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<義母の介護で家族バラバラ>嫁や孫に敵意100%!義父の死で、まさか……同居!?【まんが】

ママスタセレクト

写真:ママスタセレクト

私(リエ)は、夫(ツヨシ)と2人の子ども(サクラとハルト)と暮らしています。ツヨシはとても優しくて、怒ったところを見たことがないくらいです。一方で、結婚当初から私と義母はうまくいっていませんでした。義実家は車で1時間ほどの場所にあり、義父と義母が2人で暮らしています。しかし義実家を訪れると、義母は私だけでなく子どもたちにも理不尽な厳しさで接するのです。そんな義実家と私たち家族を、ツヨシが必死に繋いでいるように感じていました。

結婚してすぐの頃、義実家を訪れた私が義母に手土産を渡すと「うわ~……これ、あんまり好きじゃないのよね~」と嫌そうに言われました。そんな義母をツヨシは優しく諭します。「母さん、そういう言い方は良くないよ。せっかくリエが選んでくれたのに。俺はここのお菓子、好きだよ? 一緒に食べようよ」こんなふうに義母からは会うたび明らかな敵意を向けられたのです。サクラやハルトが生まれると、その影響は子どもたちにまで及びました。

義母は自分の夫や息子しか信じない人でした。息子の妻である私には敵意を向けるし、孫である子どもたちに対してもあまり愛情を感じたことはありません。やがて私はもちろん、子どもたちも義実家と深いかかわりを持つことなく、季節の挨拶に伺う程度の関係になりました。当たりさわりのない関係、これが一番平和でいいと思っていたのです。義母は足腰が丈夫ではなかったため、ツヨシがなにかと義実家のことを気にかけていました。

私は義父の遺影を眺めながら、一抹の不安を抱いていました。 足腰の弱い義母が誰かのサポートなしで日常生活を送ることは難しいと思います。ずっと義母を支えてきた義父が亡くなってしまったとなると、今度はツヨシが、もっというとわが家が義母のサポートをしなくてはいけないのでは……? 義母はおそらく当然のように同居を求めてくるでしょう。 しかし私や子どもたちが義母と一緒に暮らしてうまくいくはずがありません。私はこれからのことを考えると不安でたまりませんでした。

優しい夫「巻き込みたくない」ひとりで義実家に通う!?

ツヨシがとても優しい人だということは知っています。ただ仕事帰りに義実家に行き、義母のサポートをして夜遅く自宅に戻り、また朝になれば仕事に行って……。そんな毎日はあまりにも負荷が高すぎます。かといって義母と私の関係を考えると、ツヨシの代わりに私が行くというのも現実的でなく……。しばらくはツヨシに任せて静観しようと決めたのです。そうしてツヨシが義母をサポートする日々がはじまりました。

ツヨシは朝になると家を出て、仕事の帰りに義実家へ。あらかじめ義母から頼まれた買い物などを手渡して、家の用事を手伝い、一緒に夕飯を食べたりしながら義母が眠るのを見届け、自宅に帰ってくる生活をしていました。帰宅が深夜の0時を過ぎることもありました。ツヨシがひとり疲弊していく姿を目の当たりにして、助けてあげたい気持ちはあります。頭のなかに「同居」の言葉がよぎることもありました。しかしやはり私と義母の関係性を考えると難しいでしょう。

ツヨシはツヨシなりに、私たちに迷惑をかけないように努力していたのでしょう。義母の日常生活のサポートをするために本当に休む暇なく動いていました。 しかし日に日に疲弊していっているのは明らかでした。こんな状態が長く続くはずがないと思いつつも、私が直接手助けできるわけでもありません。ツヨシが自宅に戻ってきたときに栄養のある食事を出したり、ゆっくり休んでもらったり……というかたちで協力をするのが精いっぱいでした。 そうしてとうとうツヨシから別居生活の提案をされます。義母の性格や私たちの生活を考えると妥当な落としどころだろう、と夫婦で納得した上での別居生活だったのでした。

