コラム【本州湾岸を反時計に一周】028 えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン④ 2024年8月27日
※2024年8月27日撮影
トップ画像は、日本海ひすいライン青海(おうみ)駅を出た後、右(北)側車窓の日本海。眺望絶佳ですが、この後3,708mの新子不知トンネルに入ります。
親不知(おやしらず)の断崖絶壁は、景勝地として有名です。
余談ですが「越後つついし親不知」で筆者は、親不知という地名を覚えました。1962年に発表された水上勉氏の小説ですが、筆者は1964年に公開された映画を観ました。
・・・と言っても「成人指定」つまり「18歳未満禁止」の映画なので、大学生になってから名画座で観賞しました。
しかし1970年代のハレンチなテレビ番組などよりも遥かに地味な内容で「何故、この暗くて超シリアスな映画が成人指定なの?」と半ばガッカリしながら(笑)、疑問を持ちました。
タイトルは、越後の筒石(トンネル内にホームがあった駅です)と親不知の地名だと思います。青海も集落として映画に登場していました。
映画では、親不知駅の現存する木造駅舎(国の登録有形文化財)も何度か写されています。
また映画の中で、親不知駅の東で日本海に注ぐ歌川に沿って山に入って行くシーンがあります。この風景が、雪景色、夏の景色ともとても美しいのです。地域の地名は(大字/おおあざ)「歌」です。何とも詩的な地名なので一度訪れたいと思っています。映画の中では「歌合村」とされていました。
2020年の国勢調査では、(大字)歌の広さは6,813,959㎡。東京ドーム(46,755 ㎡)146個分の広大なエリアです。そのほとんどが山地と海際の崖の上のわずかな平地ですが、そこに44世帯83人が住んでいます。
映画の舞台は昭和12年(1937年)でした。筆者にはちょっと想像もつかない100年近い過去の雪国の厳しい暮らしや人々の労苦が極めて鮮烈に描かれています。これは正に今村正監督のリアリズムでしょう。
最近ではDVDが比較的安く手に入るので、購入して素晴らしいモノクロ映像で北陸本線を走る蒸気機関車など何度も観なおしています。個人的印象ですが、全くエロチックな映画ではありません。
話を戻します。
親不知トンネルを出ると右上に国道8号線、頭上では北陸自動車道が親不知海岸高架橋に向かっています。
※2024年8月27日撮影
青海駅から5.3kmで親不知駅です。1964年の映画では、右の未来的な道路は存在しません。冬の日本海の荒波が写っていました。
※2024年8月27日撮影
左に国の登録有形文化財の木造駅舎があります。
※2024年8月27日撮影
こちらは市振方面。市振駅までは、8.6kmもあります。
※2024年8月27日撮影
糸魚川方面。高架道路橋の下に日本海が見えます。
※2024年8月27日撮影
駅名標。何も知らずに初めて見たら「おやしらず」とは読めないと思います。
※2024年8月27日撮影
駅の歴史は古く、大正時代に開業しています。
親不知駅を出発。国道と北陸自動車道の下左に「投げ岩」がチラッと見えました。この後日本海ひすいラインはいくつものトンネルを進みます。
※2024年8月27日撮影
トンネルの間で日本海と北陸自動車道の高架が見えました。この直後も長いトンネルです。
※2024年8月27日撮影
トンネルを出て県道の高架下をくぐると駅です。
※2024年8月27日撮影
親不知駅から8.6kmで市振駅です。この駅にも国の登録有形文化財の木造駅舎があります。ここが新潟県内最後の駅です。
※2024年8月27日撮影
この駅もホームの西側が使われています。黄色いラインのある部分です。
※2024年8月27日撮影
駅名標。海側にあるのは「波よけ」でしょうか。
※2024年8月27日撮影
大正時代に開業した駅です。
ホームと「波よけ」の関係はこんな感じです。
※2024年8月27日撮影
市振駅を出ました。
ここからはあいの風とやま鉄道の路線になります。車両と運転士さんは、えちごトキめき鉄道から乗り入れています。ありゃ、海から少し離れるのかな。
※2024年8月27日撮影
・・・と思ったら、市振駅から乗り込まれた保線関係の方が線路か架線の状態を目視でチェックされる様です。
※2024年8月27日撮影
お仕事なので仕方ありませんが、前面展望が極端に撮影しづらくなってしまいました。
でも車窓には日本海の青い海が広がります。びゅーちふる!
※2024年8月27日撮影
どうにか狭い範囲から前面展望を撮影しました。越中宮崎駅です。この駅から富山県の駅です。
※2024年8月27日撮影
市振駅から4.7kmでした。
※2024年8月27日撮影
駅名標が市振駅よりもさらに少し離れていました。後部ドアから撮影しています。あいの風とやま鉄道の駅名標に換わりました。
※2024年8月27日撮影
実は、2005年(平成17年)、20年ほど前になりますが、サラリーマン時代にこの駅に来たことがありました。その時に撮影した越中宮崎駅舎です。もちろんJR北陸本線の時代でした。
※2005年9月撮影
その頃は、家電メーカーに在籍しており暖房機のキャンペーンで北陸を回っていました。たまたま地元テレビ局の招待で温泉(鉱泉でしたが)と海の幸を御馳走になったのです。
越中宮崎駅を出るとすぐにその時泊まった料理旅館の建物が見えました。現在は営業していない様ですが、最上階の湯殿から見下ろした日本海が最高でした。
※2024年8月27日撮影
次回は、この列車の終点、泊駅です。
(文・写真) 住田至朗
※えちごトキめき鉄道の許可をいただいて撮影しています。
※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。
※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)他を参照しています。