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(第3話)魅力化の主役は誰なのか?【連載】夕張は倒れたままか?~北海道発・高校存続プロジェクトの現在地と課題

Sitakke

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■(第1話)脱皮に苦しむ元産炭地【連載】夕張は倒れたままか?
■(第2話)行政と教育現場をつなぐのは…【連載】夕張は倒れたままか?

出会いは「メロン熊」

埼玉県から入学した植田梨々さん(15歳)

新居でピースサインを贈ってくれたのは、植田梨々(うえだ・りり)さん(15歳)です。埼玉県で生まれ育ちましたが、夕張高校の全国公募に応募して合格し、今春、夕張に移り住みました。

(私)「どうして夕張に?」
(植田さん)「最初はまったくそうではなかったんです。兄が島根県の高校に地域留学していたので、私も地域留学はしたいと思っていました。それで去年、東京であった全国の地域留学の合同説明会に行ったんですね。もちろん、兄が通っていた島根県の高校の説明を聞くために」
(私)「そこで何があったのですか?」
(植田さん)「お目当ての高校のブースに行ったらすごい人だかりで、ちょっと圧倒されました。その高校は地域留学を希望する中学生には結構有名で、“意識高い”系の人もいるように見えて、「大丈夫かな…」と感じたんです。私は他人と話すのがあまり得意ではないので…」
(私)「しっかりお話をされていますよ」
(植田さん)「そうしていたら、『メロン熊』の被り物をした男の人2人に突然、声をかけられたんです。「夕張高校です!夕張市を知っていますか?」って。まったく知りませんでした…。でも、大の大人が被り物までして説明する様子に、本気度を感じたんです」

(左)協力隊員・島倉さん(右)市職員・熊谷さん(東京・去年)/画像提供:島倉さん

植田さんに声をかけたのは、「夕張高校魅力化プロジェクト」を担当していた市の地域振興課の熊谷光騎さんと島倉大和さんでした(*2人については第2話で詳述)。2人は生徒を勧誘するために上京していましたが、夕張高校のブースを訪れる中学生や親がほとんどいなかったため、半ば開き直って「メロン熊」を被り、会場を歩いて来場者に声をかけていました。

そして足を止めた植田さんに質問をされ、熊谷さんは言葉に詰まったそうです。

(熊谷さん)「『夕張の“売り”は何ですか?』って聞かれたんです。ウッとなって、すぐに気の利いた事を言えなかったんです。でもそのことを逆手にとって『人口も少ない、お年寄りが多い街だけど、なんでもチャレンジできます。やりたいことを見つけて下さい。僕たちはあなたを全力で応援します』と正直に言ったんです」

その対応が植田さんに響き、“本気度”を感じさせました。その後、熊谷さんは別の出張で上京した時、植田さんの両親に連絡を取り、埼玉県へ出向いて梨々さんに会い、夕張の魅力を語りました。
さらに夕張に戻ってから市内の景色をビデオに撮影して送り、イメージが湧くようなアプローチも続けました。

(植田さん)「私の中学校は1学年5クラスで、同学年が170人以上いる大きな学校でした。だからいい子だけが目立って、大勢の中に埋もれている感じでした」
「『人数が少ないからこそ、先生との関りは手厚くできる。人口が少ないからこそ、いいこともある』と説明されて、興味が湧いたんです」
「夕張高校は地域留学を始めたばかりで、その取り組みを学校や街の人たちと一緒に作り上げてゆきたいと思うようになりました。中学生は地域留学のことをほとんど知らないと思います。私は兄がたまたまそうしていたから知りましたが、この制度をたくさんの中学生に知ってもらう活動もしてみたいんです」

「将来をどういう風にしたいですか?」

(左)母親・美希さん (左から2人目)父親・和宏さん (右)厚谷司市長

入学式を3日後に控えた今月5日、植田さんが入った真新しい寮に、厚谷司(あつや・つかさ)市長が歓迎の訪問をしました。

(厚谷市長)「夕張の印象は?」
(植田さん)「(2月の受験の時以来)2回目ですが、最初は雪の量の多さにびっくりして、今回、雪が融けて景色が変わり、自然がいっぱいでうれしいです」
(厚谷市長)「やりたいことは?」
(植田さん)「夕張高校を選んだ理由は、留学制度を今年度初めて取り入れたと聞いて、留学生を増やすことを一緒にやってゆきたいと思ったことなんです。そのことで自分自身が成長してゆきたいと思ったんです」
  ・・・
(厚谷市長)「何か質問ありますか?」
(植田さん)「市長さんは夕張市の将来をどういう風にしたいですか?」
(厚谷市長)「(一瞬、間があって)・・・夕張は人口の減少が続いています。かつては炭鉱の街だったので、その減り方がすごい。今はピーク時の約5%しかいない。利便性が高い所にあこがれることもあるだろうけど、市民はみんな夕張のことが好きで、自然がすばらしい。そのことを大事にしてゆきたい。ゆったり暮らせることがメリット。夕張メロンを守ることもしっかりやってゆきたい」

