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齋藤薫 × 土屋敏男 ①【みんなのテレビの記憶】ザ・ベストテンはいったい何が革命だったのか

Re:minder

1978年01月19日 TBS系音楽番組「ザ・ベストテン」放送開始日

キャスティングを放棄した「ザ・ベストテン」の衝撃


『進め!電波少年』(日本テレビ系)などで知られるプロデューサー・土屋敏男が、数々のテレビ番組の “中の人” と共に、今も色鮮やかに輝くテレビの歴史を深掘りしてゆく『みんなのテレビの記憶』。このYouTube番組に、伝説の音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)の元ディレクター・齋藤薫がついに登場!

今回、Re:mnderでは、音楽番組の金字塔である『ザ・ベストテン』について、”音楽番組の革命” 、そして “今も人々の記憶に残る理由” という2つのテーマを掲げ対談を再構成。前編 ① では『ザ・ベストテン』がいかに画期的で、音楽番組の革命だったかを感じ取ってもらいたい。

ーー『ザ・ベストテン』はこれまでの音楽番組の常識を覆し、出演者のキャスティング権を放棄。レコードの売上、ラジオのリクエスト、有線放送、リクエストはがき。この4つのデータで番組を作ってきた。これらのことがいかに画期的だったか。 土屋は当時の衝撃を隠せなかった。

土屋敏男(以下:土屋):テレビに出演すると、次の日レコード屋でその曲が売り切れてしまうとか、そういう時代。そこでは、キャスティングするプロデューサーが大きな力を持っている。テレビ局がミュージシャン、歌手をキャスティングするのが常識だった時代に『ザ・ベストテン』は “何が売れているか” という部分に特化して、キャスティング権を放棄しているんです。これが出てきた時、ものすごいショックというか、革命が起きたと思いました。

斎藤薫(以下:斎藤):『ザ・ベストテン』はレコード売上、ラジオのリクエスト、有線、はがき。これだけで番組を作っていますから。第1回目の放送で、人気絶頂の山口百恵が11位でした。今までだったらランキングを操作して、10位にしちゃいますよね。だけど『ザ・ベストテン』は、4つのデータをいじらないという大コンセプトがあるので、山口百恵は出られなかった。

ーー さらに、テレビに出ないことが前提のニューミュージックやロック系のアーティストがランクインした場合も同様だった。

斎藤:もうひとつは、第4位に中島みゆきが入っていました。今までだったら、中島みゆきがランクインしていたとしても10位以内に入れないですよね。中島みゆきがテレビに出ないということはわかっているので。でもそのまま第4位で、しかも久米(宏)さんが「中島みゆきさんは今レコーディングのために出演できません。ごめんなさい」と言うんです。これまでの常識ならあり得ない。

テレビってカッコ悪いところを見せてもいいじゃん


ーー この日の放送は、当時大学生だった土屋もはっきり覚えているという。大人気だった山口百恵が出演できず、テレビに出るはずのない中島みゆきがランクイン。それで司会の久米宏が「出演できません」と謝る。これが大きな衝撃だった。

土屋:僕は『進め!電波少年』を始めた時、『ザ・ベストテン』の影響を受けていたと思います。テレビってカッコ悪いところを見せてもいいじゃん、というのは、あの瞬間だと思うんです。“出ていただきたいと思ったんですが、出ていただけませんでした” というリアリティ。これがテレビの本質だと思いました。

ーー つまり、お膳立てして作られたありきたりの番組ではなく、裏も表も全て見せる。『ザ・ベストテン』は最新の流行歌を楽しむ音楽番組でありながら、ノンフィクションのドキュメンタリーでもあった。そのために生放送にこだわった番組作りに注力していた。

斎藤:生放送にとことんこだわった番組で、木曜日夜9時に歌手やアーティストが、どこで何をしているか? それをそのまま伝える。嘘はつかないと。レコーディングをやっていたらスタジオから中継、コンサートをやっていたら会場から中継を入れる。新幹線で移動していたら新幹線に中継を入れる…。当時、この時間帯に『カックラキン大放送‼』の収録をやっていたので、収録場所だった調布グリーンホールにはしょっちゅう行ってました。日テレさんに限らずNHKさんでもやりました。いわゆる “おでかけならどこまでも” と。

土屋:歌っている途中で新幹線が発車してしまうという中継もありました。ちょっと歌って、(ドアが)閉まって、また歌って、いなくなっちゃう… あれは最高でした。それは電波少年でも影響を受けました。いなくなるほうが大事なんです。頭の固いプロデューサーだと1本遅らせても大丈夫ですよね? と交渉すると思う。それで最後まで歌わせる。でもそれで “はい!それではスタジオに返します” ではつまらないですよね。それをやらずに乗っていってしまう。

