“10年住んだら無償譲渡”の「贈与型賃貸住宅」。長崎発、空き家と不動産活用の画期的な仕組みと取組み
長崎の161段を登った先の空き家が贈与型賃貸の仕組みを生んだ
2020年3月、長崎市にある不動産会社明生興産の尾上雅彦さんは同業者から「売り切れないのでなんとか買ってくれ」と懇願され、築53年の1軒の空き家を買い取った。
明生興産は1987年に創業、中古住宅の売買仲介、買取再販事業を主力とする不動産会社だったが、2017年に尾上さんが社長に就任。以降は空き家、古民家の再生、個人宅のリノベーション工事などを手掛けてきた。同業者としては尾上さんなら手を入れて売るなり、貸すなりしてくれると踏んだのだろう。
3LDK、平屋で日当たりのよい住宅だったが、問題は街から家の玄関にたどり着くまでに161段もの階段があること。バス停まで坂を上っても、下っても200mほどあるという斜面ど真ん中の家だったのである。
「この家に住んでもらうにはどうすればよいだろうと考えました。家賃をタダにしたら、あるいは1万円と極端に安くしたら誰かが住んではくれるでしょうが、それでは改修ができない。最低限の改修をして、それが回収できるほどの家賃を設定、それで住んでもらえるためにはどうすればいいか。1年半ほどずっと考えていました」
そこで思いついたのが“10年居住したらその時点で賃貸住宅として住み続けるか、土地・建物を無償で譲り受けるかの選択できる”という仕組み。賃料を安く設定しても10年住んでもらえば改修費用は十分に回収できるし、子育て世帯にとっての10年はちょうど良いタイミングだ。
「子育ては子どもの成長に伴って出費が増えていきます。特に大きいのは高校、大学への進学のタイミング。その時点で住宅を譲り受け、家賃支払いがなくなったら家計への負担が軽減できます。また、子育て世帯だけでなく、我が家を手に入れたいけれど所得、働き方その他の問題から融資が利用しにくい人や若い人たちにも役にたてるのではないかと考えました」
新聞掲載と同時に話題。年間100軒もの空き家相談が
そこで住宅を改修、この仕組みを贈与型賃貸と名付けて2022年10月から募集を始めた。
階段はあるものの、家賃は月額2万9,000円と相場より安く、既存を活かしたシンプルな内装の家でこれが話題になり、すぐに地元の長崎新聞に掲載された。
ご存知のように長崎は斜面地が多く、そこに細い路地、階段が縦横に伸び、古い木造家屋が密集して建っている。建替えできない、車が入らないというエリアも多く、空き家は解体はするのも大変だし、解体しても新たに建物が建てられるわけではない。そんな空き家を壊さずに活用、しかも、それが子育て世帯などのためになるというのだ。空き家所有者にしたらお荷物だった建物が社会の役に立つことになる。
また、長崎は長らく転出者数が転入者数を上回る転出超過が続いてきた。
空き家を使うことが斜面の活性化に繋がればそこに貢献できる可能性も出てくる。家を解体してゴミにしないことは環境にもプラスだ。
贈与型賃貸が注目を集めたのは当然かもしれない。結果、入居者がすぐに決まっただけでなく、以降、長崎県内を中心に空き家の相談が尾上さんの元に殺到するようになった。
「現在までの相談です」と出されたファイルはとんでもなく分厚く、平均すると年間100件ほどに及ぶ。
「できるだけ早く見に行くようにはしていますが、九州外までは行けませんし、最近は相談のペースに追いつけていません」
相談してくるのは半分以上が相続した人たち。関東など遠隔地に住んでいる人も多く、近所から苦情が出るのでとにかく早く手放したいという。空き家バンク、近隣の不動産会社に頼んだもののの全く動きがなく、長く続く八方塞がり状態にしびれを切らして尾上さんに相談してきたという例が大半。
「不動産会社6軒に電話して、まったく相手にしてもらえなかったという人もいました」
物件は現地を見に行き、AからDまでの4段階に判定する。Aはそのままでも使える、Bはなんとかなるだろう、Cはちょっと難しい、Dは絶対無理とのことで、贈与型賃貸として検討するのはAとB。
リストを見ているといくらでもいいからとにかくなんとかしてほしいと書かれた物件が並び、困っている人たちの多さが分かる。
使えない空き家も解体費半額分の寄付で引き取って再生する
特にDは家が古すぎる、老朽化が激しい、現在の家族構成に合わないほど規模が大きいなどで賃貸住宅として活用するのが難しいと判断されたもの。ただ、尾上さんはこうした物件でもなんとかなる事例を作ろうと、新たにC、Dランクの空き家を対象に寄付贈与型賃貸という類型を作り、すでに2軒、再生させている。
これはその名の通り、寄付をもらって空き家を引き取って再生、贈与型賃貸として貸し出すというもの。改修後はこれまでと同じ贈与型賃貸として運用するのだが、その前の所有者から尾上さんの手に渡るところに新たに寄付というワンクッションが入る。
「本来であれば解体もやむなしという状況になっていることもありますが、それでもお父さん、おじいさんが建てた家だからなんとかして残したいという人がいらっしゃいます。そんな場合には解体費の半額くらいを目安に寄付をいただき、それを建物を改修する際に使わせていただくことにしています」