夫は介護が最優先?子どもの行事に来られないなんて……

平日に顔を合わせることがない分、ツヨシは休日にめいっぱい家族サービスをしてくれました。中学受験を控えるサクラの息抜きに家族でお出かけをしたり、子どもたちが好きなアニメを一緒に観たり、ご飯を食べたり。しかしツヨシが自宅にいると、義母からしょっちゅう電話がかかってきます。「具合が悪い」「頭が痛い」「転倒してしまったからすぐ来てくれ」……。ツヨシはそのたび急いで義実家へ戻ることになるのです。

休日も義母につきっきりのツヨシは、子どもたちと約束していた大切な運動会に来られませんでした。「パパ……結局来なかったね」ガッカリしているハルトを私はなだめます。「仕方ないよ。おばあちゃんの具合が良くないんだから……」小学校最後の運動会を見てもらいたくて頑張ってきたサクラは、約束を破られたことにショックを受けて涙目になっていました。そしてこんなことは一度や二度ではなかったのです。

ツヨシが一生懸命に義母のサポートをしていることは分かっています。けれど家族の時間を大切にするはずだったツヨシは、今やすべて義母の言いなりです。はじめは父親の不在に悲しそうな顔をしていた子どもたちも、何度も約束を破られているうちに期待をしなくなったようです。とはいえツヨシが義母ひとりを残して出てきて、足腰の悪い義母に何かあってもいけないし……。 子どもたちは気の毒だけれど、現状維持がお互いにとって一番いい選択だろうと私は思っています。

【夫の気持ち】母さんには俺しかいない!頑張らなきゃ……

俺(ツヨシ)は妻のリエと娘のサクラ、息子のハルトと4人で暮らしている。ひとり息子の俺は、幼い頃から両親に「老後のことは頼むぞ」と言い聞かされてきた。父が亡くなる間際にも「母さんを頼む」と念を押された。人見知りなところがある母さんが頼れるのは俺しかいない。母さんはリエにきつくあたることがあるし、子どもたちともうまくいっていない。家族を巻き込むわけにはいかないのだ。俺は母さんのサポートを一手に引き受けて踏ん張っていた。

母さんとリエの関係は良好とはいえなかった。昔からもめごとが苦手だった俺は自分が間に入ることで、なんとか穏便にことを済ませてきたつもりだった。やがてサクラとハルトが生まれ、こんなにかわいく愛おしい存在がこの世にあるのかと思った。家族は俺の大切な宝物だ。ただ母さんは子どもたちともあまりうまく関係を築けなかった。だったら俺が間に入ればいい。そう思っていた。その後、父さんに病気が発覚した。

残された母さんは足腰が弱く、誰かがそばでサポートをしていないと生活が難しい状況だった。施設に入ることを望まなかったため「同居」という選択肢も頭をよぎったが、俺の親のことに家族を巻き込むわけにはいかない。俺がなんとかしないといけないと思い、実家に泊まりこんで母さんのサポートをするようになった。しかし自宅に帰るタイミングに限って母さんの具合は悪くなった。母さんには俺しかいない。目の前で苦しんでいるのに放っておくことなんてできなかった。たび重なる俺のドタキャンに、リエから怒られたこともあった。

俺だって辛かった。家族と一緒にいたかったけれど、目の前で苦しんでいる母さんを放っておくことはできなかった。 最初の頃は俺の不在に文句を言ってきた家族も、その状況を分かってくれたのか寂しさを我慢してくれるようになった。その気持ちに応えるべく、俺も精一杯母さんのサポートを頑張ったのだ。 やがて母さんが病に侵されると、俺は会社に休暇をもらってつきっきりでサポートをした。母さんはこの世を去ったけれど、俺にはやり切った感がある。親孝行を終えることができた俺は、意気揚々と自宅に戻ったのだった。

子どもたちが冷たいのは……思春期だから!?