斎藤:それは、さっき仰ったように、カッコ悪いところも全て見せているんです。

「じゃあ、山田たちの言うことに賭けてみよう」


ーー 音楽番組におけるそういうこだわりはテレビ業界では前代未聞のことだった。当時日本テレビでは『NTV紅白歌のベストテン』、フジテレビでは『夜のヒットスタジオ』といった音楽番組が人気を博していて、「TBSは、日本テレビ、フジテレビの後塵を拝していました」と語る斎藤。結果的にこれが功を奏したのだが、番組スタートまで、TBS内部では、議論が繰り返され、1977年10月スタートのはずが3ヶ月遅れ、『ザ・ベストテン』の放送開始は78年1月だった。

土屋:僕も日本テレビを離れたので言えますが、当時はフジテレビで『夜のヒットスタジオ』、ウチでやっていたのが『NTV紅白歌のベストテン』。でも、ベストテンと言いながら、テレビ局の事情のベストテンなわけです。それが当たり前だったところに、データからの集計でやるというのは、テレビと業界の関係を完全に覆した番組だと思います。番組は1月スタートでしたよね?

斎藤:スタートまでずいぶんすったもんだしたらしいです。僕は右も左もわからない新人だったので、そんなにピンときていませんが、何か新しい時代が始まったなという空気を感じました。若手はニューミュージックやロックの人も出られる番組を作りたいと。上の人たちは今まで通りのキャスティングでやりたいと。その時、一番トップにいた人が “若手に任せてみようや” と言ってくれたと聞いています。だけど、リスクはものすごく大きくて…。

この時、山田修爾(『ザ・ベストテン』生みの親と言われ、第1回から最終回まで全ての放送に関わった)は32歳ですね。この年代の若手のデイレクターやADたちが押し切ったということです。当時の制作局長たちが “じゃあ、山田たちの言うことに賭けてみよう” と。そういうふうに聞いています。しかも全て生放送でやろうと。

ーー このように革命的音楽番組『ザ・ベストテン』はスタートした。しかし、当時のテレビ業界から考えてみたら規格外の発想だ。テレビ業界を知る土屋は “視聴者が見たいものを見せるんだ。それを音楽バラエティとしてやるべきだっていうのは、テレビ界の革命の中でもかなり特出した革命だ” と語りながら “それがなぜできたのか、なぜ、やろうと思ったのか?” と疑問を投げかける。

斎藤:それはやっぱり、できる限り視聴者と同じ目線に立って… ということだと思います。もちろん、従来テレビに出ない人たちを出演させたいという気持ちもありましたが、もうひとつは、業界から “これだろ” と押し付けるのではなく、あくまでも視聴者のデータで番組を作る。(集計データをいじることは)一切アンタッチャブルでした。

「絶対に嘘はつかないでね」、黒柳徹子と交わした約束


ーー そして、番組をスタートするにあたり、この基本方針に大きく関わっていたのが、司会の黒柳徹子だった。

斎藤:山田は、黒柳さんが司会を引き受けるにあたって、“絶対に嘘はつかない”という約束を交わしました。それはデータの件も含めてですね。

ⓒTBS

ーー 黒柳徹子と久米宏。この2人の司会があってこその番組だったというのも明白だった。軽妙洒脱、歯切れの良いトークでハプニングも笑いにしてしまう久米に、常にマイペースで “絶対に嘘はつかない” という姿勢の黒柳の名コンビ。黒柳のこのようなスタンスを象徴する名エピソードが1980年6月12日の放送だった。

斎藤:この日はシャネルズ(現:ラッツ&スター)が「ランナウェイ」で4位にランクインしていて、中継場所にいた少年が「シャネルズはどうして黒人のくせに香水の名前なんかつけるんですか」と。それで彼らが歌い終わった後、黒柳さんが、「時間もないところにちょっとアレなんですけど…」と前置きをしながら、「ああいうふうに、“〜のくせに” というふうに、顔の色とか国籍が違うということで、そういうふうに区別したものの言いかたをすると、私は涙が出るほどとっても悲しく思いますので」と涙ながらに言うんです。そうやって、生放送中に何かあったら全部フォローしてくれる方でした。

これは “テレビ史上に残る大事件、黒柳徹子27秒の魂のメッセージ” として多くの人が記憶している。まさに “みんなのテレビの記憶” である。まさに『ザ・ベストテン』は音楽番組であると同時にノンフィクションのドキュメンタリーだった。つまり、ここにも土屋の言う “テレビの本質” があったのだろう。そう、これこそが革命だったのだ。

齋藤薫 × 土屋敏男 ①【みんなのテレビの記憶】後編では、音楽番組の革命だった『ザ・ベストテン』がなぜ今も語り継がれ、人々の記憶に残っているのか、その理由について2人の対談を通じ紐解いていきます。

Information
みんなのテレビの記憶
日本のテレビ番組に関するインターネットコミュニティ。【主宰】土屋敏男
https://www.youtube.com/@tvnokioku

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