全国の美味しいものが集まるスーパー「マスヤ味方店」の栗林さん。
ここ最近、独自性のある商品ラインナップや売り場を展開する個性的なご当地スーパーが注目されています。新潟市南区味方にある老舗スーパー「マスヤ味方店」には、店長の栗林さんが自信を持って選んだ全国の美味しいものが並び、遠方から足を運ぶ「マスヤ」ファンも多いんだそう。家業のスーパーに新しい風を吹かせた栗林さんのこれまでのことや、今後の大きな目標について聞いてきました。
マスヤ味方店
栗林 礼奈 Rena Kuribayashi
1991年新潟市南区生まれ。高校卒業後、京都の立命館大学に進学。卒業後は東京で就職し、人材系の会社やIT企業で営業として働く。退職後、新潟に戻り家業の「マスヤ味方店」を手伝う。現在は店長を務める。
東京から新潟に戻り、実家が営むスーパーの店長に。
――「マスヤ」は栗林さんのご実家なんでしょうか?
栗林さん:そう、ここが実家です。「マスヤ」をはじめたのはひいおじいちゃんからで、創業して74年です。
――栗林さんはこちらの店長さんになるまで、しばらく県外にいたそうですね。
栗林さん:高校を出て、昔から関西に憧れがあって京都の大学に進学したんです。東京で就職したいと思っていたから、東京でも就職できるようなサポートの手厚い大学に行きました。
――東京ではどういうお仕事を経験されたんですか?
栗林さん:1社目が大手人材系の会社で、2社目がIT商社。どちらも営業をやって一定の成果は出せたんだけど、もっと自分の個性を出せる仕事があるはずだと思ったんです。それでサラリーマンを辞めて、オーストラリアにワーキングホリデーに行くことにして……。
――へ〜、思い切りましたね。
栗林さん:よくある話だけど、とにかく海外に行って自分の方向性を見つけたいと思ったんです。でも行く準備をしていたら、コロナ禍になってしまって。
――あらら……。
栗林さん:会社は辞めちゃったし、東京の家も解約したから、仕方なく新潟に帰ってきました。だからといって新潟でまたサラリーマンをするのも、東京と同じようなことになるなと思って、とりあえずバイトのつもりで実家のスーパーを手伝ったんです。そしたらすごく面白くて。それまではずっと、スーパーの仕事を否定していたんですよ。
――昔は家業のスーパーが好きじゃなかったんですか?
栗林さん:両親が働いている姿を見ていて、休みはないし、働き詰めの割にはそんなに裕福というわけでもなかったし、仕事のことで喧嘩もよくしていたから、スーパーの仕事を尊敬できなくって。それに地元だと「マスヤの礼奈ちゃん」って呼ばれるのがすごく嫌でしたね。その反骨精神もあって、とにかく田舎から出たかったんです。
――でも実際に働いてみたら、すごく楽しかったと。
栗林さん:この10年、天職に就きたいとずっと思い悩んでいて、これが天職か~って思いました。将来はここの社長になる決心をして、父親に「私、このスーパー継ぐわ」って言ったのが3年前です。
自分の力が発揮できる、スーパーの仕事。
――どういうところで「天職だ」と思えたんでしょうか。
栗林さん:私は絵を描くこととかデザインすることとか、どっちかっていうと感性を使う仕事の方が合っていると思っていて。だけど東京でやっていたようなITの仕事ってめっちゃ理系で左脳を使うんですよ。自分がド文系だからっていうのもあって、ITの仕事をしていたときは「こうしたら会社が伸びるんじゃないか」っていう発想がぜんぜん湧かなかったんです。でもスーパーの仕事をしてみたら「こうしたらお客さんが喜ぶだろうな」ってアイディアが自然と湧いてくるし、POPやチラシを描く作業とか、すべてにおいて自分の持ち味が発揮できたんですよね。
――「マスヤ」の店内を見ていると、栗林さんのアイディアがお店に詰まっているなって感じます。
栗林さん:東京の仕事は「替えの利く仕事」って感じて辞めたけど、ここなら自分がいる意味を見出せそうだって思ったんですよ。このスーパーを見てもらうと分かる通り、自分で言うけど、けっこう個性豊かじゃないですか(笑)。人と違うことをするのは好きだし、新しいことに挑戦するのも好きだから、他のスーパーにはできなそうなアイディアが湧いてくるっていうか。スーパーで新たなポジションを築けそうって思ったんです。
――スーパーの仕事は栗林さんの得意なことをいかせる、ぴったりの仕事だったんですね。
栗林さん:あと、お店の魅力を伝えるのに、若い人に向けてはSNSでいいんですけど、近所の50~70代の方に向けてはチラシを配っているんです。iPadで手作りしていて、今までもイラストを描くのは好きだったけど、営業をしていたらいかせる場面ってないですし。
――チラシも手作りなんですね。じゃあご近所の方はチラシを見て来る方が多いんですか?
