努力/自給自足を夢見て脱サラ農家40年(71)【千葉県八街市】
自給自足を夢見て脱サラ農家40年 第71回
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全力を尽くす
最善の努力をする
が、実る努力あり
実らない努力あり
実った努力を喜び過ぎず
実らなかった努力を嘆き過ぎず
すぐさま次の作業に気持ちを向ける
タンたん淡の三拍子
食事を美味にしてくれるか三拍子
心を軽く、次の努力が実る可能性も高める
それが三拍子
田舎暮らしとは・・・そんなもの
悪くはない
光・食事・運動が「生きづらさ」を乗り越える鍵
『ウツパン』著者の回復への道
光と食事と運動が人間の煩悩を追いやってくれる
大学生や院生の自殺が多いというニュースに驚く。学業不振や病気(うつ)など理由はさまざま。自身が同じような経験をし、その経験を『ウツパン』という本にまとめた(本名も性別も非公開)の人が、自殺願望に至った背景を語る。
大学生になる前から自分って何者なのだろうという漠然とした不安と、生きているのが辛いという思いがずっと胸にありました。他人と比較し、周りに合わせようとしすぎたのだと思います・・・。
我らの時代と違い、今の若い人はセンシティブで、考えすぎるのだろうか。僕は自分が何者だろうなどと考えたことはない。周りに合わせることも少しはしたが、独りで何かに熱中、生きているのが辛いなどとは考えず過ごす時間の方が多かった。
喜ばしいことに、『ウツパン』の作者は健全な生活を送っている。回復した理由に僕は注目。「しっかり食べること」を挙げているのだ。現在は早起きして健康的だと言うのだ。平凡なこと、かつ正解だと思う。この上とこの下の写真、僕はランニングしながら朝日を浴びる。朝食を楽しむ。料理法には素養を欠く。でも栄養に関しては本能的なカンに優れる。
情報過多時代を生き抜くヒント
植物に学ぶ「地に足の着いた生き方」
話が飛ぶ。来世があるかとか、肉体は死んでも精神は生き残っているとか、占いで自分の将来を明示してもらうとか、そんな世の中に僕は背を向ける。他の動物や植物と同じ。ヒトという動物は生殖能力を持った単なる物質、命は1回きり、そう認識する。
だからこそ生きているうちはガンバロー。植物を見習って生きるのがいい。植物が必要とするのは光、水、土の中の栄養。命を次世代につなぐため、甘く香しい蜜を秘めた花を咲かせ、虫たちを呼び寄せる工夫。人間も光と水と食べ物を土台として生きる。「蜜を秘めた花」は人によって違うが、おそらく外部からの情報を集めて咀嚼、明日に、来年に役立てることだろう。
残念ながら現状はフェイクニュースも含め大量の情報が溢れる。若者の自殺願望は膨大な情報に振り回されるゆえかも知れない。自分を映し出す鏡のようなもの、意識を自分の内部に向けさせるようなもの、そういったものが昔よりも圧倒的に多く、自分は何者か、周囲の人より劣っているのではないかとの思いを募らせる。でもほっとけばいいのさ。やるべきは、地に足を着け、根を張り、光を求めて立ち上がり、結実すること。植物から人は多くを学べる。
猛暑と戦うニワトリと雑草 カナムグラ 対策で見えた自然の知恵
卵価高騰の背景にあるニワトリたちの「猛暑ストレス」
よそは激しい雷雨と伝えられる。我が地は雨なしの猛暑。猛暑なのに今日の僕は長袖のシャツを着る。ここ数日カナムグラと闘っているから。ツル性の雑草。最強の相手。根の張りが強固。全身を後方に反らせるくらい力を入れないと抜けない。
ツルにも葉にもヤスリのようなトゲがある。カナムグラの「カナ」とは金属、鉄の意味。それとの闘いから一休み。そこで面白い場面に出会う。上の写真、ニワトリが3羽、僕が毎夕使う腹筋台の下で避暑。近くにキウイや柿の木があり日陰になっている。その腹筋台の下で、腹をペタッとくっつけ体温上昇を防ぐ。
