永福町駅南口から【駅ぶら】06京王電鉄416 井の頭線47
※2024年2月撮影
トップ画像は、「永福町駅」南口への連絡通路橋。
南口に入ります。
※2024年2月撮影
エスカレーターで上り連絡通路橋を渡ります。
※2024年2月撮影
連絡通路橋から渋谷方面。左は「永福町駅」橋上駅舎。
※2024年2月撮影
こちらは吉祥寺方面。吉祥寺行電車が出発しています。
※2024年2月撮影
連絡通路から左奥にある改札口側を見ています。
※2024年2月撮影
コンコースに彫刻『冬の像』が展示されています。作者は永福町在住だった彫刻家佐藤忠良氏(1912~2011)。
※2024年2月撮影
「永福町駅と文化人」と「彫刻家 佐藤忠良」のパネル2枚が掲示されています。写真は前者。
※2024年2月撮影
昭和35年頃の永福町駅駅前風景の写真(資料提供:京王電鉄株式会社・京王資料館)と以下の文章が添えられています。※昭和35年(1960年)
「永福町駅は昭和8年、帝都電鉄の渋谷-井の頭駅間の開通(翌9年に吉祥寺駅まで延伸)と同時に開設されました。当時のことを洋画家の中川一政は、随筆『永福寺雑記』で「私の家から二町程裏手、廃道になった櫟林の中の所沢街道を出た所に駅が出来、永福町と云う名が付いた。」「新しい電車が出来て東京へ出るに汗をかゝないでも済むようになった。それ迄は京王電車の下高井戸へ十町余も歩いて行ったのである。」と記しています。
そして、当時永福寺にはアトリエが6つもあり、そのなかの1つは国木田独歩の次男、榎本武揚の孫にあたる佐土哲二のアトリエで、他の4つも帝展関係の彫刻家のアトリエだったと記しています。佐土は美術学校(芸大)の彫刻家を主席で卒業した彫刻科で、中川邸によく出入りしていたとも記しています。
その後も、永福町には中川の義弟で、演出家の千田是也、画家の池部鈞とその息子で俳優の池部良、仏文学者・詩人で慶應義塾長の佐藤朔、作家・詩人の中井英夫、俳優の森光子など数々の文化人が住まいを構えました。」
中井英夫さんは角川の雑誌「短歌」の編集長として塚本邦雄、寺山修司などを見出した人として有名です。アンチ・ミステリーの傑作『虚無への供物』(講談社文庫)も凄い小説です。
もう一度北口を出ました。
※2024年2月撮影
北口から北を見ています。
※2024年2月撮影
次回は、北に向かって歩きます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)