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第50回「東日本大震災から14年、福島の声」

TBSラジオ

「私たちの未来は、私たちで作る!」
あなたの「困りごと」、「モヤモヤ」、「お悩み」、もしくは、「変えていきたい社会の課題」などを通して、みんなで一緒に「これから」を考えていく番組。

東日本大震災から14年。今回は福島県いわき市の小名浜で伺った街の声を紹介します。
小名浜は、地震では震度6弱~6強の揺れで多くの建物が損壊。高さ8mの津波が襲い、港周辺の住宅や商店が浸水しました。さらに、津波の影響で複数の工場で火災が発生。
そして、東京電力福島第一原発からはおそよ50km離れていますが、放射線の影響で住民の避難が行われました。風評被害もあって、水産業や観光業は打撃を受けました。

そんな小名浜に暮らす方々の"いまの声"をお聞きください。

私は当時、大きな揺れが起きたときには仕事中でした。
事務の仕事をしているので、室内のロッカーとか、そういったものが倒れないように抑えていました。お客様もいらしていましたので、その方達の避難誘導をしたりして、自分自身も避難をして、なかなか辛い1日といいますか。そこからスタートして今の14年間でした。

当然、ライフラインと言いますか、電気以外はいったんストップしてしまったので。ちょうど我が家は大きい病院の近くにあるということもあって、水道は1週間ぐらいで流れるようになりまして。
あの時の感動は今も忘れられないですし、その時、蛇口をひねってお水を出したその動画とか、それも大事に今もスマホにデータを残しています。

やっぱり地震でというよりは、ここはいわき市、小名浜です。身内でも津波で亡くなった方、何人もいます。

そうですね、毎年この時期、特に2月に入ってから、当時のことを思い出したりとか、今までのことを思い出したりして怖くなったり、涙がどうしても止まらなくなる時が、まだまだあります。

まあ、こっちは復興早かったけども。
放射能がこっちは、「大丈夫だ大丈夫だ」つったって、福島県とかいわき市っていうの、県外の人はやっぱり放射能があるからね、行きたくねえとか、そういうのはあるよね。

子どもとかは、ずいぶん、「放射能が来た」とか、そういうことを言われたみたいで。そうして東京に行けば、また同じようなこと言われたって言ってたよ。

学校でも言われたって言ったよ。なんか鉛筆、いわき市の鉛筆持っていたみたいでね、その避難した子ども。先生がそれ見て、別に変な取り方したわけじゃねえんだっぺけども、やっぱり、気にするようなこと言われたって、言っていたね。

やっぱり寂しいよね。
そういうことを言われた子どもが、本当にどういうふうに受け取ったかわからないけども、やっぱり大人になって、思い出すでしょうね。

3月11日の日に、もう、今覚えていることは、娘たちが泣きながら帰ってきたんですよ、学校から。
「何があったんだか分かんない」って言って。で、もうまっすぐ歩けない。迎えに行けて、娘と会えたときに本当に涙が出るぐらい嬉しかったです。

私の住んでいるところでは水道が1ヶ月も出ませんでした。その水道が出ないっていうことが、今まで考えられなかったので。本当にもう生活の一部が本当に壊れてしまったので。毎日給水車が来たり、その給水車に頼るしかなくて、水が本当にもうどれだけ大切だっていうのが。

今、本当にあの14年間、本当にいつも水があるっていうことが当たり前じゃないんだなっていうこと。
それが、よう分かりました。

俺の場合、仕事がもう配管の溶接なんですけど、原発のあの管理区域の中に入って、仕事をやったりする時もあるんで。

あの頃、結局、人がいない人がいないって、誰でもかれでも、入れるのはいいけど、ああいう配管とかなんかね、やるのに、そういう仕事をやったことない全くの素人みたいな人がいるってね。

それで配管つないで、大丈夫なの?みたいなのはありましたよね。
本当に極端に言えば、もうスパナーとかなんか持ったことがないような人が入って何すんのって話。

えーと、15歳です。
生まれたのが1月25日なんですけど、その2ヶ月ちょっとしたぐらいに震災来たらしくて。だけど、もう0歳の2ヶ月の時に来たんで、本当に何もわかんなくて。
なんか、写真とか見に行くとやっぱりなんかすごいなあって。

