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【パリパラリンピック】競泳の37歳鈴木孝幸が「21歳の自分」を超えた日…車いすラグビーはなぜ金メダルを取れたか…

アットエス

静岡トピックスを勉強する時間「3時のドリル」。今回のテーマは「パリパラリンピック」。先生役は静岡新聞の寺田拓馬運動部部長が務めます。(SBSラジオ・ゴゴボラケのコーナー「3時のドリル」 2024年9月5日放送)

(寺田)今回はパリ・パラリンピックの話題です。連日熱戦が展開され、県勢は11人が出場。2021年の東京大会に続いて躍進し、メダルラッシュが続きました。

浜松市出身で競泳の鈴木孝幸選手が男子50メートル平泳ぎで金、100メートル自由形で銀、200メートル自由形で銅メダル。藤枝市出身の佐藤友祈選手は車いす陸上の男子400メートルで銀メダルを獲得し、沼津市出身の若山英史選手がメンバー入りした車いすラグビーも念願の金メダルに輝きました。

(山田)盛り上がってますね。

レジェンド鈴木選手「21歳の自分を超えられた」

(寺田)以前もこのコーナーで紹介した鈴木孝幸選手。37歳のレジェンドはさらなる進化を見せています。鈴木選手は先天性の四肢欠損で右腕の肘から先と両足がないんですが、水の中では本当に自由かつダイナミックな泳ぎを見せます。

金メダルを獲得した50メートル平泳ぎは48秒04の自己ベスト。16年前に出した自己記録を更新して、「思い描いていた通りの泳ぎができた。21歳の自分を超えられた」って。

(山田)本当にすごい…。

(寺田)私も大会前に取材しました。東京大会の後に利き腕の左肩を痛めて、寝てる時に飼っている猫が乗るだけで激痛が走るほどの痛みに苦しんだそうなんですね。

年齢も年齢ですし、痛めた左肩と「ずっと付き合うしかない」という状態だったそうです。そこから1日1時間半の筋力トレーニングに取り組み、肩まわりを強化して、フォームも試行錯誤して、勢い任せだったかつての、若かりし時の自分を超えて見せました。限界を決めない―そんなパラスポーツの神髄を体現しています。

(山田)今回も金、銀、銅すべて取っているんですね。

(寺田)鈴木選手は聖隷クリストファー高出身で、当時国語の授業を担当した山田先生は「常に挑戦し続けている。誇りに思う」と活躍を喜んでいました。

山田先生によると、鈴木選手は高校時代も持ち前の明るい性格でクラスにすぐ溶け込み、身体的なハンディを感じさせなかったっていうんです。体育祭の長縄跳びでは他の生徒とともに同じ高さで飛び、授業の教室移動でも階段をすいすい昇っていたそうです。同じく同校恩師の大橋先生は「とても強い子。誰も特別扱いはしなかった」って振り返っていました。

鈴木選手は2004年アテネから6大会連続でパラ大会に出場しています。前回の東京大会までに通算10個のメダルを持っているんですが、今大会でまた増えました。

佐藤選手の価値ある銀メダル

(寺田)そして陸上の佐藤友祈選手。佐藤選手も34歳のベテランです。佐藤選手は20歳を前に原因不明の病気で突然歩けなくなったそうです。後で「脊髄炎」という診断を受けたんですが、判明するまで時間が掛かり、なかなか行政からの障害者認定を受けられなかったんですね。

当時、佐藤選手を支援した藤枝市のNPO法人理事長の井出さんによると、当初は自分用の車いすをオーダーメードできず、中古でボロボロの車いすに乗っていたそうです。晴れて自分用の新しい車いすを手にすると、元々運動好きだった佐藤選手は市内を走り回り、生活も性格も活発的に変化しました。

今回、400メートルは銀メダル。東京大会は金で連覇を狙ったんですが、23歳の世界記録保持者でベルギーのカラバン選手に届きませんでした。

でもね、今回も誇れる銀メダルなんです。カラバン選手は元ハンドボールのプロ選手で昨年の世界選手権で彗星のように現れ、佐藤選手に2秒以上の差をつけて優勝したんです。その後も差は広がる一方で今年5月の世界選手権では5秒近くの差をつけられました。しかし、パリの大舞台では1秒16差。もう少しというところまで追い詰めたんです。