暑さにバテているのは人間だけじゃなくニワトリも・・・そんなニュースがあった。口呼吸する。せっかく産んだ卵には卵殻がなくふにゃふにゃ。卵価は高値傾向、10個パックが350円くらい・・・。ケージ飼いのニワトリたちがどれほど辛いか僕には分かる。1羽あたりB5判サイズのケージ飼い。この猛暑となれば自分の運命を悲しんでいるに違いない。うちのニワトリたちは暑さを厭わず30メートル四方くらいを行動。この腹筋台や木陰でしばし休息する。
認知症予防から熱中症対策まで
サイクリストの青春回顧 1000km走破と忘れられない旅の記憶
鎌倉に友人がいた。東京練馬のアパートから18段変速の自転車を何度も飛ばした。大船から鎌倉に入る急坂がキツかったのを覚えている。以来60年余り僕はドロップハンドル一筋だが、やはりハイライトはふるさと祝島までの1000キロを7日で走ったことだろう。
三島大社の床下で寝袋にくるまっている時、地元のヤーさんに絡まれた。京都に近くなった国道1号で疲労からか前方不注意。流したばかりのコールタールにスライディング、大勢の工事人に笑われた。三原駅の待合室で寝ていた夜中、地元ヤクザとよそのヤクザの諍いに巻き込まれて慌てた。青春の思い出だ。
熱中症対策は「貯水能力」が鍵
つい先日、自転車は認知症予防に効果ありとの専門家の見解を目にした。自転車の操縦は筋肉だけでなく頭脳的にも多くの対応が必要ゆえだという。そこでついでに熱中症についても書く。熱中症予防のためには水分補給を欠かさず。そう言われるが、これに加えて大切なのは貯水能力を高めることだ。筋肉細胞には優れた貯水能力がある。筋肉が多いほど体内水分の保持が優れる。
猛暑と戦う自給自足
記録的猛暑の畑の野菜を守るための対策と知恵
ここ数日、ニワトリたちの雨宿りハウスの新設に励んだ。害獣の被害を防止するためネットを二重張りとする。上部に厚手のシートをかぶせる。のべ5日の作業で完成。激しい雨に見舞われる例年ならこれがすぐ活躍するが、今年はおそらく8月、9月の台風シーズンまで出番はないだろう。
暑さは続く、どこまでも・・・はたして努力は報われるだろうか?
畑に手を付くと土が熱い。ほったらかしにしてあったスコップを握るとヤケドするほど熱い。ピーマンは日焼けで一部が茶色。カボチャ、メロン、マクワウリは葉がグッタリ。そろそろ限界だな。唯一、この暑さを喜んでいるのはトマト、いや僕もだ。6月の電気代330円。5月の480円を抜き太陽光発電開始7年で新記録が出た。
水やりで野菜を救う
かくなる上は徹底的に水やり作業。まずホースの延長。常設のホースは30メートル。畑全体に水やりするには20メートル不足。ワンランク下のホースを両端に力任せにはめ込むが、まだ万々歳とはならず。様々な障害物を避けて紆余曲折、ようやく目指す目標に到達。
荷作りを終えた午後5時半。僕が与える水に野菜たちが歓喜の表情を見せる。お盆頃の収穫を目論む白菜やキャベツは根回りを大量の堆肥でカバーしてある。それで乾燥がいくらか防げる。その上で溺れるくらいの水をホースで注入。キャベツ栽培が最も難しい夏。それにあえて挑戦中。
尽くすべき手は尽くす。最善の努力をする。その努力の甲斐なく枯れてしまうものもある。ガックリか、無念か・・・僕は努力が無駄だったと落胆せず。七割方の成功で十分。次は八割方の成功を目指す。
「負動産」がチャンスに?変わりゆく時代の田舎暮らしと農地活用の可能性
農業と人生から学ぶ「まっ、しょうがない」の境地
「努力をすれば報われる」という言葉には一片の希望がある。そして危うさがあることもまた確かだ。何かをきっかけにして、それはくるりと自己責任論に転じ、「苦境にあるのは努力が足りないからだ」と他人へのきびしい目となる・・・。
しばらく前に目にした天声人語の冒頭部分。天声人語は続けて安倍総理時代、自民党支持者への聞き取りを紹介。「格差社会は仕方ない。努力した人生は否定されるものじゃない」「自分のことは自分で守るのが当たり前」そんな発言が多かったという。政治的なことは今はさておく。百姓暮らしにおいて、まず、なすべきことは全てなす。その努力が実らなかった時、まっ、しょうがない。次はもうちょっと工夫してみよう、これが我が生き方・・・。この話には続きがある。「努力」をキーワードとした米国民主党支持者と熱狂的なトランプ支持者との隔たり。でもひとまず今は置く。