好きなとこ?地域の人が優しいみんな、近所の人とか。なんだろうな?
(友人)「みんな元気だよ」
みんな元気だよな、おじいちゃん、おばあちゃんも。
(友人)「将来の夢とかまだ考えてない。やりたいことも。」
(友人)「えーでも、親には迷惑かけないようにしたい」
いや、それは本当にそう、親には迷惑かけたくないよね。
(友人)「高校は行かないとやっぱ、やばいから」
高校行って、バイトして、親に親孝行するみたいな。

小泉:最後のお嬢さんたち、素敵ですね。希望の光が。震災の時はまだ赤ちゃんで何も記憶はないけど、みんな優しいって。そういう体験を大人はみんなしたと思うけど、その前のコメントの人たちみたいに。だけど、元気で優しく生きていらっしゃるっていうのが、この子たちの会話ですごく感じて、素敵でしたね。

大石:娘さんたちに伝わってるんですね。

小泉:そうだと思いますね。でも、実際に体験した方の言葉っていうのはすごく、なんていうのかな、リアリティがあって。例えば室内のロッカーが倒れないように抑えてたとか、1ヶ月お水が来なくてすごく困ったっていう話だと話とかね。

上村:あとは、風評被害の話もありましたね。

小泉:すごくありましたよね。私はスーパーとかで福島さんとかを見ると、そっちを買うようにしてます。

大石:うん。

小泉:復興の手助けに少しでもなるんだったら、と思って。結構当時からそっちを買ったり。

上村:私の親族みんなで、もう十何年か、岩手県の釜石にはなるんですけど、三陸のお魚を今もずっと取り寄せてます。2ヶ月に1回、冷凍のお魚が来るんですけど、みんなでちょっとでも復興の支援になれば、と思って続けてますね。

小泉:美味しいですし。

上村:美味しいです!

大石:そうですね、食べ物って、もともと美味しかったしね。

小泉:えいちゃんは結構行ってるよね?

大石:そうそう。毎年ね、行くようにしてる。

小泉:コットン?

大石:そうそう。これはオックスフォードの普通の白いシャツですけど、このコットンの中の3%が福島県の震災後の畑でできたコットンなんです。それを買うことで、福島県の今頑張ってる人たちのコットンを僕が着ることで常に繋がってる感じもあるし。応援することにもつながるかなって思いますしね。

小泉:ね。

大石:コットンを植えたりするのも、ちょっと継続的に行ってたりしますね。

小泉:だから離れていても、さえちゃんの家のお魚とか、私はお野菜とかをよく買うんですけど、こういうシャツとかね。そういうこと、少しでも助けになるようなことってできるんだなとは思いますよね。

上村:他の県にいてもね。

大石:できる。ぜひ、行ってもらいたいのは、国道6号が海に沿ってるんですよ。例えば久ノ浜っていう場所って、すごい綺麗なんですよ。もう絶景だから。復興を手伝いにも行ってるけど、自分の癒しのための、サードプレイスとしても。

小泉:私は去年のツアーでいわきでコンサートをやったんですよ。私、全然知らなかったんですけど、今、普通に品川から始発で1本で行けるのね。

大石:常磐線?

小泉:はい。だから、いわきの方、すごくいい感じだったから、あの辺にサードプレイスを持つっていうのはありだよね、ってバンドの子たちと話してた。

大石:支援になるね。

小泉:そう。ちょうどいい田園風景で、品川から電車に乗って座れば着くから、「いいよね~」って言ってた。

大石:おー。それはまたいいアイデアですね。

福島県いわき地方の伝統芸能


じゃんがら念仏踊り

前半の内容から視点を広げて、こんな話題も紹介しました。

福島県いわき地方に伝わる「じゃんがら念仏踊り」は400年以上の歴史を持つ伝統芸能で、「鉦(かね)」と「太鼓」を打ち鳴らしながら、隊列を組んで舞う踊り。
もともとは先祖供養のための盆踊りとして受け継がれてきましたが、東日本大震災の後は、復興と鎮魂の思いを込めて、より多くの場で披露されるようになりました。

現在、この「じゃんがら念仏踊り」を継承する団体は100以上。その中のひとつ、「磐城じゃんがら遊劇隊」のメンバーにお話を伺いました。

こんにちは。福島県いわき市の「磐城じゃんがら遊劇隊」と申します。
400年続くとされる郷土芸能なんですけど、先祖の供養を目的とした踊りなんです。
地域の老若男女が、ご先祖様の供養と残された遺族に対しての慰めっていうか、
元気を出してほしいという踊りが続いております。

