彫刻家・舟越桂、55年の森の中へ─遠い目の人物像が問い続けたもの
世界的にも評価の高い、彫刻家・舟越桂(1951年5月25日~2024年3月29日)。
父は、戦後日本を代表する彫刻家の舟越保武である。長兄を生後8ケ月で亡くしたことから家族全員がキリスト教の洗礼を受け、中学生ぐらいまで毎週ミサに通う少年だった。やがてラグビーに熱中する高校時代を送る。大学院時代に手がけた函館のトラピスト修道院の聖母子像を契機に木彫の人物像の創作を始めた。大理石をはめ込んだ遠い目をした独特な佇まいの人物像は、一瞬にしてみるものを魅了した。「崇高な何かが現れてくるまで食い下がって制作を続けた父」の背中をみて育った少年は、いつしか父を越えたのかもしれない。今年72歳で逝った舟越の作品群は、55年を経た箱根の森へ。
⾈越 桂 katsura Funakoshi
1951年岩手県盛岡市生まれ。母は詩人の舟越道子。7人兄弟の次男として生まれる。75年東京造形大学彫刻科卒業。77年東京藝術大学大学院研究科彫刻専攻修了。86~87年文化庁芸術家在外研究員としてロンドンに滞在。88年第43回ヴェネチア・ビエンナーレ(イタリア)、92年にはドクメンタⅨ(ドイツ)など世界的な展覧会に出品し、人気・実力ともに世界レベルとなっていった。また天童荒太著『永遠の仔』『悼む人』、辻仁成著『海峡の光』など数多くの文学作品の表紙を飾った。彫刻のみならずドローイングやエッチング、リトグラフ、版画等平面作品で見せる絵画性も評価されている。95年、第26回中原悌二郎賞優秀賞受賞、97年第18回平櫛田中賞受賞、09年、芸術選奨文部科学大臣賞(第59回)、毎日芸術賞受賞、11年紫綬褒章受賞。作品は国内外の美術館に多数収蔵されている。24年3月29日逝去。享年72。
父の背中に感じた威厳の呪縛からの出発
舟越桂の人物彫刻は一度見たら忘れられない。偶然にも作品に再会することがあると、あ、この人知っている、と足を止める。記憶のなかでそれは彫刻ではなく、かつて行きあった人物になってしまっている……。
前に張りだした額、くっきりした顎のライン、長い首、その下に広がるゆったりした肩の稜線、と骨格のフォルムは静かな意志を感じさせる。それとは対照的なのが眼の表情だ。視線の先になにがあるかわからない、不可視の世界を探ろうとしている眼差しのように感じられないだろうか。
人は肉体を抱えて生きながら、肉体を超えたものに憧れる。彼の作品の骨格と眼の対照には、その矛盾が表象されているかのようだ。実体のある世界に生きながらそこに充足できず、見えない世界を手探りする。その行為が放つ色気が舟越の作品に独特のきらめきを与えている。
長崎の二十六聖人像で知られる舟越保武を父にもち、幼い頃から父の仕事場を見てきて、将来自分も彫刻をするだろうという予感とともに育つ。手を動かすのが好きで、ものをつくって生きていくことに疑いはなかった。それは芸術を志すという構えたものではなく、職人の子どもが父の背中を見て直感するものに近かったのではないだろうか。
とはいえ、父はあまりに立派で威厳がありすぎた。恐ろしさに萎縮してしまうほど存在感があり、その呪縛をいかに振りほどくかが桂の出発点となった。
わたしは生前、舟越氏にお会いしたことはない。テレビのドキュメンタリーで拝見したのが最初だったが、そのとき漠然と描いていた神経質でかしこまったイメージが覆されて驚いた。心やさしく茶目っ気たっぷりな人柄がテレビ画面からあふれでてくるようで、作品のポップな雰囲気が少し理解できたような気がした。父の威厳にこのように距離をとりながら自身の世界を築いてきたのだろうと想像させられたのだった。
《樹の⽔の⾳》2019年 楠に彩⾊、⼤理⽯ 西村画廊蔵 Photo: 岡野 圭 © Katsura Funakoshi Courtesy of Nishimura Gallery
大学院時代、初めての木彫作品の制作に「楠」を先生から勧められた。楠は堅すぎず、柔らかすぎず、刃がすうっと入っていくのに、ほどよい抵抗感があった。色も匂いも良かった。遠くを見ているような人の表情は昔から気になっていたが、遠いところを見る目は、自己を見つめている目だと、舟越は語っている。より自然に見えるように、目には大理石を使うが、目の表情そのものは、瞼で決まる。
