時代と国境を超えたふたり:ジョー・ハさん&デイヴィ・シュウさん
アトリエ ラヴォロ
textkentaro matsuo
photographytatsuya ozawa
建築家・隈研吾さんが設計したことで知られる神楽坂のモダン鎮守、赤城神社の横の急坂を下ってしばらくいくと、小さな印刷工場や商店が軒を並べる下町ライクなエリアが広がっています。さらに進むと、右側に「郁文堂印舗」という廃業した印刷所の色褪せた看板が残る、ひときわ昭和チックな建物が目に入ります。ウエブサイト「ぼくのおじさん」で知られるエディターの山下英介さん(山ちゃん)の拠点、アトリエ モノンクルです。今回ここでオーストラリアの新鋭ブランド、「アトリエ ラヴォロ」のトランクショーが開かれるというので出かけてみました。
アトリエ ラヴォロは、今回ご登場のおふたり、ジョー・ハさん(左)&デイヴィ・シュウさん(右)によって、2024年6月に立ち上げられた、とても新しいブランドです。にもかかわらず、チャットGPTに「オーストラリアで有名なテーラーを教えて」と打ち込むと、老舗J.H.カトラー(1874年創業)に続いて、アトリエ ラヴォロ、そしてジョー・ハの名前がヒットします。最近このブランドが、急速に注目を集めていることがわかります。
「1930〜60年代のアイテムに、新しいフレーバーで味付けをする、それがブランドのコンセプトです。例えばドリズラージャケットやチョアジャケットのオリジナルはコットンチノやデニム製ですが、われわれは上質なツイードやシアサッカーなどの素材に載せ替えています。ヴィンテージを「リ・イマジン」してジェントルマンが着るにふさわしい一着に仕立てるのです」と語るのは、落ち着いた紳士然としたジョーさんです。
「ウエスタンやハリウッドスターなど、かつてのアメリカ文化に惹かれていました。何もかもが目まぐるしくなってしまった現代と違って、あの時代はアルチザンとカスタマーがゆっくりと時間をかけてやりとりをしていました。売り手と買い手の間に”ロマンス”があったのです。アトリエ ラヴォロはそんな時代をリスペクトしています。ジャンルではなく、時代を切り取るブランドなのです。往年の雰囲気を大切にしたいから、オーダーシートはJ.C.ペニーの古いカタログを模しています。クラシックなタグはラインによってそれぞれ意匠を変えて、当時のムードを出すように努めています」そう仰るのは、見上げるほど背が高いデイヴィさんです。
「われわれの服は基本的にメイド・トゥ・オーダーです。あらかじめ決められたデザインをベースに、オリジナルを含む数多くのファブリックの中から、お好きなものをチョイスして頂けます。もちろんサイズだって自由自在です。デイヴィの身長は192cmもあって、既製服だと全部つんつるてんになってしまいますが、ウチなら問題ありません(笑)。『こんなものを着てみたいな……』という漠然としたお客様のリクエストを、具体的にカタチにしたいと思っています」と再びジョーさん。
それにしても、日本ではあまり馴染みのないオーストラリアのファッションシーンとはどんなものなのでしょうか?
