定番の軍パンを深掘り! 「穿くことで深い歴史を身にまとえる」それがチノパンの最大の魅力だ。
軍服という「機能美」の源流から生まれたアイテムながら、洗練されたシルエットにより、都市部でも違和感なく穿けるチノパン。そこでミリタリーファッションのオーソリティ・ブランドである「バズリクソンズ」亀屋さんに、あらためてチノパンの歴史と魅力について訊ねてみた。
バズリクソンズ企画統括/フライトジャケット研究家・亀屋康弘さん|ブランド設立から30年以上にわたりヴィンテージのフライトジャケットを研究する有識者。氏の徹底的なこだわりにより、当時の貴重なミリタリーアイテムを解体し、糸1本から復刻作業が始まる。
時代を超えて現代に受け継がれるチノパン。
19世紀にイギリス軍が採用した“チノーズ”をルーツに、アメリカ軍が発展させたチノパン。我々アメカジ好きにとっては馴染み深い軍パンなのだが、その歴史は知られていない。そこでバズリクソンズを牽引する、ミリタリー界の生き字引である亀屋康弘さんに、チノパンの歴史を解説してもらう。
「そもそもチノパンとは和製英語。本来はチノトラウザーズと呼ばれます。その言葉に使われる“チノ”という単語は綾織のコットン布地を表していまして、『チーノウ』と発音します。だからこの布地で作られた衣類の場合は『チーノウズ』と複数形で表記されるんです。この『チーノウ』という単語は当時、“中国の”という意味で使われており、古い時代のアメリカでは綾織のコットン布地を中国から輸入していたため、この呼び名がついたのです」
チノパンの規定色といえば、一般的には明るい黄褐色の“カーキ”を想像するが、その誕生の背景には、イギリス支配下のインドで、19世紀に北西辺境(ノースウエスト・フロンティア)に駐屯していたイギリス軍の存在がある。
「本来イギリス軍の熱帯用ユニフォームは白だったのですが、長期間に渡る作戦行動により、土埃で汚れて黄褐色の茶色になってしまったのですが、逆にそれが戦場での保護色となったことで、カーキと言う色味が定着しました。ちなみにカーキとはインドのウルドゥー語で『土埃』を意味します。その後、アメリカ陸軍が1937年にユニフォームのスタイルを一新させて、8・2オンスのコットンツイルを使用したチノパンを採用することに。その事が、後のアメカジファッションへと受け継がれていく契機になっていくのです」
戦後は大学生から労働者、後にアイビーリーガーにも愛されたことで、カジュアルスタイルの定番になっていく。
バズリクソンズで使用するチノクロスは大戦当時の生地を分析し、糸から忠実に再現。また縫製も大戦時同様に巻縫いと割縫いをモデルごとに使い分けている。
VINTAGE BREECHES 1910’s
第一次世界大戦中の頃からアメリカ軍で採用されていたブリーチズ。このユニフォームのスタイルが1937年に更新され、チノパンが導入される。
VINTAGE CHINO 1942
バズリクソンズが所有する、通称1942年モデルと呼ばれるチノパンのデッドストック。製造時のミスを防ぐために、裁断された生地パーツに取り付ける「カッタータグ」が残る。
VINTAGE CHINO 1943
バズリクソンズが所有する通称1943年モデル。脇ポケットが斜めではなく、飾りステッチを施した縦ポケットで、またフラップのついたヒップポケットを採用しているのが非常に珍しい。
VINTAGE CHINO WOOL LINED
バズリクソンズが多数所有するチノパンの中でも珍しい仕様を持った1本。本来なら1枚の生地で生産されるチノパンだが、こちらは分厚いウールライニングを採用する珍しいモデル。