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血の涙で抗議した藤原為時。淡路守が不満だった理由は 【光る君へ】

草の実堂

「今夜は泊まりか。然らばゆっくりと……」する藤原師実(イメージ)

花山天皇が出家・譲位したこと(寛和の変)により、六位蔵人(ろくいのくろうど)・式部丞(しきぶのじょう)の官職を解かれてしまった藤原為時(ためとき。紫式部父)。

それから10年以上にわたって冷や飯食いを余儀なくされ、ついに淡路守(あわじのかみ。国司の長官)の辞令が下されるも、為信は不満を表明しました。

「私は血の涙を流し、空を仰いでは呆然とするばかりです(意訳)」

そんなことをわざわざ漢詩に詠み、これを目にされた一条天皇は胸を打たれます。

藤原道長に対して何とか便宜を図るように指示した結果、数日後に越前守(えちぜんのかみ)への転任が決まりました。

※なお越前守を奪われた源国盛(くにもり)がショックで寝込み、そのまま世を去ってしまったのは別の話し。

かくしてゴネ得を勝ち取った為信ですが、それまで散位(さんい。位階はあるけど官職なし)だったのに、なぜ淡路守にケチをつけたのでしょうか。

10年以上も無職だったのだから、貧しい淡路国であっても国司の職はありがたいはずです。

この時はたまたま越前守というよい官職にありつけたものの、下手をすれば怒りを買って、また無職に逆戻りの可能性もありました。

それでも為時が淡路守を嫌がった理由については諸説あるようですが、今回はそのうち一説を紹介したいと思います。

下国の淡路守は役不足!

淡路守に御不満な為時(イメージ)

時は長徳2年(996年) 1月25日、為時は淡路守に任官しました。

この時点で為時は、従五位下(じゅごいのげ)に叙せられています。

そんな為時に対して、淡路守は役不足(当人の地位や能力に対して過小な役目)でした。

当時の日本全国(律令国家)はそれぞれ大国(たいこく)・上国(じょうこく)・中国(ちゅうこく)・下国(げこく)の4段階にランクづけされており、淡路国(現代の兵庫県淡路島)は下国となっています。

下国の国司は上から守(かみ。長官)・掾(じょう。三等官)・目(さかん。四等官)の三職が勤めており、それぞれ以下の位階が当てられていました。

【下国の国司】

守 従六位下
(介はなし)
掾 従八位下
目 少初位上(しょうそいのじょう)

つまり淡路守は、従六位下の者が勤めるのが相応しいと考えられ、従五位下となった為時は役不足と憤ったのでしょう。

大国の越前守は荷が勝ちすぎた?

では、従五位下の為時に相応しい国司はなんだったのかと言えば、上国の守でした。

【上国の国司】

守 従五位下
介(すけ。次官) 従六位上
掾 従七位上
目 従八位下

ちなみに為時がゴネ得を勝ち取った越前守は大国、その守は従五位上(~じょう)が相当とされています。

ワンランク上の栄転が叶って、何よりですね(源国盛の悲劇については忘れて下さい)。

ちなみに、大国の国司は以下の通りとなっています。

【大国の国司】

守 従五位上
介 正六位下
大掾(だいじょう) 正七位下
少掾(しょうじょう) 従七位上
大目(だいさかん) 従八位上
少目(しょうさかん) 従八位下

※掾と目が大・少に細分化されていますね。

その後、越前守を辞した為時が再び国司に任官したのは寛弘8年(1011年) 2月1日。今度は越後守(えちごのかみ)でした。

越後国(現代の新潟県)は上国であり、前回の越前守は荷が勝ちすぎた(当人の地位や能力に対して、過重な役目だった)と思われたのかも知れませんね。

国司の官職/位階まとめ

大国の国司は人員も多く、それだけ職務も煩雑だった(イメージ)

【大国】

守 従五位上
介 正六位下
大掾 正七位下
少掾 従七位上
大目 従八位上
少目 従八位下

【上国】

守 従五位下
介 従六位上
掾 従七位上
目 従八位下

【中国】

守 正六位下
(介はなし)
掾 正八位上
目 大初位下

【下国】

守 従六位下
(介はなし)
掾 従八位下
目 少初位上

位階から見る国司の官職

【正五位上より上は割愛】

従五位上:大国の守
従五位下:上国の守
正六位上:中国の守
正六位下:大国の介
従六位上:上国の介
従六位下:下国の守
正七位上
正七位下:大国の大掾
従七位上:大国の少掾、上国の掾
従七位下
正八位上:中国の掾
正八位下
従八位上:大国の大目
従八位下:大国の少目、上国の目、下国の掾
正九位上
正九位下
従九位上
従九位下
大初位上
大初位下:中国の目
少初位上:下国の目
少初位下

【ここまで】

※初位は(そい、しょい)と読みます。
※初位だけは正・従でなく大・少です。

ズラッと並べてみましたが、位階を持った貴族の間でも、これだけの格差があることを実感できればと思います。

藤原為時の官歴

為時「世渡り下手で色々あったけど、まぁ悪くない人生だったかのう」(イメージ)

・安和元年(968年)
11月17日 見播磨権少掾

・貞元2年(977年)
3月28日 東宮読書始尚復、見文章生

・永観2年(984年)
12月8日 見六位蔵人、式部丞

・時期不詳 従五位下

・長徳2年(996年)
1月25日 淡路守
1月28日 越前守に転任

・寛弘6年(1009年)
3月4日 左少弁

・寛弘7年(1010年)
日付不詳 見正五位下

・寛弘8年(1011年)
2月1日 越後守

・長和3年(1014年)
6月17日 辞越後守

・長和5年(1016年)
4月29日 出家

※「見」とは、史料にその名が見える≒その時点で(それ以前から)その官職にあったことを意味します。
※国司の「権(ごんの)」は員数外の名誉職(権官)でした。
※東宮読書始尚復(とうぐうふみはじめしょうふく)とは、当時の東宮・師貞親王(のち花山天皇)についた家庭教師の補佐役です。
※蔵人(くろうど)は天皇陛下の側近。本来ならば五位以上でなければ内裏へ昇殿できないところ、例外的に昇殿できる特権を持っていたため、人気の官職でした。
※左少弁(さしょうべん)は太政官に属し、各官省庁の監督官を務める弁官の一員。遵法精神と実務能力が問われる官職です。

終わりに

今回は、藤原為時が淡路守の任官に不満を唱えた理由について、一説を紹介しました。

まったく「武士は食わねど高楊枝」でもあるまいに、せっかく10数年ぶりの官職に抗議する根性には恐れ入ります。

あまり世渡りが上手くないのは、やはり紫式部の父と言ったところでしょうか。

なお、為時が出家した理由は諸説あり、一説には娘の紫式部が亡くなったからとも言われています。

藤原為時の最期についてはよく分かっておらず、今後の究明がまたれるところです。

果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、岸谷五朗がどんな最期を演じるのか、注目していきましょう。

※参考文献:

・『歴史探訪に便利な日本史小典 6訂版』日正社、2010年2月
・角田文衞『紫式部伝: その生涯と『源氏物語』』法藏館、2007年1月
文 / 角田晶生(つのだ あきお)

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