#4 自然に一致して生きる――岸見一郎さんが読む、マルクス・アウレリウス『自省録』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
哲学者・岸見一郎さんによる
マルクス・アウレリウス『自省録』読み解き #4
自らの戒めと内省こそが、共生への道となる――。
名君と名高いローマ皇帝マルクス・アウレリウスが、自己の内面と徹底的に向き合って思索を掘り下げ、野営のテントで蠟燭を頼りに書き留めたという異色の哲学書『自省録』。
『NHK「100分de名著」ブックス マルクス・アウレリウス 自省録』では、困難に立ち向かう人を勇気づけ、対人関係に悩む人へのヒントに満ちた不朽の名著である『自省録』を、『嫌われる勇気』で知られる岸見氏がやさしく解説します。
今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします
(第4回/全5回)
自然に一致して生きる
アウレリウスが少年時代から深く傾倒していたのは、古代ギリシアのストア哲学です。始祖はキプロス島キティオン出身のゼノン(紀元前三三五~前二六三年)。ストアの名は、ゼノンがアテナイの列柱廊(ストア)で自らの思想を講義していたことに因んだもので、英語の「ストイック(stoic)」はこれを語源としています。
ストア派の系譜は大きく三期に分けられ、アウレリウスは後期ストア派の一人に数えられています。彼が特に影響を受けたのは、同じく後期ストア派の賢人、エピクテトス(五五~一三五年)でした。『自省録』にも随所にエピクテトスの言葉が引用されています。エピクテトスの晩年はアウレリウスが哲学に感化された少年時代と重なりますが、直接教えを受けたというわけではなく、恩師ルスティクスの蔵書によって、この賢人とその思想を知ったと記しています(一・七)。
もはや善い人とはいかなるものかを論議するのはきっぱりやめ、実際にそのような人間であること。
(一〇・一六)
『自省録』でアウレリウスはどうあることが善い人であることかを自分に言い聞かせるように繰り返し書いています。もちろん、議論をやめてしまえば哲学ではなくなってしまうわけですが、ストア哲学は実践の哲学なので、大事なことは善い人に実際になることだという意味です。
それでは、何を実践するのか。ストアの哲学において最も大切なのは「自然に一致して生きる」ということです。ここでいう自然は、山川草木という普通の意味での自然ではなく、宇宙の秩序を示す法則(理性、ロゴス)を意味しています。
自分の自然と共通の自然とに従ってまっすぐな道を進め。これら二つの道は一つのものだ。
(五・三)
共通の自然というのは、宇宙の自然という意味です。宇宙の裡にある人間も、そのロゴスの一片、理性を分かち持っているとアウレリウスは考えます。その理性に従って生きることが自然、宇宙の理性に一致して生きるということです。さらにいえば、先に少し見たように、何が善か、つまり何が自分のためになるのか、どう生きることが幸福であるかを判断できるということが理性に、つまりは自然に従って生きることです。
宇宙が何であるかを知らぬ者は、自分がどこにいるかを知らない。自分が本来何のためにあるかを知らぬ者は、自分が何者であり、宇宙が何であるかを知らない。
(八・五二)
宇宙、自然は、神とも言い換えられます。
神々と共に生きること。自分の魂が〔神から〕与えられたものに満足し、ゼウスが自分の分身として各人に監督者、指導者として与えたかのダイモーンの欲することをしていることを不断に神々に示す者は、神々と共に生きている。これは各人の知性であり、理性(ロゴス)である。
(五・二七)
神が自分の分身として人間に授けた理性は、神意に即して生きるよう私たちの心を監督するのであり、私たちは常にこの理性に従って、自分がしていること、あるいは欲求しているものが本当に善なのかどうかを判断していかなければならないということです。
このように宇宙、自然とその中に生きる人間はマクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(小宇宙)として同心円の関係にありますが、ミクロコスモスであるすべての人間は、人種や言語・文化の違いを超えて、この理性を分有する同胞であり、相互に調和関係にあるとストア哲学は考えます。
ここから人間はポリス(都市国家)の市民ではなく、コスモポリテース(世界市民)であるとするコスモポリタニズム、世界市民主義という考え方が出てきます。ソクラテスが愛国者という場合の国家は、アテナイですが、アウレリウスは宇宙が一つの国家であり、自分はコスモポリテースだといっています。
