中古車ビジネスで働くイスラム教徒たちの食卓、千葉県佐倉市のハラルレストラン『レストラン・サダフ』
京成臼井駅を出たコミュニティーバスは、わずかな乗客を乗せて住宅地の中を走っていく。のどかなもんである。だんだんと車窓は家並みよりも雑木林の緑や畑が目立つようになり、時折ヤードを通り過ぎる。海外に輸出するための中古車置き場であり、解体なども行う現場のことだ。
イラン・イスラム共和国
西アジアに位置するイスラム共和制国家。紀元前3000年から文明が興り、ペルシャ帝国が栄えた地としても名高い。日本ではバブル期に多くの労働者が工場などで働いたが、現在は減少。全国でおよそ4200人が暮らし、うち2600人が東京と、千葉、埼玉、神奈川に集住。
千葉県のこの場所でレストランを開いた理由
バスを降りた生谷交差点のまわりでもヤードを見かけるが、『レストラン・サダフ』はなんとその奥に位置しているという。解体されたクルマが積み上がり、クレーン車が稼働する中を歩いていると、本当にレストランがあるのかやや不安になるが、やがてそれらしき建物が見えてきた。
中庭の噴水でなにやら写真を撮っているヒジャブ姿のママとキッズを横目に店内に入ってみると、思いのほか広々としている。そして明るくモダンだ。壁にかかったテレビから流れるイランの音楽をバックに、マネージャーのマダム、マーシャさんが席に案内してくれた。
メニューを眺めてみればイラン料理を中心に、インド料理などもあってなかなか多国籍だ。すべてハラル(イスラム教の戒律で食べることを許されたもの)のため、客はイスラム教徒がメインのようで、彫りの深い顔立ちの人々が仲間同士やファミリーで食事を楽しんでいる。外のヤードの様子からはなんだか別世界のようだが、どうして千葉県のこの場所でレストランを開いたのだろうか。『サダフ』を経営するほか、中古車輸出なども手がけるイラン人ビジネスマン、アマニ・アリさんに聞いた。
「このあたりには中古車関連の仕事をしている外国人が多いんです」
市街地からやや離れていて、ヤードを展開できるだけの広い土地が確保できる郊外だからだ。とりわけ目立つのはアフガニスタン人で、すぐ西側の四街道市を中心にコミュニティーを築いているのだとか。ほかにもパキスタン人や、スリランカ人のイスラム教徒もやってくる。アマニさんと同胞のイラン人は、この地域ではむしろ少数派なのだという。
「もともと千葉で中古車ビジネスをやっていたのは、日本人のほか韓国人や台湾人だったんです」
アマニさんは言う。ところが少しずつ勢力図が変わってくる。「日本の中古車を海外市場に販売する」という仕事は日本に住むパキスタン人が1970〜80年代に始めたといわれるが、彼らから同じイスラム教徒のよしみでやはり日本に住むバングラデシュ人やアフガニスタン人、イラン人などにも広がっていく。そして90年代~2000年代のことだ。アラブ首長国連邦のドバイが中古車産業の世界的マーケットとして成長すると、イスラム系の人々がさらに参入してきた。千葉の各地でもヤードを構えるようになる。アマニさんもそのひとりだった。
やがて千葉や北関東の各地で進んだ都市化と市街地化の波を受け、ヤードは郊外へと移っていく。そして佐倉や四街道などが中古車産業の集積地となり、アマニさんもこの地に自社を構えるようになり、さらにハラルのレストランも開いた……というわけだ。
でっかいカバブをナンに挟んで
「イラン料理といったら、やっぱりカバブですよ」
アマニさんが力説する通り、メニューの最初のページを占めているのはさまざまな種類のカバブ(おもに肉の串焼き)。西アジアや中東ではどこでもポピュラーだが、イランの場合はアマニさんいわく「味つけは塩コショウくらいで、スパイスはそれほど使わない」ことが特徴なんだとか。シンプルな肉の旨味を味わうのだ。
数あるケバブの中から、ラム肉のステーキみたいなデカい塊のチェンジェ、ジューシーなラムのひき肉クビデ、そして鶏モモ肉のジュージェ3種のセットをチョイス。そのまま食べてもいけるし、ナンにトマトやピクルスと一緒に挟んで食べるとまた格別だ。
ちなみに添えもののトマトだが、イラン人の客は焼くように注文し、アフガニスタン人は生のままでとオーダーするそうな。どちらもおいしいので、お好みでいこう。
さらに鶏肉たっぷりのポテトサラダであるオリビエサラダはカバブの合間に食べて口をさっぱりさせるのにもいいし、カバブと一緒にナンでサンドしてもまたおいしい。このオリビエサラダはロシアから伝わったものという説があるそうだ。
ハーブやスパイス香る、濃厚な煮込み料理の数々
イランは煮込み料理も多種多様だが、代表的なものがゴルメサブズィだろう。さまざまな種類の豆をコリアンダーやフェヌグリークなどのハーブで煮込んだ家庭料理だ。やや甘酸っぱく濃厚な味わいがクセになる。
さらに羊のすね肉をじっくりと煮たマヒチェは、スプーンで触っただけでほろほろ崩れる柔らかさ。ナスとトマトがとろとろになったボラニバデンジャンと一緒に食べても、ナンに挟んでも合う。
そしてラムといんげんを炊き込んだルビアポロは、スパイスの香り高く、どっしり濃いめの味つけ。
これらの料理は、もともとアマニさんの親族であるマーシャさんが味のベースを整えたのだとか。
「いまはコックがいるから、私は味のチェックをするだけだけどね」
と語るマーシャさんの娘さんの名前がそのまま、店名になっているそうな。家族で切り盛りしている店なのだ。
料理だけでなく、近隣のムスリムのためにハラル食材店も併設していて、なかなかに珍しいイランの食材も揃い、ナンの販売もしている。
また大きなステージもあって、誕生日などのパーティーもよく催されるそうだ。
「ノウルーズ(イランなど西・中央アジアの新年)のときはにぎわいますよ」
とアマニさん。地域の中古車産業で働く人々の、まさにコミュニティーとなっている店なのだ。
『レストラン・サダフ』店舗詳細
レストラン・サダフ
住所:千葉県佐倉市吉見602-32/営業時間:11:30~15:00・17:45~22:00/定休日:月/アクセス:京成電鉄本線京成臼井駅から佐倉市コミュニティーバス約9分の「生谷交差点」下車7分
取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2024年5月号より
室橋裕和
ライター
1974年生まれ。新大久保在住。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年にわたりタイや周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。おもな著書は『ルポ新大久保』(辰巳出版)、『日本の異国』(晶文社)、『カレー移民の謎』(集英社新書)。