植田さんのストレートな問いかけは、市の職員も市長も脅かせたようですが、植田さんが既にこの街の取り組みに、しっかり入り込んでいることを伺わせました。

「失敗もしてもらいながら…」

4人部屋の女子寮

植田さんは、市が新しく設置した公設寮で一人暮らしを始めました。寮は男女別で、女子寮は4人部屋ですが、今のところ1人だけの入居です。費用は平日配達される昼食と夕食の弁当代や光熱費も含めて1か月4万9千円です。
高校から徒歩5分の所に位置して、目の前にはコンビニがあり、徒歩10分の圏内にスーパーマーケットやホームセンター、図書館などもあります。
寮には生活をサポートするコーディネーターが男女1人ずつ配置され、買い物や課外活動を支援する態勢が取られています。

寮の運営を委託された会社の代表取締役・佐近航さん

寮の運営を市から委託されているまちづくり会社の代表取締役、佐近航(さこん・わたる)さん(38歳)は、道外からの新入生に「最初は驚いた」と話します。

「お父さん、お母さんからは『(娘には)失敗もしてもらいながら、成長してほしい』と言われています。こちらがあまり仕切り過ぎないよう、生徒が主役になるようにしてあげるのが大切と思っています。街のおじいちゃん、おばあちゃんとの交流やイベントを植田さんと一緒に楽しんでみようと思っています」

佐近さんは元々、夕張市の職員で、まさに「魅力化プロジェクト」を立ち上げた時の担当者でした。その後、民間でも仕事をしてみたいと東京に出て働き、北海道に戻ってまちづくりを事業として支援をする会社を立ち上げ、再び夕張と関わることになりました。

「市の職員時代は当時の鈴木直道市長の下で、予算がなく、人口がどんどん減ってゆく中、施策に知恵を絞りました。その時感じていたのは、絞った知恵を“実行するプレイヤー”がいないということでした。地域を盛り上げる人材を育成する、施策を形にするプレイヤーをつくりたい、それが地域の活性化につながると考えています」

(左)協力隊員・島倉さん (中)市職員・熊谷さん (右)佐近さん

市の職員を辞め、民間会社で働き、さらにはまちづくりの会社を立ち上げて、かつて自分が練り上げた施策を、一プレイヤーとして展開する佐近さんです。

市の熊谷さん、協力隊の島倉さんとの連携で、魅力化の具体策をこれから一つずつ形にしてゆこうとしています。

エールと課題と期待と

(左から3人目)橋場英和さん(夕張市・3月15日)

先月、夕張市では、過疎化を象徴する出来事がまたありました。市内でわずかに2つだけ残っていたJR駅の1つ「滝ノ上(たきのうえ)駅」が、利用者の減少を理由に廃止されました。その最終日の前日、ホームで列車を見送った橋場英和(はしば・ひでかず)さん(62歳)は、市内で飲食店を営んでいます。

橋場さんは、高校の魅力化プロジェクトを生み出すきっかけを作った有識者の「夕張市の再生方策に関する検討委員会(2015年-2016年)」のメンバーで、以来、街の活性化に向けて飲食店組合のまとめ役をしたり、高齢者や障害者が集まる場をつくったりしながら、市政の変遷を見つめています。

夕張市で飲食店を営む橋場英和さん

「高校魅力化のポイントは何でしょうか?大学への進学率を上げることでしょうか?それとも三笠高校(*注1)のように、料理など何かに特化した学校にすることでしょうか?生徒が行きたくなるようなポイントが見えないんです。市と高校でたくさん考えているんでしょうけど、私たち市民に夕張高校の存在感があまり伝わってこないんです」

「私は飲食業で、今回、寮生にお弁当を届けることの一部に関わらせていただくことになりましたが、高校の存続が地域にとってどういう関わりがあるのか、どういう経済効果があるのか、もう少しわかりやすい形で展開してほしいと思っています」

