Yahoo! JAPAN

切迫早産を乗り越え、予定日に陣痛!でも呼吸法を間違え意識朦朧の大パニック!

たまひよONLINE

20代後半で結婚、29歳で初産を経験した駆け出しライターのJUNKOです。産婦人科で見かけた雑誌を中心に情報を収集し、仕事をしながらの妊娠生活がスタートしました。

前置胎盤かも?と診断


妊娠して3ヶ月が経った頃、「前置胎盤の可能性がある」との診断に不安を覚えたものの週が進み治ってきたため一安心。産まれてくる赤ちゃんよりもまだまだ自分のことで精いっぱいな私でした。

初期のかかりつけ医は私を取り上げた先生。慎重派で、仕事は控えてとにかく安静に、と指導するおじいちゃん先生でした。沖縄での弟の挙式に参加するのに、飛行機に乗ることも止められたほどです。しかし、私は安定期に入っていたこともあり、別に病気ではないからと、夫や家族と一緒に飛行機で出かけました。後からこのことを後悔することになってしまうのです。

切迫早産への不安でいっぱいのなか仕事も休職に


沖縄から帰ってきたあと、おなかが重いような何とも言えない感じが続いて病院へ。診察の結果、今度は「切迫早産」と診断されてしまいました。

初めて聞く「切迫早産」がどんなものかもよくわからないまま、とにかく安静にしているようにとのことで自宅でじっとしている日々。「切迫」というショッキングな言葉に、「赤ちゃんどうなっちゃうんだろう」という不安に押しつぶされそうになることもありました。

それまでは、仕事もなるべくこれまで通りと続けて来ましたが、こうなると仕事どころではありません。私は直ちに休職を取らざるを得ない状況となってしまったのです。

小さな職場では、一人戦力が抜けた時のダメージは大きいもの。理解と協力を求めるためには、日ごろの自身の仕事への姿勢が問われるところとなりました。同僚には申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、ここはとにかく赤ちゃん優先で! と自分の中でも踏ん切りをつけ、休職をさせていただくことにしました。

切迫早産の不安を払拭してくれた家族の支え


休職となった私は、出産までの間を安静に過ごすために里帰りをすることに。予想外に早く実家に戻った私は、生活パターンがガラッと変わったこともあり、動けないもどかしさと不安で悶々とした日々を過ごしました。

毎晩の食事は、実家の敷地内にある、別棟の祖父母宅でとることにしていたのですが、祖母の作るおいしい食事と穏やかなおしゃべりが、不安でいっぱいだった私の心を癒してくれました。さらに指圧の資格を持っていた祖母が、私の手足をマッサージしてくれたことも、深いリラックス効果につながったのではないかと思います。

いよいよ予定日当日。髪も乾かさずに病院へ


そうこうして過ごしているうち、何とか無事に出産予定日も間近に。あんなに「おりてきちゃう!」と騒いでいたのが嘘だったのかと思うほどに、辛抱強く待ってくれた赤ちゃんにもありがとうという気持ちでした。もはや不安などもなく、「いつ陣痛が来ても大丈夫」と言えるほどに心の準備もできていました。

そして出産予定日当日の夕方。1時間ごとの痛みがきて、「いよいよかな」と覚悟。シャワーを浴びた後、30分どころか頻繁に陣痛が来るようになってきたので、祖母の「ちゃんとブローしてから行きなさい!」の声も無視して、両親の車で病院へと向かいました。

初めてのお産。緊張のあまり呼吸法を間違え大パニック


私が病院へ到着すると、出産担当の医師も自宅から駆けつけてくれ、お礼もそこそこに待機室へと入りました。もう痛くて背に腹は代えられない、なるようにしかならない、と半ば開き直った気持ちでいました。

汗だくになり、なりふり構わずとはこのことだな、頭のどこかで思いつつ、夫と母にさすられながらヒーフーと呼吸法を始めました。しかし初産でつい張りきりすぎたのか、いきむタイミングを間違えてしまい、まだまだリラックスして呼吸を整える段階だったにも関わらず、慌てて早い呼吸を始めてしまったのです。

分娩台での悪戦苦闘 過呼吸から吸引分娩へ


リズムを整えてリラックスする呼吸法をするはずが、反対に早い呼吸を初めてしまったことで子宮口がきつく閉まってしまい、いくらリラックスしようと思っても、もうどうにもなりません。私は看護師さんによって分娩室へ抱えられるように移動しました。

私自身も過呼吸になり、酸素マスクをつけられて、朦朧とした意識の中で気が遠くなっていくのを感じました。「赤ちゃんも頑張っている、私も頑張らなきゃ」と、そんな風に思うことが精いっぱいの状態でした。

朦朧とした意識の中でお産が進み、赤ちゃんの頭が出かけた様子のなか、医師の「吸引分娩で」の声がぼんやりと聞こえてきました。その時の意識はとぎれとぎれでしたが、なんとか産声が聞こえ、「ようやく産まれた!」とおぼろげながら感じました。出産の瞬間は、嬉しさよりもホッとした気持ちのほうが大きかったように記憶しています。

じわじわとゆっくり押し寄せてきた感動


どのくらい経ったのでしょうか。隣で泣いている、頭が長細く伸びてしまった小さな女の子。私はそこで初めて、「赤ちゃんにやっと会えた!」とじんわりとした喜びが湧きあがって来るのを感じました。

授乳指導のときだけがわが子に会えるチャンス。看護師さんから渡され、わが子に慣れない授乳をするたび、緩やかに愛しさがこみ上げます。お産の影響で黄疸と診断されたため、母子同時退院は叶わず、私は一足先に退院。身体を休めて2日後に赤ちゃんを迎えに行きました。

夫や両親の喜ぶ様子を見て、赤ちゃんがやってきたことに改めて感激。劇的な感情というよりも穏やかな優しさを伴った私の出産体験でした。

妊娠したからと言って、初めから母性が備わっている女性ばかりではなく、自分の生活環境の変化に戸惑う女性も少なくないのではないでしょうか。私自身がそうでした。

初めての妊娠は戸惑いと不安だらけ、ましてや妊娠時期には思わぬトラブルに直面することもあります。そんなとき、支えになるのは周囲の温かさです。

初産の時には、医師や看護師さんの尽力、友人や家族の応援が私を穏やかに出産へと導いてくれました。このような体験をしたからこそ、おなかのわが子に対して時間をかけて愛情を育んでいくことができたと思っています。

[JUNKO * プロフィール] 
20代後半で結婚、29歳で第1子、31歳で第2子、2人とも異なる方法で出産。仕事を続けながら出産・育児を経て、現在は仕事の傍ら、駆け出しライターとして奮闘中。子供の成長は本当にあっという間でもったいないとさえ感じる昨今です。

※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。

【関連記事】

おすすめの記事