自宅に戻ると、明らかに空気が昔とは違っていた。5年前は小学生だった子どもたちも、今やサクラは高校生、ハルトは中学生だ。夕食時サクラに以前と同じように話しかけると、すごい目でにらまれてしまった。

帰宅したハルトに「おかえり!」と声をかけたものの、ちらりと冷たい目線を向けられただけ。すぐに「先、風呂入るわ」と去られてしまった。リエは「それじゃご飯置いておくから、自分で温めてよー」なんて自然に対応しているが、俺は所在なくたたずむことしかできなかった。

洗面所で身支度をしているサクラの隣に立つと、明らかにギョっとされた。サクラは会釈をするとスッと俺を避けるように出ていってしまった。

子どもたちは俺との会話を嫌がり、存在すら認めていないといった雰囲気だった。家族に迷惑をかけたくなくて、ひとりで背負い込んだ5年間だったのに。家族に会いたい、自宅に戻りたいと思ったことも何度もあった。けれど母さんを放っておけず、必死で頑張った5年間だったのに……。

母さんには悔いなく最後まで精一杯、親孝行をすることができた。この5年間我慢してくれていた家族にも感謝の気持ちでいっぱいだ。だからこそ、これからは家族のために生きていこうと思っていたのに……。 自宅に戻ってからの子どもたちの反応はどこか他人行儀でよそよそしかった。最初は成長の証かと思ったが、俺にだけ冷たいように感じる。家族に迷惑をかけないようにひとりで頑張ってきた5年間は何だったのだろう。俺はむなしい気持ちに襲われてしまうのだった。

【私の気持ち】変わってしまった父子の関係!子どもたちは「被害者」?

義母が亡くなりツヨシは5年ぶりに自宅に戻りましたが、子どもたちの反応は想像以上に冷たいものだったのです。

ツヨシが自宅に帰ってきてから、サクラはほとんど自分の部屋にこもってしまうようになりました。ハルトもどう接していいか分からないようで、ひたすらツヨシを避けていました。子どもたちの気持ちは、この5年間ですっかりツヨシから離れてしまったのでした。以前はよくリビングでテレビを観たり、雑談をしたりしていたのに……。「パパと……どうしてあんまり話さないの? だって、昔は仲良かったじゃない」

子どもたちは元の距離感で接しようとするツヨシをことごとく避けていました。当初は「やっと自宅に戻ってこられた」と嬉しそうだったツヨシも、子どもたちのあからさまな態度にかなり落ち込んでいるようです。自分の居場所のなさを感じ、みるみる元気がなくなっていくのが分かりました。

私はこの空気をどうにかしたくて、友人のモモコとマホに相談してみることにしました。待ち合わせたカフェでお茶をしながら、これまでの経緯を話します。するとモモコは……。

ようやく義実家から戻ってこられたツヨシはとても嬉しそうでした。けれど子どもたちの反応は想像以上に冷たいものだったのです。このままではいけない……。そう思った私は客観的な意見が聞きたくて、友人に相談をしました。 するとモモコは夫の現状を「自業自得」だと言い切ります。そして私もいけなかったと。子どもたちが父親のことをあきらめてしまう前に、もっとできることがあったはず。それを夫婦そろって考えてあげられなかった結果だというストレートな言葉に、私は何も言い返せなかったのです。

家族よりも母親を優先した夫「優しい」ってムズカシイ!

「無責任すぎる! 離婚するか、少なくとも別居状態に戻すべき」と息巻くモモコを、マホは「まぁまぁ、話が飛躍しすぎだよ」となだめます。「よく義両親の介護に巻き込まれる人の話とか聞くじゃない? ムリヤリ同居させられたとか、介護の手伝いをさせられたとか……。リエや子どもたちは一切そういったことに巻き込まれなかったんでしょ? それって、旦那さんが一生懸命守ってくれていたってことだよね?」

「じゃあ、子どもたちはどうなるの? 結局、家族より母親を取ったってことだよ? それって子どもにとってすごく傷つくことでしょ?」「うん。家族のためって言いながら、自分の家族にはたくさん我慢させているよね。そんなの本当の優しさじゃない。だからといって……」

