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【佐橋佳幸の40曲】​​Darjeeling「J・Tea」共鳴野郎 Dr.kyOn と一緒に新レーベル設立!

Re:minder

2018年02月14日 Darjeelingのアルバム「8芯二葉〜梅鶯Blend」発売日(J・Tea収録)

連載【佐橋佳幸の40曲】vol.38
J・Tea / ​​Darjeeling
作曲:Darjeeling
編曲:Darjeeling

Dr.kyOnとのユニット、“Darjeeling(ダージリン)”


以前にもご紹介した通り、1990年、喜納昌吉がセルフカバーした「花」のレコーディングセッションで佐橋佳幸はDr.kyOnと運命の出会いを果たした。それを皮切りにふたりはさまざまなライブ / レコーディングセッションでコラボレーションを重ね、1990年代半ばには揃って佐野元春のセッションバンドに参加。そのバンドがやがて “THE HOBO KING BAND” へと発展し、以降、長らく活動を共にしてゆくことになる。

演奏してよし、喋ってもよし。そんなふたりの才能はやがてテレビ関係者の目にもとまり、2005年には大阪よみうりテレビで初のレギュラー番組『共鳴野郎』を持つことに。月1回放送のローカル深夜番組ではあったが、 “Darjeeling(ダージリン)” というユニット名を冠した彼らふたりが気になる音楽仲間を毎回ゲストに招きマニアックなトークとセッションを繰り広げる興味深い内容は業界内でも大いに注目を集めた。

「Darjeelingというグループは、いちおう公式には『共鳴野郎』での番組内ユニットとして誕生した… ということになっていますけど。ただ、その根っこにあったのはTHE HOBO KING BAND。佐野さんにHOBO KINGとして召集されてから、もう、文字通り年がら年じゅう一緒にいることになったじゃないですか。ツアーに出れば毎日同じステージに立つし、その間にいろんな話もするし、旅先でライブハウスセッションを企画をしたり。ツアーが終われば、今度は佐野さん以外のレコーディングやセッションでも一緒になったし。だから、ここまでいろいろ一緒にやってきて、これからも一緒にやっていくのであれば何か名前がいるよねってことになっていたんです。そういう時期だったからね。番組が始まったことも大きかったけど、それも含めて、僕らが音楽の現場で一緒にいる時間が増えたことで生まれたユニットだったのは間違いないな、と」

1990年代後半に生まれたDarjeeling。1980年代のUGUISS、1990年代初めに結成された山弦ともども、佐橋史上における3大バンド / ユニットのひとつだ。そのバンド名がなぜDarjeelingになったかというと… 。

「いやぁ、ほんっとに、未だになんでDarjeelingになったのか思い出せないんですけど。たぶんキョンさんのアイディアだろうな。いつも “なんでDarjeelingなんだっけ?” って聞くんだけど、ニヤニヤするばかりで教えてくれないんだよね(笑)」

音楽仲間たちが次から次へと登場した前代未聞の音楽バラエティ番組「共鳴野郎」


前述した通り、毎回ゲストを迎えてのセッションとおしゃべりをメインに、音楽だけにとどまらず、ゴルフ、料理などさまざまなジャンルの探求(?)を究めた前代未聞の音楽バラエティ『共鳴野郎』。関西ローカル番組ながら、2006年に行われた番組イベントでは大阪城ホールを満杯にするなど大人気を博した。

2005年10月にスタートして2008年3月に終了するまで全30回放送。なんといってもゲストの豪華さが話題になった。平原綾香、三沢またろう、デーモン閣下、Sowelu、パピーペット、中島卓偉、小島麻由美、山本拓夫、小倉博和、藤井フミヤ、元ちとせ、くるり、YO-KING、根本要、曽我部恵一、クラムボン、佐藤竹善、向井秀徳、バンバンバザール、河口恭吾、中納良恵、仲井戸"CHABO"麗市、HALCALI、山崎まさよし、細野晴臣…。Darjeelingの音楽仲間たちが次から次へと登場した。