栗林さん:そうですね。チラシの日はとてもにぎわいます。あとは口コミもけっこうあるかも。マスヤの熱狂的なファンが、友達を連れて来てくれたり。この前は常連さんが「レストランで後ろの席の人がマスヤの話をしていて嬉しくなった」って言っていました。近所の方とかは、職場の休み時間とかに「マスヤのあの商品が美味しかった」って情報交換をしている人もいるみたいです。
――そういうふうに、ファンがつくスーパーって素敵ですね。地元に「マスヤ」がある人たちが羨ましい。
栗林さん:他のスーパーと違うのが、インスタでも私の名前を出して、私が美味しいと思ったものを発信しているんです。だから私と味覚が合う人からの信用度が高くて、インスタに載っている商品のどれを食べても美味しいって言ってくださるんですよね。
――一度東京に出てから新潟に戻ってきて、地元の見え方は変わりましたか?
栗林さん:変わりましたね。外に出たからこそ、新潟の良さが分かる。東京だと、電車が2分に1本とか出ているから、みんなが急いでいるんです。毎日忙しいから、生活のすべてが作業になっているように感じて。だけどこっちは比較的、時間がゆっくりに感じるんです。心に余裕があるから「田んぼの色、緑になってきたな」とか「春の匂いを感じるな」とか、季節とか風景を愛でる余裕ができたなって。
――環境を変えたことで気持ちにもゆとりが生まれたんですね。
栗林さん:一流のサラリーマンになりたかったし、東京に行くことがお給料の面でも経験値を積む面でも、いちばんいいのかなって思っていました。でも、ただお金をただ稼ぐだけじゃ幸せになれないんだなって感じたんです。お金のために働くっていう選択をしてITの仕事に就いたけど、私はITの仕事が好きじゃないからストレスがすごくて。お金だけがあっても自分の心は満たされないんだなと思って。
――なるほど……。
栗林さん:だったらお金はいったん置いておいて「いくら稼ぐか」じゃなくて「何をやって稼ぐか」。仕事内容にこだわってみようと。東京にいたときほどの収入には達していないけど、それでもぜんぜん、今のほうが幸せ。
目標は「マスヤ」のカルフォルニア進出。
――「マスヤ味方店」の店長として、これからの目標ってありますか?
栗林さん:カリフォルニアにマスヤを作りたいです。
――へ〜! 「マスヤ カリフォルニア店」ですか。
栗林さん:大学の時にひとりでアメリカを横断したんですけど、ロサンゼルスがいちばん好きだったんです。今、カリフォルニアで日本食ブームがすごいんですって。なのに日本食スーパーは3店舗しかなくって、その中でもコンビニサイズのスーパーがめちゃくちゃ流行っているらしくて。そのサイズのスーパーなら私も10年、20年かければできるかもって思ったんです。
――なんとも夢が広がりますね。
栗林さん:とりあえず今年の秋に視察へ行こうと思っています。日本は少子化で、国内のお客さんを奪い合っておたら売り上げは伸びなくなる。でも日本の農作物って美味しいから、海外ならもっと高値で売れる。それならマスヤとしてカリフォルニアに行って、農家さんの野菜を日本よりも高く売れれば、農家さんたちにも還元ができて、農家の減少、国内食料自給率の減少にもつながるから、やる意義はあるかなって。真面目に考えているんですよ(笑)
マスヤ味方店
新潟市南区味方103-1
TEL:025-372-3439