0円物件の登場と自治体の変化
トシ取ると時代は変わったと思う場面が多くなる。世間の注目を集める歌や役者を知らない。50歳くらいまで熱中したマラソン大会。維持費の高騰や参加者減で消滅するものが多いというニュースにも驚く。しかし、なんたって一番驚いたのは他ならぬ田舎暮らしと関わる事柄。
朝日新聞の『現場へ!』が「限界不動産」を5回連載。アナタはご存じか。親から相続するも資産価値なし。でも維持費はかかる。もって”負動産”という言葉が生まれた。維持費さえかからねば物件はタダでいい。インターネットのサイト「みんなの0円物件」や「負動産の窓口」はこうした事情から発生したものらしい。
僕が驚いたのは、うるさいことを言わない、柔軟な対応をする自治体が増えたという記述。農家以外が農地を取得するには農地法によって地元の農業委員会の許可が必要だ。今から40年前、僕が現在の畑を買おうとするとき農業委員会に呼び出された。耕作経験を細かく問われ、本気で農業をやろうとしているのか、投資目的ではないのか、厳しい質問を浴びせられた。
そんな過去の経験ゆえ、朝日新聞に紹介されている事例に時代は変わったという感慨を深くしたわけだ。かつて、土地は間違いなく価値ある財産だった。だが人口は減り、地価上昇は大都市圏か外国人に人気のあるスキーリゾート地だけとなった。親から引き継いだ農地を懸命に守ってきた人たちも高齢となり、生活インフラの消滅などで生活そのものの維持さえ難しい。それゆえ農地を手放したいと考える高齢者は多い。朝日新聞の記事にはタダで農地を手に入れたという人が登場。まさしく、田舎暮らしを夢見る人にとって今は大きなチャンスであろうと僕は思う。
猛暑と戦う「自然派」の生き方
なぜそれでも「不便益」を選ぶのか
ついに猛暑の王様が登場した。気温36度。無風。畑でスコップ仕事をすると、熱を持った綿の中に埋もれているようだ。しかし日中はまだいい。夜の気温27度。窓2つを開けたまま、パンツ1枚、50センチの距離に扇風機を「強」で朝まで回す。窓を開けたままゆえ蚊が入る。が、扇風機が蚊を吹き飛ばしてくれる。
ふだんから口の悪いガールフレンドが言う。バッカじゃないの、こんな暑さで昼間10時間働き夜は扇風機・・・原始人だよ、自分のトシを考えろ、いまに死ぬよ。エアコン買いな。高いものじゃないよ。いいかい、今のままじゃ死ぬよ・・・。
ふふっふ。少しは愛を込めた言葉。でも相変わらずキビシイねえ。エアコンの心地よさはスーパーで知っている。でも買う気にならず。だってエアコンの心地よさを体が覚えたら日中のスコップ仕事なんてやる気にならない。
それよりも、寒さを含め、自分の体が自然に対してどこまで通用するかを確かめたい。僕の主治医は僕自身。呼吸、心臓の鼓動、脈拍、仕事しながら常に観察。先に、食べ物に関して優れたカンがあると書いたが、自分の体への観察力も優れていると思う。でも我が体もいつか耐用年数は来る。しかしその日が来るまで“この苦しみ”を楽しみとして生きてみる。
猛暑の畑に潜む影
アライグマ被害を防止するためネットを張ったトウモロコシが食われた。2メートル近いネットを乗り越えたか、僕が気付かない穴がどこかにあるか。猛暑の中、今日はトウモロコシそのものに上からネットを掛ける作業に奮闘した。
現代の「生きづらさ」を乗り越えるヒント
「努力」と社会の分断
さて今回のしめくくりは「努力」を考えること。僕は前から大統領トランプ氏の熱狂的な支持者はどんな人たちか興味を持つ。その疑問に答える専門家の論述を目にした。民主党支持者は努力して優れた大学に入り、しかるべきポジションに就く人が多い。熱狂的トランプ支持者はそれが気に入らない。あいつらのせいでオレたちはこんな立場に追いやられた・・・その不満、嫉妬心をうまくすくいあげたのがトランプ氏だというのだ。