震災からもうすぐ14年目。
福島県の人間も、ちょっと風化してきたような感じはしつつも、でも去年の1月に起こった、能登の地震ですか。そこで僕たち、自主的にちょっと、月命日に踊りに行ったんですよね。

あのー、まあ踊るしかできないと思ったんですけど、現地の人たちが、福島県のあなた方が、わざわざ北陸まで来てくれたのが嬉しいと。何をしなくても、私たち僕たちの話を聞いてくれて、「元気になろうよ」って言ってくれたことが嬉しいという言葉をいただいたんですよね。

で、ああそうか、僕たちに支援をしてくれた人も、こんな気持ちで、何もできないかもしれないけど、とりあえず福島県、東北に向かってきてくれているのかなって再認識させてもらって。僕たちもまあ、これからも頑張っていこうかなと思っております。

自分の話を聞いてほしい人がすごく多いと思うんですよ。ご年配の方も、子供たちも、僕たちも。今はこういう生活をしている。こういう仕事をしている。今度こういう変化があった。進化があったとか、それをお互い耳を傾けて、「きっと大丈夫だよ」という言葉をかけるようにはしています。

でもまあ、当時、震災当時も全然震災を覚えてなかった今の17歳の子たちが、一緒にこの50代のおじさんたちと一緒にノリノリでやってくれて。

特にあのね、英語の先生として日本に10年いる彼も、本当に一生懸命。
いわきが、福島が、じゃんがら念仏踊りが大好きらしいんで、はい。

すごいこれからも楽しみですね。
できればみんなが努力していることを、福島県いわき市の人間は、こういう郷土芸能を、先輩から、じいさんから、親父から習ってきたということを、僕たちはできる範囲で続けていきたいなと思っています。

ベンです。
私はオーストラリアから来まして、いわきの生活はもう今年10年目になります。
いわきに来たのは2015年で、まあその震災のまあ4年後になりますよね。

今日はですね、あの、ここに、このイベントに来る前にですね、ちょっと海岸の方に、津波で亡くなられた方々のこう、その前であの1回ちょっとじゃんがらを叩いたんです。
じゃんがらは、私はまだ未熟なところ多いんですけど、一応、供養というためのものでして。もちろんその被災された方々には、ちゃんとその強い想いを持ってさせていただいたんですけれども。
こういうイベントのようにね、もちろんその被災を忘れてはいけないんですけど。

それを想いながら、さっき鈴木さんがおっしゃったように、みなさん、僕たちは生きています。
なので、まあなんですかね、その切り替えは、ちょっと言葉は悪いけど、その、将来に向けて、もう前向いて、こう楽しくやりましょうっていう。
ちゃんと供養と前向いて楽しくしましょうという、ポジティブに変わるのがすごいなぁと。

「磐城じゃんがら遊劇隊」代表の鈴木崇弘さんとメンバーのベンさんのお話。
小名浜港で3月9日に開催されたイベント、「いわき七浜おさかなフェスティバル」の会場で伺いました。

小泉:能登に行かれた話は、すごく心が温まりますね。

大石:すごいですよね。

小泉:以前、我々の番組で、私のコンサート会場で石川のみなさんにお話を聞いたじゃないですね。その時のみなさんも、やっぱり「話を聞いてほしい」っておっしゃってたと思うんです。だから、風化してしまう、忘れられてしまっている、っていうのが一番、寂しいことなのかなと。だから、こうして、時々みなさんの想いとかをお伝えできるといいですね。

大石:そうですね。聞いて、伝えてね。

小泉:そうですね。

上村:そして小名浜といえば、海と魚の町。東北でも有数の水産拠点で、小名浜港は、福島県で最大の漁港ですが、東日本大震災のあと、原発事故で漁業は大きな影響を受けました。
それでも、安全性を確かめる検査を何度も重ねながら、少しずつ漁を再開して、今では、新鮮な海の幸が再び戻ってきました。
海とともに生きる方の思いを伺いました。

いわき市水産振興課の安藤成央と申します。
そうですね、あの、まあ町は復興しつつあって、漁業も当然再開しているんですけれども、数字で言うと、まだまだ、震災前の水揚げ量まで戻っていないというのが現実ですね。

