時の深淵へ──パネライの原点を辿る
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パネライの歴史を巡るエキシビション「時の深淵」が、イタリア・フィレンツェで開催中だ。ミッションウォッチとして生まれた時計たちには、本物だけがもつオーラがある。
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パネライ、それはある種の神秘性をもって語られる。
そもそも時計ブランドの歴史は、華やかな伝説たちに彩られている。王侯貴族とのつながりや世界を股にかけたビジネス、ハリウッドセレブやスポーツマンとのパートナーシップなどを声高に語ることでブランドの価値は高められてきた。そのことは懐中時計の時代から、時計が自分自身を華やかに表現するものであり、ファッションであり、ステイタスを示すものでもあったという証明でもある。
しかしイタリアの時計ブランド「パネライ」は違った。パネライの歴 史は、その多くがベールに覆われている。パネライとその時 計の存在が、長らく軍事機密であったからだ。
パネライのルーツは、1860年のフィレンツェに遡る。この地でジョバンニ・パネライによって創業された時計店は、時計の製造や販売を行い、さらには時計学校を運営して時計師の育成にも励んだ。そしてその真摯な仕事ぶりが評価され、イタリア海軍のためにコンパスや照準機といった精密機器を製造するようになる。
そもそもフィレンツェは、メディチ家の統治下で経済的・文化的に発展した学術都市であり、天才ガリレオ・ガリレイが活躍した地でもある。そしてイタリア海軍最大の軍港ラ・スペツィアは、フィレンツェから比較的近い場所に位置している。海軍とフィレンツェ、そしてパネライの結びつきは必然だったのだ。
そんなパネライが時計製造に力を入れるようになったのは、1930年代になってから。イタリア海軍は極秘で特殊潜水部隊を設立したのだが、隊員たちが水中で使用できる機能をもった防水ウォッチが、当時は存在していなかった。そこで、既に精密機器の製造で実績のあるパネライに、ミッションウォッチの製造を依頼したのだ。さまざまな研究開発を経て、プロトタイプは1935年に完成。その後も改良を重ね1950年代初期に、大型のクッションケースにレバーロック式のリュウズプロテクターを備えたミッションウォッチが完成する。軍用モデルゆえに「PANERAI」の銘はなく、ダイヤルには「MARINA MILITARE」(イタリア語で海軍の意)とだけ書かれていた。
この時計を腕に着けて隠密ミッションを行ったイタリア海軍特殊潜水部隊は大きな戦績を収め、軍関係者の間では、徐々にパネライの名が知られるようになった。そして1950年代には、エジプト海軍用の時計も製作するようになる。しかしパネライの時計はあくまでも軍用時計であったため、その存在を一般人が知ることはなかった。
そんなパネライの時計が、1993年に突然、機密のベールから姿を現し、民生モデルの販売が開始された。軍用時計として磨かれてきた骨太なデザインや機能美は、他の何にも似ていない個性があり、瞬く間に時計愛好家の話題に。そして「パネリスティ」と呼ばれるファンのネットワークが生まれ、パネライの物語に熱狂した。1997年には、多くのラグジュアリーブランドが集まるリシュモングループの傘下に収まり、本格的に高級時計市場への進出を果たしたのだった。
高級時計の世界では、ユーザーの嗜好の変化によってトレンドも移り変わる。しかしパネライは、ミッションウォッチとして生まれたという原点を忘れることはない。研ぎ澄まされた機能性と必然から生まれたデザインが揺るぎない個性となって、パネライを形づくるのだ。
パネライは今年、メゾンの起源と秘密を探るエキシビション「時の深淵」を開催し、その歴史と進化を改めて明確に示した。今やパネライは、イタリアンラグジュアリーを表現する時計ブランドとして、高く評価されている。しかし過去に製作された希少な計器や時計の数々が、パネライのルーツが軍用時計にあったことを雄弁に語っている。
だからパネライには、今でもどこか神秘性が宿っている。そしてメゾンの物語をもっと知りたいという知的好奇心を掻き立ててやまないのだ。
メゾンの国際的な地位を確立した、重要な瞬間を記念する展覧会