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60歳を過ぎたら「個人」から「人類」へ…武田鉄矢先生の授業が始まります

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【写真を見る】暑い中での撮影にこころよく応じてくださった中村桂子先生

「老い」を楽しむのもライブの醍醐味

くらたま:お話をお伺いできることを大変楽しみにしておりました。“武田先生”に年齢を重ねることについての授業が受けられるなんて…!

先ほど、ご著書の編集者の方ともお話していたのですが、最近の海援隊のライブでは、「今」の武田さんならではのライブ感を楽しまれているようで。

武田:ありがとうございます。70代半ばになりましたが、ライブ活動を続けています。

あるときのライブで、メンバーの中牟田が、突然演奏を止めたことがありまして。「どうしたんだ?」と思って見たら、手を屈伸させながら「ツッた」って……。その声がマイクにも入りまして……その日、一番ウケたギャグになりましたよ。

くらたま:(笑)。ファンの方々も一緒に年齢を重ねてきた一体感があるのではないでしょうか。会場も一緒になって笑える雰囲気がいいですね。

武田:そう。曲の順番を間違えたこともあります。それに、メンバーの千葉は歯の調子が悪い時があったのですが、大したもので、口を閉じながら「うー」って歌うんです。

くらたま:(笑)。

武田:それがもう、おかしくってね(笑)。若いときだったら“悲惨”な話も、老いると笑える話になるんですよ。

くらたま:年を重ねたからこそのライブですね。

武田:そうですね、つまり老いというものは、かくのごとく反転がきくんです。ミスをしてしまっても、そのユニークさを表現していこうではないかと思っています。昔は、もっとピリピリしてたんですけどね。

「柳に風」で妻との関係が変わった

くらたま:ご著書を拝読しましたが、老いることだけでなく、生きることに対してとても哲学的な印象を受けました。内田樹さんの影響を強く受けているとも書かれています。

武田:そうですね。内田さんの言葉は難解なのですが、人間というものを深く見つめている。その言葉の謎を考える面白さから哲学にハマっていったのかもしれません。

私も内田さんをならって合気道を始めたんです…65歳からですがね。ある日、合気道の道場の管長にこんなことを言われたんです。「相手を倒そうとして肩に力が入ってる。どんな技をかけようとしてるか見えちゃうよ」と。そうならないために、「柳に風」で、相手がかけようとしてくる技に逆らわないことが大切だと。

くらたま:茶道や華道のように、〇〇道とつくものを極めていくと、普段の生き方が変わることがありますよね。

武田:私の場合は女房の“キツイ言葉”が素直に聞けるようになりました(笑)。先日も女房から、「汗でベタベタの下着と道着は自分で洗って」と言われたんですが、そのときに「はい」と素直に言えました。女房に対して、初めて良いお返事ができました。

くらたま:(笑)。合気道を始めたことで、奥さまとの関係が変わったのでしょうか。

武田:管長の「柳に風」という言葉が、ずっと心に残っていたんです。女房のキツイ言葉にも「反発ではなく、まずは素直に返事をすればいいのではないか?」と思えるようになりました。女房とぶつかることもなくなりましたね。

大したことじゃないのかもしれませんが、合気道を学んだおかげだと思います。

「老い」について

武田:「老い」についても「柳に風」で受け止めています。ゆっくり老いていく我が身をも敵としない。老いは目的があって近づいて来ていると考えれば、一見、望ましくない状況も、違う見方ができるんじゃないか、と。

くらたま:いつもとは違う角度から見ると、現実がまったく違って見えてくることってありますよね。

武田:そうですね。例えば、過去の恋愛に対する見方が変わりました。今の年齢から過去を振り返ると、どんな“アホウな”体験も価値があったと思えるんです。

くらたま:気になるお話です……。

武田:ずばり言えば、私を振った人、私からお別れを伝えた人……みんないい人でしたねぇ。そのことがしみじみ分かるようになったんです。

くらたま:相手に対する見方が変わったということですか?

武田:そう。当時は、「鼻をかむ音が大きかった」なんて理由で、“熱”が冷めていました。でも、今にして思えば、大したことじゃない。

相手を自分の幻想に当てはめようとして、本当のことが見えていなかったと思います。

武田:それだけでなく、人間は無意識のうちに過去の選択を正当化すると思うのです。

くらたま:どうして正当化してしまうのでしょうか。

武田:自分の人生を肯定するためです。例えば結婚において「自分はこの人と結婚して良かった」と思いたい。結婚相手にたどり着くために、あの恋は諦めて、あの恋は断ち切った……。そのように自分の選択を正当化したい。

でも、ここまで私のように年齢を重ねたら、ありのままに人生を俯瞰することができます。過去、小さな理由で別れた人をどれだけ好きだったかをありのままに見ることもできるんです。その機会は、年を取ってからでしか得られない。

くらたま:「特権」ですね。

武田:人間は、70、80と歳を重ねて生きてゆく。何のためかと言えば、記憶の整理をするためだと思うんです。自分の記憶を塗り替えていくための最後のチャンスが、老いてからの人生に与えられる。