「旦那さんは、子どもたちに謝ったの? たくさん裏切ったことについて」「まだ……」「だったら、まずはそこからだよ。旦那さんも、リエも、子どもたちに謝らないと。その上で、これからどうしていくのが一番いいのか話し合うんだよ? 話し合いもしないで、先に離婚を決めてしまうのは違うと思うな」

確かにツヨシのやり方は間違っていたのかもしれません。もっと他にいい方法があったのかもしれない。でもツヨシは私たち家族に一切の負担をかけずに、義母のサポートをひとりで背負いこんでくれていました。こうなる前にもっと一歩踏み込んで話し合っておけば良かったのに……。 自分が手伝えないこともあり、私は口を出すことをためらってしまっていたのです。その結果、子どもたちを傷つけてしまいました。 もう一度ツヨシと話し合い、今度こそ子どもたちの気持ちに一番に寄り添って、これからのことを決めていこうと思っています。

後悔する夫「子どもとの時間」も限られていたのに……!

5年前は小学生だったサクラとハルトも、今は高校生と中学生です。そのあいだ父親のツヨシはずっと不在でした。最後の運動会も入学式も大事な試合も……。「リエや子どもたちにばっかり我慢させて……母さんを最優先にして動いていた。久しぶりに子どもたちと過ごしてみたら……昔みたいに一緒に遊園地に行ってくれるような年齢じゃないし……。無条件に『パパー』って頼ってくれることもない……」

「結局俺は『家族のために母さんのサポートをひとりで引き受ける』とか言いながら、一番大切な子どもたちの気持ちを守ってあげることができなかった。息子としては頑張ったかもしれないけれど、父親としては失格だよな」

ツヨシは涙を浮かべ、後悔の念を口にします。けれど私ももっと強くツヨシに伝えるべきだったのです。子どもたちがどれだけ寂しい思いをしているか、私はこの目で見て知っていたのに……。

私から話をするまでもなく、ツヨシはひとりで反省をしていたのでした。家族の介護とは難しいものです。誰もがすぐに施設に入れるわけでもないし、実子がサポートに入ったとしても、今度はその家族にしわ寄せがいきます。何が正解かも分からないし、その都度、家族で話し合って自分たちなりの正解を探すしかないのです。 けれど私たち家族はその話し合いが決定的に足りていませんでした。私もツヨシも自分の気持ちばかり優先して、肝心の子どもたちの気持ちを守ってあげることができなかったのです。もう二度と同じ過ちを繰り返さないように、今度こそ子どもたちの気持ちに寄り添っていきたいと思います。

「イラッとした」子どもたちの本音に触れ……反省と決意

私たちは子どもたちに頭を下げて謝りました。そして私は言葉を続けます。「でもね、パパ、家にはいなかったけど、一生懸命あなたたちの生活を支えてくれていたことは事実なのよ? サクラもハルトも自分の好きな進路を選べているのは、パパが頑張って働いてくれているからだってことは、覚えておいてね」ずっと黙って聞いていた子どもたちは、私の言葉に小さくうなずいたように見えました。ようやくサクラが口を開きます。

「5年くらい経てば、また話せるようになるかもね」サクラは少し照れたようにそう言い、部屋に戻っていきました。すると今度はハルトが……。

「来週、隣の中学で練習試合あるから! 試合終わった後に、いろいろ言ってくんなよ!」ハルトもそう言い残し、部屋に戻っていきました。子どもたちの言葉を聞いたツヨシは感無量といった面持ちでたたずんでいます。するとしばらくして、サクラがリビングに戻ってきました。ツヨシに向かって手を差し出します。「ちょっといい?」

ツヨシも私も、子どもたちに自分たちが至らなかったことを謝りました。ツヨシは確かに義母にとっては最高の息子だったでしょう。しかし子どもたちにとっては、決して「いい父親」ではなかったのです。子どもたちの未来はこれからも続きます。 ずっと一緒にいられる子ども時代は過ぎようとしていますが、これからいくらでも挽回するチャンスはあります。今度こそしっかりと子どもたちに寄り添い、父親としての役割をしっかりと果たしてくれることを願っています。


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