「打倒カラバン」で猛練習を重ね、走行時の空気抵抗を減らそうと、着座姿勢を低くする工夫もしました。本当はフォームに合わせて車いすを変えたかったんですが、時間がなかったそうで、2028年のロサンゼルス大会には新型の車いすで挑み、「しっかり調整して金メダルを日本に持ち帰りたい」と絶対王者からの覇権奪回を誓っています。

(山田)もう先を見ているんですね。

車いすラグビーはなぜ金を取れたか

(寺田)沼津出身の若山選手がメンバー入りしていた車いすラグビーも悲願を成就させました。若山選手も39歳。今回県勢は30代の男子選手が活躍してますね。

(山田)僕も39歳。同じ年だ。

(寺田)若山選手は4大会連続で代表に選ばれてるんですが、車いすラグビーで日本は2016年のリオ、2021年の東京はいずれも銅。準決勝の壁を越えることができませんでした。今回、どうしてこの壁を乗り越えることができたのか。

(山田)おっ、解説してください。

(寺田)先に車いすラグビーのルールを簡単に説明します。チームの先発は4人で、通常のラグビーと違ってボールは丸く、前にもパスができます。

選手個々に障害の度合いによって持ち点があって、障害の程度が軽度の選手だけでは駄目。重度の選手も同時に出場する必要があります。また男女混合で女性が出場すると、チームの持ち点が考慮されて有利になるんですよ。

なぜ日本が今回金メダルを取れたのか。選手個々の頑張りはもちろんなんですが、独自の戦術を磨いたんですね。

サッカーで言うところのハイプレスって感じでしょうか。アメリカ出身で前任のケビン・オアー監督が敵陣で相手に圧力をかける攻めの守備を提唱したんです。

それまで車いすラグビーは攻撃側が優位で、自陣でトライラインの前を固める守りが主流でしたが、積極的にボールを奪いに出て自チームの攻撃回数を増やそうとしたんです。

日本の関係者が「これまで全く考えもしなかった」と驚いたアグレッシブな戦術が決勝のアメリカ戦でも奏功し、勝負どころで敵陣でパスカットして貴重なトライを挙げました。

(山田)なるほど!たしかにミスを誘うためのハイプレスでしたね。

(寺田)若山選手は静岡銀行に勤務されているんですね。上司の方も「今や職場のシンボル的な存在。金メダルの獲得は行員の大きな励みになる」って喜んでいます。

パラのシンボルマークが表現するもの

(寺田)最後にパラリンピックのシンボルマークの話をしたいと思います。パラのシンボルマークって、門努さん頭に浮かびます?

(山田)パッと浮かんできません…。

(寺田)五輪のシンボルマークは分かりますよね。5色の同じ大きさの輪が結び合うおなじみのマークです。5つの輪はアジア、ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカ、オセアニアの5大陸の団結とオリンピックに世界中から選手が集まることを表現しています。 

青、黄、黒、緑、赤の輪の色に地色の白を加えると、世界の国旗のほとんどを描くことができるんです。世界平和への願いが込められています。

それではパラのシンボルマークは…。実は何度か変わっているんですよ。今のマークは4代目。細い月のような3本の曲線になりました。

色は赤と青と緑。心(スピリット)と肉体(ボディ)、魂(マインド)を表していて、このシンボルマークは「スリーアギトス」と呼ばれています。「アギト」とは、ラテン語で「私は動く」という意味で、困難なことがあってもあきらめずに、限界に挑戦し続けるパラリンピアンを表現しています。

今日はメダルを取った県勢の話をしましたが、メダルを取れなかった選手からも多くの人が勇気と感動を与えてもらっていますよね。

もちろん勝負も大事なんですが、パラリンピックの選手は人間としての限界を決めず、挑戦する姿勢を示そうとしています。パラアスリートがスポーツの可能性自体を広げてくれているのではないか、そんなふうに思います。

(山田)パラアスリートの試合に心を動かされる人は多いですよね。今日の勉強はこれでおしまい!

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