人間が最後に仕上げなければならないことですね。

忘れたくないことを“頭の中”に置くな

くらたま:記憶は不思議なもので、自分で記憶に意味づけをしていますが、それが必ずしも客観的に正しいわけではありませんよね。

武田:高齢者の研究をしているある方から、こんな話を聞いたことがあるんです。「記憶は本棚に本をしまうように正確なものではなくて、混然一体になっている」と。

行ってもいない修学旅行に行ったと、自分の記憶を“書き換える”人なんかもいるそうです。修学旅行のエピソードを同窓会で披露して、会場が盛り上がったと聞きました。記憶の中に簡単にウソが紛れ込んだのに、それを事実として全員で共有できたんです。

くらたま:面白い話です。

武田:私たちも、記憶の順番が入れ替わったり、不要な記憶を捨てたりします。でも、捨てたものの中に、実は重要な記憶もある。だから、どの記憶が重要でどれが不要か、一概には言えませんよね。

くらたま:年齢を重ねると、記憶を“忘れる”ことも増えますね。

武田:忘れたくないことは、手足に「置いておく」と忘れないと思います。子どものころは“ポーズ”に見えていた駅員の「おじさん」による指差呼称も、重大な記憶の仕方なんだと実感しましたね。老いれば老いるほど身体で覚えることが大切です。

くらたま:妙に納得がいくエピソード……。

60歳を越えたら“人類”として生きること

くらたま:武田さんは老いを肯定的に捉えていますが、「老いていく自分を認められない」と悩む方も多いと思います。

武田:ボーボワールというフランスの哲学者が、こんなことを言っています。 「60歳までは個人……つまり武田鉄矢として生きていいけど、60歳からは個人を捨てて人類として生きていきなさい」と。要するに、説得力のあるじいさんとばあさんになりたかったら「人類」として発言することだと思うんです。

くらたま:私も50代になり、そういうことを考えるようになりましたね。

武田:例えば、ロシアとウクライナの戦争に怒りの拳を握っている若者と、手を合わせて世界中の人々の幸せを祈る老人……。

老人としての思いを歴史に残していくこと。それは、老いたからこそできる人類のための仕事ではないかと思うんです。60歳以上になっても人類として考えられない人は、老人の特権を生かしきれていないですよね。

くらたま:私は個人としての欲をまだまだ捨てきれません。それが抜けたときに、社会の力になれたらいいいな、と思うんですが…。本当に抜けていくのかわかりませんけどね。でも考えざるを得なくなります。

武田:そういうものですよね。老いってね、余裕を持って考えるようなものではないと思うんです。どちらかと言えば、オチアユやウナギみたいに、そこに追い込まれていくような。そうして、追い込まれた分だけ考え込むんですよ。死ぬことの意味合いも含めてね。

そうすると、どんどん「深いもの」になっていくんです。老いは、一種の推進力。変わらざるを得ない状況になって、自分が変わっていく。変わっていくから、自分らしくなる。それ以外の術を、老いは許してくれないでしょうね。

泣きながら「ひと笑い」して旅立つ魂

武田:自分のもとにやってきた死さえも「柳に風」で受け止めて笑う。「最期にひと笑い」して、地上から魂が消えていくっていいですよね。

くらたま:「死は、怖くて悲しいもの」というイメージがありますが、それをなくしていきたいです。

武田:そうですよ。死を前にして人生を振り返ると、苦労したことが懐かしくて、幸せだった出来事は、意外とつまらないと思うんです。

哲学者エマニュエル・レヴィナスの言葉を私が意訳した考えに「自分が少し不幸せで、あの人が幸せそうにしてたとき、私は最も幸せ」というものがあります。

武田:幸せを突き詰めて考えると、「これ」じゃないでしょうか。

老いとは「ライセンス」である

武田:若い人に向かって「死んでいくのは、そんなに怖くないよ」って言えたらいいですよね。「老いの影」みたいなものを、明るく、明るく伝えていきたい。年寄りが言えば、どれほど文化全体が豊かに膨らむか。

くらたま:年をとって、やっとその資格が生まれるのかもしれません。

武田:そう。まさに老いって「ライセンス」ですね。やっぱり年寄りにしか言えないことがあります。例えば、認知症のおばあちゃんが「私はちっとも辛くない」と言えば、介護をする方も励まされることがあると思います。それは、「人類」になったおばあちゃんが得た体験です。そういったことを語ることが、人類史に貢献することだと思います。

くらたま:老いについて少しだけ前向きになれました。「100万回」も言われていることだとは思うんですが、「武田さんと言えば金八先生」のイメージがあります。でも“素顔”の武田さんのお話にも大きく心を動かされました。今後のご活動も楽しみにしています。ありがとうございました。

撮影:宮本信義

武田鉄矢(たけだ・てつや)

1949年4月11日生まれ。福岡県福岡市出身。O型。福岡教育大学卒業(2008年に名誉学士授与)。72年、フォークグループ「海援隊」でデビュー。翌年「母に捧げるバラード」が大ヒット。日本レコード大賞企画賞受賞。77年には山田洋次監督の映画「幸福の黄色いハンカチ」に出演。「3年B組金八先生」「101回目のプロポーズ」などのドラマにも多数出演。 近著『向かい風に進む力を借りなさい』(ビジネス社刊)が全国書店・Amazonで発売中。

【ライブ情報】 海援隊トーク&ライブ2023
・11/11(土)山口・三友サルビアホール(防府市公会堂)開場14:30/開演15:00
・11/12(日)広島・庄原市民会館 開場14:20/開演15:00
・12/1(金)愛知・刈谷市総合文化センター 開場17:30/開演18:30

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