した」という研究を行いました。

浮世絵師や民俗学者から漫画家へ

このふたりなどから影響を受けたのが、昭和の妖怪博士にして漫画家・水木しげるの妖怪漫画や妖怪図鑑と言われています。

ヌシの逸話はハナシだけを聞いていると遠い昔話だったり展開が突飛すぎて想像力が追いつかないことがあったりしますが、これを現代人が視覚的に柔らかくかつ人を突き放すような畏怖の存在としてイメージできるのはほとんど水木しげるの作品のおかげだといえるでしょう。

日本の「ヌシ」の祖型は古い神だった

本書で最初に最も古いヌシとして取り上げられるのが「夜刀神(やつのかみ・やとのかみ)」です。

夜刀神とは『常陸国風土記』に登場する暴れ神で、関東地方独特の地理的呼称である「谷戸」、つまり水資源に恵まれた丘陵や山裾の谷間に棲む蛇をかたどる神とされます。

谷戸の風景(提供:PhotoAC)

風土記では夜刀神は単一の存在ではなく複数で襲いかかるとされ、またあるときは風化に従わぬ(天皇の意に従わない)国津神(天孫族降臨以前から日本にいた神)とも描写されていて、単純な生き物ではなく、先住民とのいさかいを象徴した存在とも受け取ることができます。

谷戸の地形は弥生時代頃の初期水田稲作の好適地で、日本列島では最も遅く東北地方よりも遅れて稲作が伝播した関東地方における、ニューカマーの水稲民と先住民との戦いの姿を伝えているのかもしれません。

いずれにせよ、その水辺に潜んで人に猛威を振るう荒ぶる生物の姿は本書のヌシの定義に当てはまり、夜刀神を祖型としたかどうかはわかりませんが、ヌシの棲むくに日本が形作られていったとしています。

ヌシとは人の手に負えない自然の猛威の象徴であり、あるいは人が自然に近づいたからこそ顕現する存在、ともいえるでしょう。

なぜ人は怪異に遭遇するのか

そもそもの話なのですが、なぜ人は怪異に遭遇するのでしょうか。

東アジアにおける怪奇譚の発端といわれるのが、紀元前4世紀~2世紀頃に中国で成立した『山海経(せんがいきょう)』です。

『山海経』は中国最古の地理あるいは神話の書であり、神や妖怪、奇妙な動植物、異民族、鉱物資源などが記されています。例えばこの中に登場する怪異のひとつが「魑魅魍魎」です。

魑魅(ちみ)とは山の精霊を指し、魍魎(もうりょう)とは水辺に住む精霊、あるいは人の魂が変化したものとされています。

『山海経』は道教や陰陽道の思想にも影響を与えたとされ、これらの知識や考えは古代の渡来人や遣唐使などを通じて日本にももたらされます。

それが何なのかを「知っているから遭遇する」のです。

本書に登場するヌシは、話の類型が成立するほど「同じように習合したエピソード」が様々な地域に広く伝播していることが伺えます。

『山海経』を直接知らなくても、その意図するところやわかりやすい逸話は人々の口伝によってものすごい勢いで広がっていくといったものなのでしょう。

日本人の自然観や自然への畏れは独特なものがありますが、あるいはこのような信仰がその下敷きとなっていったのかもしれません。

ヌシとはいったいなんなのか

ヌシとは、自然あるいは水辺への畏れが生んだ怪物といえるのかもしれません。

話の類型に多いのが池や淵にまつわるヌシの伝説ですが、古代から中世を通じて水場は貴重な作物の恵みをもたらし、あるいは里に溢れて人々を押し流し、あるときはちょっとしたはずみで人を死に追いやるインシデントが発生する、人と自然の接点のような役割を果たしてきたのだといえるでしょう。

ヌシの類型は「人が近寄らなければ襲ってこないもの」、そして「恵みを与えることもあるが約定を違えれば死さえもたらすもの」として描かれることがほとんどです。

水辺はときに近寄りがたい(提供:PhotoAC)

ヌシが主に水辺の生物をかたどるのは、水への畏怖であり、そして生き物が身近にいる奇妙な存在だったからといえるでしょう。

本書では水木しげるの言葉として次のように引用しています。

「最近は妖怪のすみそうなところは、どんどん道路ができて、車がはいきガスをまきちらしているから、だんだん妖怪もすみにくくなっていることは確かだ。都会のマンションでコンクリートばかりのところに住んでいる人は、妖怪を感じられない」(『ヌシ 神か妖怪か』より)

令和の現在、オカルト話はどちらかというと一笑に付されることが多いジャンルになってきているといえそうです。

都市にも怪異は存在するかとは思いますが、インターネットの光や人間の英知は「まだ知らない世界を覆う霧」を晴らしていって、不思議なものはどんどん姿を消していっているようにも思われます。

それでもなお、人は自然の猛威には抗えない。

本書ではヌシの末裔の話として現代創作を挙げていて、例えばそれは『ゴジラ』を代表する怪獣であり、『風の谷のナウシカ』に出てくる「王蟲」であり、他にも日本独特の風土が生んだヌシの登場する作品として『もののけ姫』や『蟲師』があると指摘しています。

これらの作品は確かにヌシの国・日本でなければ生まれなかったでしょう。

日本の山奥にはまだ「大イワナ」なんかが棲息していて、ときどき釣りの世界などで話題になることがあります。あるいはまだ知られていない巨大生物も……。

これから語られるヌシは、いったいどんな生き物になるのでしょうか。

(サカナトライター:鈴川悠々)

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