支持者に向かって「私は君たちを守る、再び偉大なアメリカを」そう高らかに唱えるトランプ氏は不法移民者を排斥。しかし伝えられるところよると、大農場での収穫作業を担うのは移民の人たちだった。その人たちがいなくなり、収穫不可となった作物は腐敗するにまかせているという。
努力していい大学に入り、高いポジションに就く。それが人の幸せに直結するかどうかは別として、努力そのものは否定されるべきではあるまい。学校の勉強はダメだった僕だが、田舎暮らし、百姓生活においては精一杯の努力をして生きている。
先に書いたように、努力が報われる、報われない、両方ある。今日報われずとも明日また新たな努力をなす。万事が好奇心、モノを作る面白さ、自分の体を自然のキビシさにぶつけて生きる満足からである。自分は何者か考えたことはない。生きているのが辛いと思ったこともない。昨今の若者の生き辛さは、頭と心、情報主体の日々だから迷う。実体を持つモノとの触れ合いが少ないから体は疲れず心だけが疲れるのではないか。
仕方がナイチンゲール
田舎暮らしには実体がある。この野菜、この果物はいま何を欲しがっているか。ソーラーパネルの方位と角度はこのままでいいか・・・常にモノと向き合い対処する。ネットを張ったが食われてしまったトウモロコシのように、対処が功を奏さないこともあるが、つぶやく。仕方がナイチンゲール・・・。
これは借り物。広島県尾道の石井哲代さん104歳。その生活を描いた映画は100か所の映画館で上映されるほど好評らしいが、彼女はイヤなこと、不安なことがあっても仕方がナイチンゲールと駄洒落にして受け流し、すぐ気持ちを入れ替え次の場面に進んでいくのだそうだ。
ミドルライフクライシスを乗り越える!
田舎暮らしとダジャレ的健康法
数日前のNHKクローズアップ現代は「ミドルライフクライシス」というテーマだった。人生半ば、40代50代で不安やウツ、イライラに襲われる。体力が衰え子育ても一段落、さて自分はこれからどう生きて行けばよいか・・・そんな背景とともに脳とも関係あるらしい。ふだん不安・ウツを抑えてくれる脳の一部。それが委縮して働きを弱めてしまうとのことだ。
脳の萎縮は暑さ寒さの中、全身を使いモノを作ることで防げる。活性化さえする。田舎暮らし46年で体得したことだ。作るモノが食べ物であるなら達成感に「口福感」を上乗せ、さらなる活性化をもたらすはずだ。
番組では様々な解決法が示されていた。ちょっとインパクトが弱いなという印象だった。丁寧だが対処法が精神に偏り過ぎていた。もっと乱暴に前に出たらどうか。我がガールフレンドが言う原始人みたいに。体力が衰えたのなら回復・増強する手段を取る。具体的なモノと触れ合う日常とする。
いま目の前にスイカがある。頭上は豪快な雲と青い空。不思議だと思う。たったこれだけで心が満ちるなんて。この先の人生をどうするかなど迷いの入り込むスキがない。情報でも観念でもなく36度という気温を含めすべてが具体的なモノだ。そのモノと深く絡み合った時間を生きる。それが田舎暮らし。クローズアップ現代の、もし僕がコメンテーターならば言う。
裸になって光を浴び、穴を掘り、草を抜き、支柱を立て、水をやる。ボタボタ汗が流れますね。これからの人生どう生きるかなんて悩んでたら、その汗がきっと笑いますよ、言いますよ。
こっちにおいで。どう生きるかなんて悩みをアタシがさっぱり洗い流してあげるから。汗が人生の悩みを洗い流すなんてあり得ない・・・ですって? でもアリエールなの。脱臭効果はアレより落ちるかも。汗臭さは残るかも。でもアタシの洗浄効果はバツグンよ。モヤモヤ、ウツウツなんてドバッと流して真っ白なココロにしてあげる。ハッタリなんかじゃないわ、アリエールよ。ドバドバの汗を流した後の冷えたスイカは美味よ。着替えのシャツ2枚持っておいでこっちに、イナカに。イナカでアタシといい仲になって人生後半の幸せをつかむのよ・・・。ふふっ、座布団1枚がやっとね、このダジャレ。
→もりもりのクモ