木工職人の晝川さん マイスターコラボで活躍 市制100周年記念品づくり
様々な職人を「最高峰の匠」として認定する川崎市の「かわさきマイスター」。川崎市市制100周年を記念し、8人のマイスターがコラボレーションした記念品がこのほど生まれ、3月6日まで市役所での展示が続く。この企画で精神的な支柱となったのは、宮前区鷺沼在住の木工家具職人、晝(ひる)川捷太郎さん(80)だったという。
溶接の技巧で生まれた鈴を、丸く磨いた木の台座と組み合わせた「KAWASAKIマイスターヒーリング」。特殊な金属加工「ヘラ絞り」の技と、高度な木工の技を施した座面を組み合わせた「KAWASAKIマイスタースツール」。市役所での展示が続く4種類の記念品のうち、晝川さんはこの2種類の記念品づくりに参加した。
やるからには楽しく
特注家具の職人として、半世紀以上ものづくりを続ける晝川さん。今回は特に「スツール」の台座づくりに腐心したという。座面にデザイン性を持たせるために年輪が見える「木口」の木材を組み合わせ、数種類のカンナとペーパーを使い、手作業でなめらかな丸みを加工した。
木口の面に力が加わると割れやすいため、座面裏を鉄板で補強。完成まで2週間ほどかけたといい、「満足がいく仕上がりまで、なかなか骨が折れた」と苦笑いする。
今回の企画を指揮した佐野デザイン事務所(中原区)の佐野正さんは、「みなさんが協力的で、高いクオリティのものを作っていただいた。中でも最高齢の晝川さんが誰よりも早く作り始め、いちはやくチャレンジしてくれたことで、プロジェクト全体の活気が確実に増した」と振り返る。
今年1月末。市役所での展示作業で、晝川さんははつらつと作業を進めていた。楽し気な理由を尋ねると、「やるからには、楽しくやらなきゃ」と笑顔で答えた。
人との出会い大事に
晝川さんは1945年1月、東京都文京区に生まれた。街に響く戦後復興の「つち音」に触れて育ち、物心ついた時から木工職人にあこがれを抱いていたという。
高校卒業後、職業訓練所を経て、老舗百貨店「三越」直営の家具製作所「三越製作所」へ。三越の常客からの特注家具のほか、企業や官公庁の家具を手作りする仕事だった。
著名人からの依頼も多く手掛け、昭和歌謡の作曲家の自宅で巨大な飾り棚を作り、田中角栄の盟友とも言われた実業家の邸宅では、地下室のワイン棚を任された。
63歳まで30年間、木工所を営み、宮前区内のオーダー家具製作会社へ。数年前に最前線から退いたが、引き続き次世代の育成にあたりつつ、地域の学校で子どもたちに「ものづくりとは」を教える機会も得た。
ものづくりへの熱意の原動力を尋ねると、晝川さんは「自分の手でものを生みだす楽しさと、それを手にした人の笑顔。あとはものづくりを通した、人との出会いだね」と教えてくれた。そしてこう語った。「今回も、川崎で素晴らしいものづくりをしている人々と出会えた。ありがたくて大きな収穫だった」