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【西武】木村文紀さんインタビュー 野手転向してすぐは「手の皮がむけていたことくらいしか覚えていない」

文化放送

1月4日放送のライオンズエクスプレスでは、前日に引き続き、昨年現役を引退し、今シーズンからライオンズの育成担当兼人財開発担当に就任した木村文紀さんにインタビューした模様を放送した。野手に転向するまでの投手としての6年間、そして転向を決意した当時の心境について訊いた。

――投手としての6年間はどうだったか?
木村「怪我も多かったですし、プロの壁にずっとぶち当たっていた6年間でしたね。自信満々で高校から入団してきて、1年目でそれにぶつかった。ちょっと抑え始めたらまた打たれて、それの繰り返しの6年間でした」

――マウンドでの立ち姿は華がありました。
木村「野手の時と比べて僕の中ではあまり記憶がないんですよ。毎回緊張してマウンドに上がっている記憶しかない。初勝利や、先発で田中将大とかの同級生と投げ合った試合は覚えていますけど、(それ以外は)記憶が薄いですね(笑)」

――2012年9月に野手転向、投手をもっとやりたかった気持ちはあった?
木村「なかったんですよ。その年の8試合で球速が出なくて、今までの腕の振りの強さも感じられなくなってしまった。どうやってあんなに速い球を投げていたんだろうと分からなくなっていた時期で、ちょうど『俺もう無理だな』と思っていた時だったんです。そしたら球団から呼ばれて、『来たか』と。話したら野手転向の話で、最初は考えさせてもらっていいですかと答えたんですけど、自分の中では野手と言われてすごく嬉しかった。次の日にはお願いしますと言いにいきました(笑)。高校の監督や親には電話で話した。高校の監督には『俺は野手の方がいいと思っていた』というようなことも言われた。そこから野手をやらせてもらいました」

――野手転向してすぐのイースタンリーグでの試合で見せた投手の足元を抜く綺麗なセンター前ヒットを覚えています。
木村「覚えていないんですよ(笑)。ヒット自体もヒットを打ったことも覚えていないです(笑)。フェニックスリーグに行ったのは覚えているんですが、野手に転向してからの残りのシーズンは覚えていないですね。手の皮がむけていたことくらいしか覚えていないです。自慢できるくらい練習しました(笑)。お風呂に入るときだったり家に帰るまでの運転でハンドルが握れなかったり、私生活が苦痛でした。指の皮全てがむけてしまっていたので、お風呂もビニール手袋をつけて入りました。染みて洗えないくらいだったので、頭も顔もビニール手袋をつけて洗いました」

――外野守備については?
木村「大変でしたね。河田(雄祐、2012年当時一軍外野守備走塁コーチ)さんとマンツーマンで、ひたすら河田さんの乱れ打ちを必死に追いかけて、泥を食いながらやりました。守備練習で吐いたこともありました」

※インタビュアー:文化放送・斉藤一美アナウンサー

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