多くの胸像や頭像と舟越作品はどこが違うのか
ふつう彫刻作品は胸像か全身像のどちらかが多いが、舟越のつくるものはほとんど臍(へそ)から下の部分までが入っている。このことは言われなければ気づきにくい。少なくともわたしはそうだったが、ほかの彫刻とはどこかちがうとは感じており、その理由が胴体が含まれていることにあると知ったとき、思わず、そこだったのか!と声をあげたのだった。
それについて舟越は、胸像や頭像は知性や理性やその人の性格のほうに重点が置かれるが、臍のあたりまであると、ものとしての人間、動物でもある人間の姿が見えてくると説明している。なるほど、腹がすわるという表現があるように腹はエネルギーの源である。そこを含めると、理性や知性で腑分けできない生命そのものの力が強調されるのだ。
素材には楠が使われており、初期の人物像はみな着衣して彩色が施されている。美術大学で裸の全身像をつくらされたとき、なぜ裸でなければならないのかと疑問に思ったという。ふだん人は服を着て過ごしている。自分は特殊な状態にある人間ではなく、自分の横にいるような人物をつくりたいのだ。だとすれば服を着せるのが自然のように思われ、必然的に色も着けることになった。
舟越の彫刻はどれも具象像であり、一見、アヴァンギャルドには見えない。だが、多くの点で当時の木彫像の常識を破っていたのである。
《海にとどく手》2016年 楠に彩色、大理石、雑木 個人蔵
Photo: 齊藤さだむ© Katsura Funakoshi Courtesy of Nishimura Gallery
本作は、東日本大震災がきっかけとなり制作された。盛岡市で生まれた舟越は、被災した故郷に祈るような気持ちを込めて制作したのだろう。
〝見えているもの〟から〝見えていないもの〟へ
人間のことを外から見えているものと、見えていないものの両面から考えたい、と彼は語っている。骨格が外側から認識できるものとすれば、見えていないものを象徴しているのは大理石に彩色したものを埋め込んだ眼球の表情である。眼はもの見るための器官だが、開いていても何事も見ていないことがあるのをわたしたちは日常的に経験している。そのとき、視神経は網膜に映ったものではなく、自己の内側で起きているものに反応している。見るための器官が見えていない世界を感じさせる倒錯。ここにも舟越作品の秘密があるように思う。
初期の作品の多くは街で出会った人などをモデルにして、「見えているもの」を手がかりにつくられた。だが、次第に関心の比重が「見えていないもの」へと移っていく。肩に手が生えていたり、顔が裏と表の両面についていたり、頭に角のようなものがあったりと、異形の人物が目立ってくる。
《「私は街を飛ぶ」のためのドローイング》2022年 紙にオイルパステル Photo: 後藤 渉
まず作品とほぼ同じ大きさのデッサンを仕上げる。何十枚も描き、自分で気に入ったものになるまでデッサンに食い下がる。比率では、7対3くらいでモデルのない作品の方が多いようだが、気になるのは、自分の内へと向かう視線を感じさせる人だという。
「スフィンクス」というシリーズでは、そこからさらに進んで人間ですらなくなった。山羊のようなべろんとした耳。肩まで届く長いものもあり、首は顔の幅くらいに太く、骨格はしっかりしている。丸く膨らんだ一対の乳房があるが、下半身にはペニスが生えていたりと、人間と動物、雌と雄の境界を超越した摩訶不思議な生き物である。
《遠い手のスフィンクス》2006年 楠に彩色、大理石、革、鉄 高橋龍太郎コレクション蔵
Photo: 内田芳孝 © Katsura Funakoshi Courtesy of Nishimura Gallery
2000年代に入ると、ドイツ・ロマン派の詩人ノヴァーリスの小説『青い花』の一節から着想した「スフィンクス」のシリーズが登場する。人間を見続ける存在としての「スフィンクス」を題材にした作品を多く残した。