宇宙はいわば国家だ。
(四・四)
私の自然は理性的なものであり国家社会的である。アントニヌスとしての私には国家と祖国はローマで、人間としての私には宇宙がそれに当たる。
(六・四四)
アウレリウスは自分が皇帝としてはローマという国家に所属しているが、一人の人間としてより大きな共同体に所属しているということを知っていました。自分がコスモポリテースであるという自覚を持っていたことがローマ皇帝としての活動力の源になっていましたし、ローマ帝国と世界そのものを混同することがなかったところが重要です。
他者を「同胞」「世界市民」と見ることは、現代社会にこそ必要なことです。すべての人は同胞、自分の仲間であるということを基本として、互いの違いを認め、他者を尊重することができれば、痛ましい事件や争いを減らし、先鋭化する対立を対話につなげていくことができるでしょう。他者との共生については第2章で、世界市民の視点については第4章で詳しく見ていきます。
ここではストア哲学に特徴的な考え方として、運命論をあげておきたいと思います。
何かを追いかけず、避けもしないで生きる。
(三・七)
これだけを読むと消極的な生き方を勧めているように見えますが、
起こることすべてを難儀なことに思えても喜んで受け入れよ。
(五・八)
自分に起こり織り込まれたもの(運命)を愛し、歓迎すること。
(三・一六)
という言葉を読むと、積極的に運命を受け入れよといっているのがわかります。何事も運命なのだからと忍従や諦念を強いているのではないのです。自分に起こったことを、どう受けとめればよいか。いわば正面から両手で受けとめれば、それを直視することも、そこから何かを学ぶこともできるでしょう。追いかけずとも向こうからやってくる、しかも誰も望みはしないタイミングで容赦なく襲いかかるようにやってくる運命はいかんともしがたいものに思えます。
天変地異も避けることはできません。それによって大事な人を亡くすという経験は、胸がしめつけられるような悲しみと苦しみをもたらします。それでも私たちは、そこからいつかは立ち直っていかなければなりません。立ち直るよう努めるかどうかは、自由意志に委ねられています。アウレリウスは自由意志の働きを否定してはいないのです。
困難に直面した時、それをどのように受けとめ、乗り越えていけばよいのかについては、第3章で考えます。
著者
岸見一郎(きしみ・いちろう)
京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋古代哲学史専攻)。奈良女子大学文学部(ギリシア語)、近大姫路大学看護学部、教育学部(生命倫理)、京都聖カタリナ高校看護専攻科(心理学)などで非常勤講師を歴任。専門の哲学と並行してアドラー心理学を研究。精力的に執筆・講演活動を行っている。著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健と共著/ダイヤモンド社)、『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智恵』(講談社)、『プラトン ソクラテスの弁明』(KADOKAWA)など、訳書に、アドラー『人生の意味の心理学』(アルテ)、プラトン『ティマイオス/クリティアス』(白澤社)など。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
■『NHK「100分de名著」ブックス マルクス・アウレリウス 自省録 他者との共生はいかに可能か』(岸見一郎著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビなどは権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
*本書で紹介する『自省録』の言葉は著者訳です。目下、刊行されている日本語訳には、神谷美恵子訳(岩波文庫)、鈴木照雄訳(講談社学術文庫)、水地宗明訳(京都大学学術出版会西洋古典叢書)があります。
*引用訳文末にある数字「(□・◯)」は、『自省録』中の「□巻・◯章」を指します。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2019年4月に放送された「自省録」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「生の直下で死と向き合う」、読書案内などを収載したものです。