「いつまでに、誰が、何をするのか?以前、本州の高校の修学旅行生を夕張に誘致した時、その生徒からこう言われたんです。『去年も僕らの先輩が夕張に行って、街の活性化に意見を求められ、いろいろ提言したそうです。今年はそのどれが実現したのですか?』と。その時迎え入れた市民は何一つ答えられなかったんです。主役は若者です。実現が難しそうでも、まずやってみる、失敗してもやってみる。だって、もう落ちるところまで落ちた街なんですから」

北海学園大学経済学部教授・西村宣彦さん

橋場さんと一緒に「夕張市の再生方策に関する検討委員会(2015年-2016年)」の委員を務め、その後も夕張高校の地学協働推進コンソーシアム会議の委員を務める北海学園大学経済学部教授(地方財政学)の西村宣彦さん(49歳)は、市や住民が外からの意見や若者の意見に耳を傾け、共に成長することを期待してエールを送っています。

「夕張市の『高校魅力化プロジェクト』は、2016年に同市が策定した地方創生の総合戦略に盛り込まれて始動しました。夕張市では2007年に財政再建団体(現・財政再生団体)となり、人口減に拍車がかかるとともに、地元高校に進む生徒数も減少し、高校存続に黄信号が灯り始めていました。その頃、『財政再建10年』を検証する第3者委員会が設置され、『緊縮財政一辺倒』の財政再生計画を抜本的に見直し、『高校魅力化』のような地域再生に必要な取り組みにも力を注げるようになりました」

「『財政再生団体だから』『道立高校だから』『誰かがやってくれる』『どうせ無理』と諦めるのではなく、クラウドファンディングで資金を募り、他の地域も参考にしながら、全国的な高校改革の動きと夕張という地域の個性を踏まえた魅力化を、試行錯誤しながら模索してきました。オンラインと対面のハイブリッド型の公営塾『キセキノ』や地域資源を活かした商品開発(『長いもおやき』『夕張メロンプロテインチョコ』など)の探究授業などを通して、今の時代に求められる力(主体性、コミュニケーション力、実践力など)を育む場づくりに、地域と学校が連携して取り組み、今回、生徒の全国募集に踏み出しました」

「夕張は全国ブランドの『夕張メロン』の里であり、炭鉱町の歴史や文化や人情が今も残ります。苦難の歴史もありましたが、人口減少社会のリアルな課題にいち早く直面していること、そして地域課題が山積する中でも『どっこい楽しく生きている』心温かな市民の存在が、夕張市の教育資源として潜在的な強みだと思います。社会の変化や地域の課題と向き合いながら、夕張高校に進学した生徒一人一人の成長に寄り添った取り組みや環境づくりを、今後も進めていってほしいと思いますし、地域の側もただ受け入れるのではなく、外の視点や若者の視点から学び、高校生と地域の人たちが刺激し合い、共に成長していけるような機会にしていってほしいと思います」

入学式(夕張高校・4月8日)

夕張市は財政再生計画を3年後に終了し、いわゆる市の借金を返済し終える予定です。その時の人口はどうなっているのか?高校の魅力化プロジェクトはどうなっているのか?

道外からの初めての新入生となった植田さんの名前「梨々(りり)」は、父母が「10月生まれなので、秋の果実の梨になぞらえて、たわわに実る豊かな人生を送ってほしい」と思いを込め、名付けたそうです。

その期待を受け止めて走ることが、市にも高校にも地域にも求められています。

注1)三笠高校: 正式名称は北海道三笠高校。夕張市に近い三笠市にあり、同市は夕張市と同じくかつては産炭地の一つとして栄えましたが、現在は人口の減少が続いています。そのため同校は元々道立高校でしたが、生徒の減少で2012年3月に閉校し、その翌月から運営を三笠市に移管して、市立高校として開校しました。同校に普通科はなく、調理師やパテシエなどの育成に特化した食物調理科の単科高校で、国の補助金を活用したレストランや研修施設を併設するなどユニークな運営が進学希望者の関心を集めています。

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道半ばの“魅力化”事業

「夕張メロン」は地域名を冠したブランド商品として全国的な人気を誇り、今年も来月には出荷が始まります。その産地=北海道夕張市(ゆうばりし)には、「財政破綻した街」という枕詞が加わるようになって人口の減少が続き、市内で唯一の高校も廃校の危機に瀕しています。

「夕張は、倒れたままか…」。刺激的な言葉で理念を謳(うた)い、高校の存続を模索する同市プロジェクト「夕張高校の魅力化事業」は道半ばです。8年目を迎えた春に、プロジェクトの現在地と課題を3話連載で探ります。

◇文・写真 HBC油谷弘洋

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