戦後の地域つなぐ“盆野球” 鵜住居に響く快音今年も 68回目の水野旗争奪大会に笑顔、歓声
釜石市鵜住居地区の伝統行事、水野旗争奪お盆野球大会(実行委主催)は14日、釜石東中グラウンドで行われた。「青少年の健全育成に」と戦後間もなく始まった大会は、東日本大震災や新型コロナウイルス禍による中断がありながらも続けられ、今回で68回目を迎えた。震災後の人口減や少子化の影響などで、参加は過去最少の4チームとなったが、世代を超えて野球を楽しみ、旧交を温め合う“盆野球”の姿は今も健在で、たくさんの笑顔が弾けた。
同大会は1947年に鵜住居村(当時)で水野医院を開業した水野勇さん(95年逝去)が、戦後の青少年の荒廃した生活態度に心を痛め、地区対抗の野球大会を提案したのが始まり。48年に第1回大会が開かれ、55年に水野さんが寄贈した優勝旗が今に受け継がれる。2011年に発生した東日本大震災で以降6年間、20年から3年間は新型コロナウイルス感染症の影響でそれぞれ大会中止を余儀なくされたが、「地元の伝統を絶やしたくない」との熱い思いで大会が続けられている。
参加するのは鵜住居町と周辺3町の地区ごとに作る中学生以上の即席チーム。戦後の高度経済成長などで人口が多かった時代には10チーム以上が参加していたが、今はほぼ半減。震災後は鵜住居町の被災4地区が合同チームとなり、釜石東中野球部チームを加えた6チームで大会を継続していたが、今年は2チーム減の4チーム(日向、白浜、両石、鵜住居)での大会となった。
台風一過後の大会当日は真夏の青空が戻り、気温も上昇。水分補給をしっかり行いながら、1年ぶりの野球を楽しんだ。集まった参加者は帰省した仲間を交え、同級生や先輩、後輩と近況を報告し合ったり、学生時代の思い出話に花を咲かせたりと和気あいあい。高校や大学、社会人クラブチームなどで競技を続ける現役選手らが垣間見せる“本気”プレーには、「盆野球だよ~」などと手加減を促すやじも飛び、グラウンドは終始、笑いに包まれた。
鵜住居チームで参加した仙台大3年の前川陸さん(21)は小学校から野球を始め、現在は同大準硬式野球部に所属。この日は本塁打も放ち、チームの勝利に貢献した。中学生のころから親しむ盆野球。「(震災などで)地元を離れた人もお盆の時には戻ってくる。知り合いと普段やらない野球ができるのが一番の楽しみ。大人の人たちから学ぶこともある」と世代を超えた親睦の機会を喜ぶ。地元の復興を実感しつつ、「ラグビーや野球などスポーツでももっと名前を知ってもらえるまちになれば」と古里の未来にも期待を寄せた。
日向チームの小笠原賢児さん(45)は、震災前以来10数年ぶりの参加。「人数が多かったころの昔のイメージで来たが、だいぶ少なくなっていて…」と驚きつつ、「久しぶりに会った同級生もいた。なかなか会えない人と会えたのもうれしい」と顔をほころばせた。震災後に帰郷。建設業の仕事でがれき撤去に携わり、被災した母校、鵜住居小と釜石東中(現釜石鵜住居復興スタジアム立地場所)でも作業した。「(変わり果てた姿に)寂しさを感じながら仕事をしていた」と当時を振り返る。盆野球も被災した東中グラウンドが会場だった。震災を乗り越え継続する大会に、「今まで回数とか意識したことはなかったが、68回という数字を聞くと鵜住居の歴史の重みを感じる。地元の誇りです」と小笠原さん。
今大会は1回戦2試合と決勝の3試合が行われた(1試合7回)。1回戦の日向対白浜は4-2で日向、両石対鵜住居は7-5で鵜住居が勝利し、決勝は日向と鵜住居の対戦。勝負は最後までもつれ込み、延長8回タイブレーク、6-5で日向が優勝した。最優秀選手には、久しぶりの参加で投手として活躍した小笠原賢児さん(日向)が選ばれた。優秀選手は鵜住居チームの佐々木大地(りく)さんが受賞した。