西東京市で、保谷市の名残を見つける旅
2001年に田無市と保谷市が合併して、西東京市が誕生した。前回のこのコラムでは、その西東京市の旧田無市地域を歩き、田無市の名残を見つけて回った。同様に、旧保谷市地域にも保谷市の名残があるのだろうか。
まずは東伏見駅周辺で保谷市の名残を探す
田無に比べると、私自身の保谷へのなじみは薄い。私の地元が田無駅のある西武新宿線沿線で、保谷駅は西武池袋線の駅だからだ。しかし、西武新宿線の東伏見駅、西武柳沢駅も旧保谷市に属する駅と聞き、まずは東伏見駅に降り立った。
ところが、駅一帯がまるまる旧田無市の遺構であった田無駅に比べ、東伏見駅周辺に保谷市を思わせるものは何ひとつ残されていなかった。保谷市時代から存在していたであろう看板も、きっちり西東京市に修正されている。
ブックポストも、団地の案内看板も、まるで「昔から西東京市でしたが、何か」と言わんばかりの表記である。
少し寂しい気持ちになってうつむくと、そこには保谷市章の入ったマンホール蓋があった。
デザインマンホールや防火水槽蓋、道界の金属プレートなど、地面には保谷市の名残が多く残されているのだった。
西武柳沢駅周辺は「保谷市度」が高い?
東伏見の名所である東伏見稲荷神社に参拝した後、柳沢地区から西武柳沢駅に向かって歩みを進めていくと、看板やアパートの住所表示など、保谷市の名残がちらほら現れ始めた。
西武柳沢駅前の団地、
駅南口から延びる道路に設置された彫刻、
駅北口の駐輪禁止看板など、西武柳沢駅周辺は東伏見駅に比べて保谷市度が高くなっている。
「西東京市」に修正されたはずの看板の文字も、剥がされたか劣化したか、保谷市が透けて見えるのだった。
シジュウカラもまた保谷市の名残
西武柳沢駅からバスに乗り、西武池袋線・保谷駅へ移動してみる。保谷駅周辺も再開発が進み、保谷市を思わせるものはなかなか見当たらない。しかしきっちり西東京市に修正されているようでも、保谷市の鳥であるシジュウカラが残されるなど、どこか微笑ましい看板なども見つけることができた。
この生産緑地地区看板もそうだが、旧保谷市時代からあるものに、シールを貼って「西東京市」に修正しているケースがとても多い。先に述べた東伏見駅周辺もそうだが、旧田無市地域に比べ、旧保谷市地域ではこの修正がきっちり行われている印象だった。
時を経てうっすら存在感を増す「保谷市」
ところが、である。この「西東京市」修正が多く行われている道路標識やカーブミラーのポールに、ある異変が生じていた。そもそも修正すら行われていないポールもごくたまにあるが、
多くは「保谷市」表記の上に「西東京市」シールが貼られている。
しかしよくよく見ると、下の「保谷」がうっすら透けているのだ。
この透け具合が、合併から23年を経て進行してしまっているように見える。多いのが、西東京市の「東」と「京」の間から保谷市の「谷」が透けて見える「西東谷京市」タイプ。
もともとの「保谷市」の上に番号が振られているところに「西東京市」を重ねてしまったため、結果全てがズレて「西保東谷京市市」になってしまったタイプ。
果ては、なぜこうなってしまったのか全くわからない「保東京市」というバージョンも発見できた。
もはや忘れ去られてしまったかと思われた保谷市が、時を経てうっすら存在感を増している。今後もこうした歴史の証拠物があちらこちらから発掘されるのかも知れない、と思うと、少し楽しみでもある。
イラスト・文・写真=オギリマサホ
オギリマサホ
イラストレータ―
1976年東京生まれ。シュールな人物画を中心に雑誌や書籍で活動する。趣味は特に目的を定めない街歩き。著書に『半径3メートルの倫理』(産業編集センター)、『斜め下からカープ論』(文春文庫)。