「で、番組は2008年に終わるんですけど。せっかくここまで盛り上がったんだから続けていきたいよね、ということになって。その流れで今度は東京の六本木にあったクラブ “新世界” でのレギュラーセッションが始まるんです。これもキョンさんのアイディア。“Darjeelingの日” と名づけて年に4回できればいいねってことで。番組と同じようにいろんな人たちをゲストに招いて、毎回いろんなテーマでセッションして…。番組の最終回のゲストが細野晴臣さんだったので、ライブのほうは第1回目のゲストとして細野さんに来ていただきました。ちなみに僕らがDarjeelingと名乗るようになってからの最大の変化というのは、自分たちのオリジナル曲を作り始めたということなんです。それまでの僕らの場合、誰かのレコーディングに参加する以外はカバー曲のセッションが中心だったけど」

「でも、『共鳴野郎』では必ず番組の中でどちらかのオリジナル曲を作ろういうことになって。それで毎回、交互に曲を作っていた。だから、新世界のセッションのほうでも同じように毎回オリジナルを作ることになった。当然、曲はどんどん溜まっていくので、ライブ音源を中心にした自主制作盤も出しました。番組が始まった時には “いつかアルバムを作りたい…” みたいなことは特に考えてなかったんだけど。でも、実際オリジナル曲を作るようになって、その曲が増えていって。そうなると、Darjeelingとして自分たちの作品をちゃんと残していきたいなって思い始めたんですよ」

クラウンレコードで大人の音楽のレーベルをやってくれないか?


その後もDarjeelingはマイペースな活動を定期的に続けていた。2014年には串田和美が1977年に作・演出したオリジナル戯曲『もっと泣いてよフラッパー』のリバイバル上演(主演:松たか子)の音楽も担当。伝説の音楽劇に新たな魅力を付け加えてみせた。と、そんな中、2016年に佐橋は旧知の業界人から “ちょっと相談がある” と呼び出される。

「篠田(徹)さんという、今はクラウンレコードのいわゆる “エラい人” になっている方なんだけど。実はね、この篠田さんも佐野さんと同じく、僕の中学生時代… つまり “人力飛行機” 時代を知る数少ないひとりなんです。当時、やっぱりヤマハ渋谷店の界隈にいたお兄さんたちのひとりでね。学生バンドのギタリストとして、ヤマハのコンテストで入賞してたりした人なの。で、篠田さんも、人力飛行機のサハシをかわいがってくれてね。僕が最初にジョン・ホールを好きになったきっかけも、たしか篠田さんだったと思うな。そんな人。で、その篠田さんからの相談というのは、なんと僕に新しいレーベルをまかせたいという話だったんです」

佐橋自身も驚いたというこの唐突な提案のきっかけはほんの少し前にさかのぼる。小坂忠が活動50周年を記念してクラウンで制作した初のカバーアルバム『Chu Kosaka Covers』(2016年9月リリース)。そのレコーディングセッションに、佐橋はDr.kyOnと共に参加した。レコーディングは群馬県・高崎にあるスタジオでの合宿スタイルで行われたのだが、そのスタジオに篠田氏が遊びに来たのだという。佐橋が言う通り、レコード会社の重役である篠田氏がレコーディング現場に来るのは珍しく、ましてや自ら運転して高崎までやってきたというのだから。“遊びに来た” と言いながらも、この段階ですでに新レーベルの構想があり、その上での “視察” 目的もあったのだろう。

「実は、さらにその少し前に篠田さんに会った時、僕とキョンさんがDarjeelingっていうのをやってることを話したの。キョンさんという人に出会ってから、ふたりでいろんなことをやっているんだ… と。それもあって、忠さんのスタジオで “こいつらにまかせたら面白いレーベルになるんじゃないか” って思ってくれたのかな。わかんないけど。とにかく、篠田さんいわく “クラウンレコードで大人の音楽のレーベルをやってくれないか?” と。クラウンといえば演歌や歌謡曲の名門でもあるけど、僕なんかにとってはPANAM(パナム)レーベルのレコード会社じゃない? PANAMっていうのは、1970年代当時、ものすごい新しい音楽をやっていたレーベルでしょ。僕が大好きだった大貫(妙子)さんの初期のソロもPANAMだし。それで、今の音楽界にあの時代のような新しい音楽の息吹きが欲しい、あの頃PANAMがやっていたようなことを再びできないだろうか、と相談されたんです。音楽好きの大人が買えるような新しい音楽のレーベルを作りたいんだということだった」