興味深いのは彼らの眼差しである。焦点が定まっていないのは以前と同じだが、そこには悲しみや諦観が滲みでている。いや、そうではない。そのように感じるのは彼らが裸の状態だからかもしれない。眼の部分を前の作品と見比べたあとに視野を拡げて全体を眺めわたすと、視線に感情が滲みでてくる。服の下に隠されていたものがむき出しにされて眼の表情が変化し、感情の在りかを示すのである。
舟越が最初に抱いていたのは自分のすぐ横にいるようなふつうの人間をつくりたいという欲求だった。ところが、彫っていくうちにこういうものができあがった。意図してそうしたのでもなければ、こういう展開を期待していたわけでもなかった。無意識の領域に下降した結果として現れでた存在であり、驚いているのは他ならぬ彼自身かもしれないとも思う。
初期の「ふつうの人間」のほうが好きだという人は多いかもしれない。わかりやすく、親しみやすく、穏やかな印象を与える。だがそこに留まっていたら「ふつうの芸術家」に終わっただろう。後先を省みずに異形の領域に踏み込んだところに、その勇気と想像力こそに、舟越桂が「偉大な芸術家」であるという証があるのだ。
《あの頃のボールをうら返した。》2019年 ⾰、⽷、楠、バネ、⽔彩、鉛筆 67×47×42㎝ Photo: 今井智⼰
舟越は東京造形大学3年の時にクラスメートを誘いラグビー部を作り、多摩美術大学と対戦した。藝大大学院に入ってからもラグビー熱は続き教授にも呆れられたほど。舟越のラグビー愛が伝わる作品だ。
◎参考文献
『森へ行く日 舟越桂作品集 』
『舟越桂 私の中のスフィンクス』
『彫刻家・舟越桂の創作メモ 個人はみな絶滅危惧種という存在』
『言葉の降る森』『今日の作家たち 舟越桂』
おおたけ あきこ
文筆家。東京都生まれ。ノンフィクション、エッセイ、小説、写真評論など幅広い分野で執筆する。対談やトークの機会も多い。主な著書に『随時見学可』(みすず書房)、『図鑑少年』(小学館)、『眼の狩人』(ちくま文庫)、『この写真がすごい2008』(朝日出版社)、『個人美術館への旅』(文春新書)、『旅ではなぜかよく眠り』(新潮社)、『須賀敦子の旅路』(文春文庫)、『ニューヨーク1980』(赤々舎)、『東京凸凹散歩』(亜紀書房)、『いつもだれかが見ている』(亜紀書房)。最新刊は『迷走写真館へようこそ』(赤々舎)。エッセイと対談のシリーズ「カタリココ文庫」を個人出版している。https://katarikoko.stores.jp
INFORMATION
彫刻の森美術館 開館55周年記念
「舟越桂 森へ行く日」
箱根町に所在する、彫刻の森美術館は、開館55周年を迎える。自然の中で鑑賞者と芸術家が交流する場として誕生した日本で初めての野外彫刻美術館である。作品は芸術家の言葉であると考える本館が、55周年の記念として本展を企画、前年の3月から準備が進められたが舟越は開催を見ずして癌に斃れた。しかし最期まで本展の実現を望み、励んだ舟越桂の意思が尊重された展覧会である。「僕が気に入っている」「人間とは何か」「心象人物」「『おもちゃのいいわけ』のための部屋」の4つの展示室から構成されている。また、入院中も絶えず描いていた創作のためのイメージデッサン。創作の源ともいえるその貴重な内容を舟越自らが語った映像で紹介される。
《樹の⽔の⾳》2019年 楠に彩⾊、⼤理⽯ 西村画廊蔵 Photo: 今井智己 © Katsura Funakoshi Courtesy of Nishimura Gallery
※この写真は所蔵者の許可を得て撮影しています。実際の展示風景と異なります。
会期:2024年7月26日(金)~11月4日(月・振)
会場:彫刻の森美術館 神奈川県足柄下郡箱根町二ノ平1121
展示室:本館ギャラリー
時間:9:00~17:00(入館は閉館の30分前まで)
休館日:年中無休
観覧料:大人2,000円、大学・高校生1,600円、中学・小学生800円 未就学児無料
お問い合わせ:0460-82-1161
公式サイト:https://www.hakone-oam.or.jp/