前述したように長崎の空き家は斜面地に多い。車が入れないような立地であれば解体費は400万円、500万円と平地の車が入る場所に比べて多額に及ぶ。しかも、解体しても以降はその土地を維持管理していく必要がある。であれば、解体費の半額ほどを払っても手放したいという人が少なくない。
「寄付をいただければその分、家賃を抑えることが可能になり、より子育て世帯その他入居者にやさしい賃貸住宅にすることができます」
贈与型、寄付贈与型の2種類のやり方で2022年以来すでに7軒(うち2件が寄付贈与型)の空き家を再生してきた尾上さんだが、できればこれを全国の不動産会社にやってほしいと考えている。そのために視察に来たいという人たちを断ることはなく、ほとんどすべてを受け入れ、ノウハウも含めて惜しむことなく情報を提供している。
「日本の不動産会社数はコンビニエンスストアより多く、2023年3月の時点で13万社近く。1社が1軒手掛けるだけで日本全国では13万軒の空き家が再生されます。空き家の情報をまとめるところまでは空き家バンクでもできますが、それを使える不動産にして流通させていくのは不動産会社の仕事です」
自社施工の不動産会社だから可能なこと
ただ、仲介だけをやっている不動産会社ではここまでの仕事はできない。尾上さん自身は建築出身ではなく、特に勉強したこともないというが、明生興産は自社で工事部を持っており、だからできると尾上さん。
「たとえばある空き家の改修に200万円かかったとしましょう。自社で工事をしていない不動産会社の場合、そこに100万円を乗せて収益性を計算することが多く、そうなると家賃が高くなってしまい、子育て世帯などにとっては借りにくくなってしまいます。
一方、最近では工務店で宅建業をとっている会社もあり、そうしたところや設計事務所などが視察に来ることもあります。でも、難しいのは借りる人のニーズを踏まえ、喜んで借りていただける、でも、費用をかけ過ぎないラインを見抜くこと。工務店、設計事務所はしばしばやりすぎます」
1,000万円かけて改修、それを10万円で借りてくれる人がたくさんいる地域ならいいが、そんな地域ばかりではない。それよりも市場に合わせて200万円で改修、6万円で貸すほうが喜ばれることのほうが多いという。
「特に子どもがいる家庭などではきれいに内装を仕上げるより、汚しても良いように、あるいはDIYできるようにコンパネを貼っただけの壁のほうが喜ばれることがあります。そうすれば10万円でやるものが1万円で済み、家賃を下げられます」
市場を知っている強みが生きるのだ。もうひとつ、工務店、設計事務所などはリスクを負ったことがないという指摘も。
「そんな時には社員5人、こんな弊社でもできるんですよと伝えています。大事なのは規模ではなく、思い。やりがいがある、社会に貢献できる仕事で、ちゃんと収益も上がります。そこを理解することです」
宮城県石巻市でも「贈与型賃貸」がスタート。仕組みの全国拡大を期待
地元の新聞、テレビで何度も取り上げられていることもあり、現在の相談者、入居者はそれを見て問合せてきた人が多い。
「訪ねてみるとこたつの上に新聞の切り抜きが置かれていておばあちゃんがその前に座って待っていてくれたり、2人の子どもを育てながら狭い市営住宅に住んでいたシングルマザーがテレビを見て連絡、平屋を借りて広くなったと感謝されたりとメディアの力を感じています。一度も宣伝、広告は出したことはありませんが、メディアを通じてコンセプトが伝わり、子育て世帯を中心に、こういう人に住んでもらいたいと思ったような居住者が集まってきています」
気になるのは10年後に譲渡を受ける人がいるかどうかだが、まだ、取組み自体が始まったばかりで10年住む人が出るのは早くて6~7年後以降。退去は自由にできるので、すでに転勤で退去した人もおり、さて、今後どうなるか注目だ。
もうひとつ、無償で譲渡となると受け取る人が税金などを払わなくてはならず、それが負担にならないかという点も疑問に思ったが、現時点での試算によると20~30万円ほどで済むという。
「法人から個人への譲渡は一時所得扱いになり、贈与税は適用されません。一時所得は総合課税対象となるので、給与所得などと合算して納税額が決まることになります。
納税額を算出するためにはまず、不動産の価値を評価することから始まりますが、譲渡された不動産は私たちが手にした時点でかなり古く、建物の価値はそれほどありませんし、周囲に空き家が増えている地域なら土地の価格も同様。それほど高額に及ぶことはなく、今、貸している不動産を例に試算してみたところ150万円ほど。
加えて譲渡を受ける人の年収を300~400万円として試算してみると所得税は6万円ほどになる計算。そこに登記を司法書士などに依頼したと想定して約10万円、不動産取得税が約7万円として合計で20万円程度。物件によってはもう少しくらいと考えています」
この額を10年借りている間に貯めておけば我が家が手に入るとなれば、子育て世帯に限らず、借りたいと思う人は少なくないはずだ。
ところで取材後、7月に河北新報(宮城県仙台市に本社を置く河北新報社が発行する日刊新聞)が宮城県石巻市で贈与型賃貸住宅の取組みが始まったことを報じた。記事には「長崎の先行事例を視察し、導入を決めた」とあり、尾上さんの取組みが広まり始めたことが分かる。
日本各地の不動産会社にはぜひ、この取組みに追随していただきたいところだ。