ふたりにとってもっとも理想に近い形でのレーベル、ソミラミソ レコーズ


21世紀のPANAMレーベル。まさに、佐橋とキョンの理想とする音楽レーベルだ。当初は休眠中のPANAMレーベルそのものを復活させ、Darjeelingがレーベル全体をオーガナイズするという壮大なプランもあったのだとか。が、Darjeelingを交えながら社内で議論が重ね中、プロデューサーであってもビジネスマンではない、そして何よりもミュージシャンであるふたりにとってもっとも理想に近い形でのレーベル設立が決定した。それがGEAEG RECORDS(ソミラミソ レコーズ)だった。

「これまでに僕らがDarjeelingとして作ってきた曲をどんなカタチで出そうかなとか、僕らがプロデュースするとしたらどんなアーティストがいるかなとか、そういう話から始まって。まずは4枚、Darjeelingとしてのミニアルバムを出して。同時に、Darjeelingがプロデュースする単独アーティストの作品も出していこうということになりました」

こうして完成したのが2017年から2019年にかけてリリースされた4枚のミニアルバム、

▶︎『8芯二葉〜WinterBlend』(2017年11月)
▶︎『8芯二葉〜梅鶯Blend』(2018年2月)、▶︎『8芯二葉~月団扇Blend(2018年7月)、▶︎『8芯二葉~雪あかりBlend』(2019年1月)

だった。客演してくれたミュージシャン仲間はもちろん超豪華。元ちとせ、高野寛、直枝政広(カーネーション)、カルメン・マキ、石橋凌、デーモン閣下、中村まり、伊藤俊吾(キンモクセイ)、大貫妙子、曽我部恵一、浜崎貴司、山崎まさよし、小川美潮、河口恭吾、佐野元春、山下久美子…。

Darjeelingによる演奏ものがあったり、Darjeeling作のメロディにゲストが歌詞を付けて歌ったものがあったり… さまざまな形で料理された名曲集。佐橋は小・中学校の後輩でもあるデーモン閣下に直接、作詞とゲストボーカルでの参加を依頼。そんな、絶対にありえなさそうな夢のコラボレーションも、彼らDarjeelingの人脈をもってすれば軽々と実現してしまう。

この上なく楽しい歌絵巻。Darjeelingのふたりにしかできない超人ワザもあちこちに炸裂してはいるのだが、あまりにもさりげなくすごいことをやってのけているので、すべてがすんなり聴く者の耳に届く。そうそう自画自賛はしないkyOnも、時おり、“みんな気づかないくらい、すごいこといっぱいやってんでー” と小声で自己申告していたほどだ。

この先もこのレーベルは続けていきたいんだ


こうしたミニアルバムも作りながら、並行して川村結花、高野寛というふたりのアーティストのアルバムもリリースすることもできた。

「やりたかったことはたくさんあるんだけど。とにかく、ずっと時間との戦いで…。とりあえずシーズン1まででお休みになってしまったんだけど。コロナの影響も大きいよね。レーベルだけでなく、他のこともいろいろできなくなっちゃったからね。でも、この先もこのレーベルは続けていきたいんだ」

ちなみに、この不可思議なレーベル名 “GEAEG” は、日本の商用電源周波数に由来する。日本の標準周波数は発電機によって東西の周波数が異なる。佐橋の育った東京の標準周波数は独AEG社製発電機で送電される50Hz、Dr.kyOnの育った大阪は米GE社製発電機で送電される60Hz。この2社の社名を合わせて、AEG+GE=GEAEG。そのアルファベットをそのまま音階に置き換えると、ソミラミソとなる。一筋縄にはいかないふたりならではのマニアックなネーミング感覚だ。

20数年前の初対面でいきなり意気投合して以来、まるでソウルメイトのように尊敬し合い互いを高め合ってきたふたりだが、決して “似たもの同士” ではない。東京育ちの佐橋と大阪育ちのキョンは、文化的なバックグラウンドにせよ、音楽面でのキャリアにせよ、キャラクターにせよ、何かと正反対。周波数が違う。だけど、いつも “共鳴” している。そんなふたりを絶妙に表したレーベル名だ。とともに、文字通り♪GEAEGというコードを順に鳴らしてみると、これがまたゴキゲンなパワーコード進行だったりして…。