「残念ながら、オーストラリアには、スーツやネクタイなど、エレガントなスタイルの伝統がありません。かつてはワーキングクラスばかりで、ホワイトカラーがおらず、メンズファッションのルネッサンスを経ていないのです。今でも楽なものばかりを選ぶ傾向があり、ストリート系やスニーカーが人気ですね。まさに『毎日がホリデー』といった感じなのですよ……」とふたりとも揃って肩を落とします。
「アトリエ ラヴォロは、オーストラリアではオンリーワンのブランドです。世界的にもレアな存在だと思います。立ち上げてからまだ4〜5ヶ月しか経っていませんが、すでに台湾、シンガポール、上海、そして日本でトランクショーをやり、大きな手応えを感じています。日本はこういったファッションにおいては、世界で最も成熟したマーケットですから、なんとしても受け入れてもらいたいと願っています」とふたりは目を輝かせます。
それではおふたりの格好を拝見しましょう。
ジョーさんのスーツは自らのテーラー「The Finery Company」で作ったもの。スタンドイーブンのヴィンテージ・ヘリンボーン地が使われています。
カシミアのニットは、トム フォード。
シューズはロロ・ピアーナの代表作、オープン・ウォーク。
ソックスはイタリアのマルコリアーニ。
「今朝、日本についたばかりで、ちゃんと着替える暇がなくて……」と仰っていましたが、スーツにリラックスしたアイテムを合わせて着崩す技はさすがです。
デイヴィさんのスーツはアトリエ ラヴォロのモデル901。
「1950~60年代のアメリカのサックスーツがモチーフとなっています。ストレートなシルエット、ナローショルダー、ワイドパンツ、短いジャケット丈、ノーダーツ、ノーベントなどを特徴としています」
7つ折りのタイは、アトリエ ラヴォロのプロトタイプ。
「ジオメトリック・パターンのシルク地はオリジナルです。シアーズ・ローバックの古いカタログに載っていたタイからインスピレーションを得ました」
ボタンダウン・シャツも、アトリエ ラヴォロ。
「1960年代のブルックスブラザーズのボタンダウンをベースとしています。モデル名は”コルトレーン”といいます。ジャズ・ミュージシャンのジョン・コルトレーンは、よくBDを着ていたでしょう?」
眼鏡は日本の白山眼鏡店。
時計は、ロレックスのデイトジャスト。
「私の生まれ年である1988年のモデルです。クリーム色のエナメルダイヤルと、今では見られなくなってしまったエンジンターンベゼルを備えています」
ブレスレットは、日本のアットラスト。
リングは、フリーメイソンのもの。本物だそうです。
「実は私はフリーメイソンのメンバーなのです。これはジョークではなくて本当のことです。ロッジの中で何をしているのかですって? それは秘密です(笑)」
フリーメイソンの会員の方とお会いするのは初めてでしたが、なんだかイメージとずいぶん違うような……
そしてシューズは、7年間履いているオールデン(カーフ)です。
さて、ここで……、おふたりのバックグラウンドを少々紹介しておきましょう。
ジョーさんは、1975年、韓国・ソウル生まれ。若い頃からファッションが好きで、十代の頃はラルフ ローレンの大ファンだったそうです。80年代にアメリカへわたり、ミリタリースクールへ入学しました。ピストルを撃っていたのですか? と間抜けな質問をすると、
「違います。ミリタリー系のハイスクールだったということです(笑)。しかしそこでは厳格なユニフォームの伝統がありました。レジメンタルタイを締めて、ローファーを履く、みたいな……、いわゆるアイビー風の格好です。これで私のスタイルの土台が出来上がったように思います。それからオーストラリアの大学に入って、医学を専攻しました。実は私のファミリーは医者ばかりなのです。当然、家族は私にドクターになって欲しかったと思います。医者になれば、一生が保証されたようなものですからね……。しかし私は、医者にだけはなりたくなかった(笑)。そして大好きだったファッションの世界へ飛び込んだのです。もちろん大変なことはわかっていました。ファッションカンパニーやテーラーで十数年間の修業を積んだあと、2016年にシドニーで、「The Finery Company」を立ち上げたのです」
デイヴィさんは、1988年、中国・上海生まれ。12歳のときに家族と一緒にオーストラリアへ移り住みました。