あの震災によって、多くの漁業者が漁業から離れてしまったということもありますし、あとは、まだですね、いろいろ、東京電力福島第一原発からの処理水、Alps処理水の放水によって、まだ安全性を確認しつつ、当然漁業はもう再開しているんですけども、結局、漁業者が減ってしまったというのもあって。
これからいかに漁獲量を戻していくかっていうのが課題になっていますね。

震災直後は、原子力発電所事故の影響で、試験操業という形で、ある程度、漁獲量というのが狭められていたんですけれども、この2年前からですね、試験操業が終わって、5年後を目指してですね、本格操業、まあ震災前の漁獲量まで戻していこうということで、いわき市の漁業者さんたちは頑張っていて。

もちろんその漁業者さんたちが取るだけではなくて、私たちとしては、その取ってきてくださった魚をみんなに食べてもらうというのを仕事としているので。漁業としてはこれから、今の漁業者さんたちにどんどん盛り上げていってもらうというところが目標ですね。

佐藤文紀といいます。もともとは会社員ですね。
仕事を辞めて漁師になったような感じです。震災後です、はい。

親父が漁師をやっていて、小さい時から漁師になるのが夢だったんで、まあその、震災きっかけでちょっと遅くはなったけど、やりたい仕事なんで漁師になったっていうような感じになります。
メインはヒラメとか、スズキとかタコとか、常磐ものと言われるものを基本的にはとっています。

自分が漁をしていく中で同世代のその若い世代が、圧倒的に少ない。
どこの業界もそうだと思うんですけど、その後継者であったり、担い手が少ないなっていうのは、すごく感じていて、それを危機感にも思っていたので、やっぱまあその少ないなりに、みんなで、そのこれからの時代は協力していかないとなかなか難しいなっていうのも考えていたので。
まずはそこを同世代のつながりを強くして、あとはまあなおかつ、これから先の話ですけど、自分らよりももっと下の世代が、その漁業っていう仕事に就きやすい環境を作っていきたいなっていうのは、常に考えながらやっています。

漁師になった当時とは違いますけど、やっぱり自分の中で一番その大きい原動力は、やっぱり、子どもたちですかね。その自分が好きな仕事で子どもたちを育てていく。

なおかつ、やっぱりその自分が頑張れば、人並みか、人よりいい暮らしをさせてあげられるっていうのが、まあ自分の中で一番大きくて。
もっと子どもらにいろんな経験させたりとか、まあ、いいものを食べさせたりとか。
そういうのをしたいなっていう気持ちで、自分も頑張れているなとは思います。

常磐ものの魅力としては、旬の時期は特にですけど、本当に美味しい魚が多いので、ぜひ一度味わっていただければ、違いを感じていただけるかなと思います。

小泉:お子さんたちが元気に育っている様子も…(コメントの後ろに子どもの声があって)

上村:笑い声からわかりましたね。

小泉:本当にお魚美味しいし、ヒラメ、スズキ、タコ…メヒカリとかって東京ではあまり食べられないけど。

大石:美味しいですよね!

上村:いわき市の職員、安藤さんは「ぜひメヒカリの唐揚げを食べてほしい」とおっしゃっていました。

小泉:暖かくなったら、カツオ、ウニ、アワビ!

上村:わぁ~!

大石:すごく美味しいものばっかりですね。

上村:メヒカリは、旬は1~2月くらいなんですね。

小泉:そうなんだ、ちょっと終わっちゃったんだね。

上村:また来年ですね。

小泉・上村:カツオ、ウニ、アワビ…

小泉:やだ、ハモっちゃった。笑

上村:読みたくなる単語ですね。笑

小泉:本当に、ちょっとリラックスというか旅行気分でフラッと常磐線に乗ってみるっていうのはいいかもね!

大石:いいと思いますね。

小泉:ねー。

大石:もう一つ。これと対照的ですけど、原発の近くとかはまだ時が止まったまま。建物とかもそのまま。逃げ出したままの家がたくさんあるんですよ。そう考えると、事故の深さがよくわかりますよね。

小泉:福島だけじゃなくて、被災した東北の街ではたくさん、そういうところもあるんでしょうね。時が止まっている場所がね。

(TBSラジオ『サステバ』より抜粋)

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