「そうなんだよね。周波数が違うのに不思議だよね。自分がプロデュースしたり作品を作ったりしている時、“あ、これ、キョンさんがいてくれたらなぁ” って思うこと、本当に多いからね」

バンドメンバーも呆れるくらいずっと一緒にいた


前述した通り、佐橋とキョンは1996年、佐野元春&THE HOBO KING BANDの一員として初めて一緒にツアーに出た。毎日一緒に演奏し、顔を合わせればずっと話していた。本番前の楽屋で “今夜のライブではこんなこと試してみよう” とか “あの時みたいにやりたいと佐野さんに提案してみようか” とか。ライブが終われば地元のロックバーに行き、店が閉まるまで音楽談義。よくそれだけ話すことがあるな、と佐野も他のバンドメンバーも呆れるくらいずっと一緒にいた。完全にコンビだった。あの時、水面下でDarjeelingが育っていたのだろうと佐橋は言う。

「佐野さんは1曲1曲、こういう風にしていきたいっていうのをみんなに説明しながら丁寧にきっちりとサウンドを構築していくんだけど。どういうグルーヴで、どういうパターンで行こうか… みたいなことが決まっちゃったら、あとは歌の合間のちょっとしたオブリとか、わりと自由にやらせてくれるんだよね。でね、僕、1回のライブで、キョンさんと同じフレーズを3回くらい弾いちゃったことあるからね。これ、ホントにすごいことなんだよ。この仕事をずっとやってて、僕、そんな体験したの初めてだったから。はたから見れば、あたかも最初から同じフレーズを弾こうと決めていたように見えたと思うんだけど。違うんだよ。偶然なんだよ」

「オグちゃん(小倉博和)とだってそんなこと一度もない。同じフレーズだよ? オブリだよ? リハーサル中、“あれ? 誰かオレと同じフレーズ弾いてるヤツがいる!?” って振り向いたら、キョンさんがニヤッて笑ってた(笑)。で、本番になったら、また別のところで同じ現象が起きたの。これはいったいどういうことだろうって、ホントにびっくりした。そんな人、キョンさんが初めてです。そういう意味では、間違いなく誰よりも気が合う人なんだよ(笑)」

ジェイムス・テイラー好きが出まくっている「J・Tea」


そんなDarjeelingのアルバムから1曲だけ “自分の仕事” を選ぶとしたら…。そう訊ねたら佐橋は『8芯二葉〜梅鶯Blend』のオープニングチューン「J・Tea」を選んだ。タイトルは言うまでもなく、敬愛するジェイムス・テイラーの愛称 “JT” をもじったダジャレだ。

「これはもう、ものすごいJTしている曲です。山弦の「SONG FOR JAMES」以上に、僕のジェイムス・テイラー好きが出まくっている曲ですね。この曲は僕とキョンさん、それからゴウちゃん(屋敷豪太)がドラムス、キヨシ(高桑圭)がベース… という、高野寛くんのアルバムを録った時と同じ布陣で録音したインスト。このレコーディングの前にも、くるりの京都音博のハウスバンドをこのメンバーでやったの。それが素晴らしかったんだよ。で、この曲もあのメンバーで録りたいねってことだったと思う。レコーディング・メンバーのキャスティングをキョンさんと考えるのもすごく楽しくてさ。“この人はどう?” “あ、それは思いつかなかったなー” “オレ、あの人とやってみたいんだよ” …みたいな。なんかね、中学生が夢のオールスターバンドを妄想して盛り上がってるみたいな感じでさ(笑)」

ちなみに、英国の紅茶伝来史を記述した本を見れば、必ず出てくる最重要人物にも “ジェイムス・テイラー” という同姓同名の別人がいるらしい。そんなわけでこの曲、いかにもDarjeelingらしく紅茶がらみのタイトルでもある。

「当時、紅茶の歴史みたいな本をいっぱい読んでたんだけど。読んでると必ずジェイムス・テイラーって人が出てくるんだよ。それで、わかっていても出てくるたびに “わー、JTだ!” って(笑)。Darjeelingのサハシとしては、これはジェイムス・テイラーで1曲作らないとダメでしょう、と。いやぁ、やっぱりまた、そろそろGEAEG RECORDSやりたいな。キョンさんとああでもない、こうでもないって相談しながら新しい曲を作りたいです」

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