「あるクリスマスの日、従兄弟が映画『アメリカン・グラフィティ』(1973年、監督はスター・ウォーズを撮影する前のジョージ・ルーカス)のDVDを持ってきてくれたのです。それを観て衝撃を受けました。クルマ、ファッション何もかもが素晴らしかった。まさにカルチャーショックというヤツです。映画と往時のアメリカ文化に夢中になりました。初めてリーバイス501を手に取ったときも目を丸くして驚きました。ジーパンそのものはもちろん、ついているタグやパッチがきらきらと輝いているようでした」
ここから映画とファッションがデイヴィさんの人生のニ大テーマとなります。
「映画業界で働きたいと強く思い、友人と一緒に映画を作り始めました。作品はオスカー公認のワールドトップ10ショートフィルムにノミネートされたこともあるんですよ。アナモルフィック・レンズという横長の画面を撮影できる古いレンズを使って撮った、ジャズトランペッターを主人公にした、ちょっと実験的な作品です」と意外な過去を披露してくれました。
並行してファッションのほうにものめり込み、ブランドショップで働き始めました。
「ジョルジオ・アルマーニ、グッチ、プラダと渡り歩きました。当時のオーストラリアでは、そういったチョイスしかなかったんですよ(笑)。でも好きなのは、アメリカンヴィンテージ、そして日本のファッションでした。実は私はたった3ヶ月だけでしたが、日本の福岡工業大学へ留学していたこともあるのです」
じゃあ、日本語で話しましょうと提案すると、「イヤ、ムリムリ」と辞退なさっていましたが、本当は結構喋れるそうです。
そして2016年に、満を持してメルボルンに「Lieutenant & Co.」をオープンさせました。
「扱っていたのは、リアル・マッコイズやバズリクソンズなど、日本のいわゆる”アメカジ”ブランドです。日本へは毎年何回も行っていました。もう30回以上は訪日していると思います。しかしそのうちコロナがやってきて、オーストラリアは280日間というとても長いロックダウンに突入してしまいました。仕方がないから、今度は家具のデザインを始めました。いまでは洋服に加えて、家具も扱っています」
ずいぶんといろいろなことをなさってきたんですね、と感嘆すると、
「ちょっと多すぎるんですよ……」と頭を掻いておられました。
シドニーとメルボルンという距離をものともせず、ふたりは出会うべくして出会い、意気投合してアトリエ ラヴォロをスタートさせたというわけです。(そのへんは「ぼくのおじさん」に詳しいのでこちらをお読み下さい)
ちなみにシドニーとメルボルンって、どのくらい離れているかご存知ですか?
「いやぁ、近いですよ。たったの1時間ちょっとです。皆しょっちゅう行き来しています。ただし、飛行機で……。クルマだと10時間以上かかります(笑)。700km以上離れています。でも、クルマで行く人も多いんです。間に小さいけれども、魅力的な街がたくさんあります」
韓国と中国に生まれ、オーストラリアで育ち、古き良きアメリカを愛し、日本をはじめとするアジアを股にかけて活躍するおふたりの姿を見ていると、なんだか世界って狭いんだなぁ、と感じてしまいます。時空を超えて、2024年に出現した注目のニューブランド、それがアトリエ ラヴォロです!
オリジナルのデニムは自らのアトリエにて、熟練した職人の手によって製作されている。日本製のデッドストックデニム生地が使われ、1900年代から1950年代にかけて使用されていたシンガー31-15や、1920年代の逸品であるユニオンスペシャル11500gなど、12台の貴重な年代物ミシンが使われている。
1940年代風のデザインをベースにしたショートジャケット。四角いポケットやまっすぐなヨークなど、ストレートなラインを特徴とする。襟部分からチンストラップが生えている(通常は台襟から)。チェック柄の生地はフォックス ブラザーズが手掛けたもの。往年のものに比べチェックの配色やピッチが微妙に違っており、モダンな印象を醸し出す。
「ウィンチェスター」と名付けられたハンティングジャケット。1950年代の「ダックスバック」と呼ばれたジャケットをもとにした一着。高円寺の古着店サントラップで購入したモデルにインスピレーションを受けデザインされた。コーデュロイ製の襟とカフ、背中部分のアクション・プリーツ、シガースロットのついたポケットなど、細部までぬかりのない作り。
山ちゃんとニッコリするアトリエ ラヴォロのおふたり。神楽坂のアトリエ モノンクルの前にて。