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【NIIKEI文学賞掲載】ライトノベル部門大賞受賞作「アッぽりけ」吉田 棒一

にいがた経済新聞

深夜、磐越道、時速二十キロ。法定速度を大幅に下回り一台のレンタカーがトンネルをくぐり抜ける。「これじゃ小千谷に着く前に夜が明けちまうな」と助手席の和田が四十八本目の煙草を吸った。後部座席で無表情を装う須坂に気づき、門屋は思わず眉間の皺を深くする。
「もっと急いだ方がいいか?」
「いや、このスピードでいいぜ。なあ、和田」
「ああ、いいスピードだ……いわばナイススピードだな」
「ナイスピード、とも言えるな」
磐越自動車道。日本の高速道路では数少ない二車線区間が生き残っている。対向車との間に中央分離帯など存在しない。あるのは等間隔に配置されたオレンジ色のポールのみ。暗闇を時速百キロの鉄の塊とすれ違うたび、自動車安全性能試験の映像が三人の脳裏をよぎる。
「まさかビビってねえよな」
「誰に言ってんだ? 二高の龍神なめてんのか」
「東小千谷の小型戦闘機なめてんのか」
「何年前の話してんだ」
山間を貫く真夜中の磐越道には漆黒のほかに何もない。門屋は考える。これはボクシングのカウンターと逆の発想だ。時速百キロと百キロがぶつかるより百キロと二十キロがぶつかる方が衝撃は軽くすむ。単純な算数の問題だ、断じてビビってるわけじゃねえ。そうこう言っている間にも、明らかに走り慣れた対向車がビュンビュン目の前をかすめていく。RV車、大型トラック、高速バス。バカ野郎が、おっかねえだろうが! 須坂の顔に冷汗が滲み、和田は涙目になっている。門屋はハンドルに力を込めて全身全霊で二十キロを保つ。
「……しかし遠いな、新潟は」
「関越が塞がってるからな。しょうがねえ」
「新幹線も当分復旧しねえって言うしよ」
「上越線の鈍行で行くのもシブかったけどな」
「それも水上から先は進めねえんだとよ。それにトランクの荷物どうすんだよ」
うしろのプリウスがハイビームでチカチカ煽ってくる。気づけば高速ではあり得ない車間距離で十台以上が団子になっていた。クラクションを浴びせられ「ベンツか何かだったらナメられねえのによ」と門屋は小さく舌打ちした。
「ところで和田、オフクロさんと連絡ついたんかよ」
「いや、まだだ」
「…………」
「…………」
「まあ、あのババアのことだから死んじゃいねえだろ。それより小便したくねえか?」
「またかよ」
「あ? おれはここで漏らしてもいいんだぜ」
和田の尿意でサービスエリアに寄るのは三度目だった。和田は被災地の母親と連絡がつかないことで明らかにナーバスになっている。ニュースキャスターは「死者は今のところ報告されていません」と言った。今のところ。実家には何度も電話をかけた。アッぽりけの発生から五日。連絡がつく気配はない。
「まあ、携帯なくしたってこともあるからな」
「充電が切れてるだけとかな。電気が復旧してねえ地域もまだ相当あるっつうしよ」
暗いトンネルを抜ける。サービスエリアに入ると「やっと解放された」とばかりに加速した後続車が暗闇に消えていく。プリウスだけはあとをついてきた。
「しかし小千谷は災難が続くな」
「まったくだ。中越地震から何年だよ?」
「まだ二十年は経ってねえ」
「そこに今度のアッぽりけだからな。ツイてねえ町だ」
午前三時、サービスエリアは無人だった。車を降りるとうしろから声がした。プリウスの運転手。
「オイそこの三人、お前らのせいで渋滞しただろうがナメてんのかコラ」
新潟県中越地震の当時、三人は小学生だった。マグニチュード6.8の縦揺れは生まれ育った町から様々なものを奪った。電気ガス水道は止まり、同級生の家がいくつも倒壊した。家族は余震に怯え、車の中に寝泊まりする生活を強いられた。学校は休みになった。通っていた小学校に自衛隊が駐屯し、グラウンドに集団浴場が仮設された。菓子パンやレトルト食品が配られ、農家は畑で採れた作物を近隣同士で交換し合った。地震の発生は十月だったが、土地柄から多くの家に石油ストーブがあったことは不幸中の幸いだった。住民はそれで簡単な煮炊きをすることもできた。
三人は喫煙所で煙草を吸い缶コーヒーを飲んだ。プリウスの男がつきまとってくる。
「まったくウゼーな、アッぽりけ」
「あんな町がどうなろうがどうでもいいんだけどよ」
「ああ、おれたちには関係ねえ」
「人の話聞いてんのかコラこっちは渋滞のせいでイライラさせられたんだよイランゲリオンなみにイライラしてんだよこの野郎、ペッころすぞ、ピッころすぞ」
車のトランクには新宿のドンキホーテで買った大量の酒と煙草、乾電池とそれに繋げる充電器、ティッシュ、トイレットペーパー、紙おむつ、ろうそく、カセットコンロとガスボンベ、菓子類を含む食料品が詰め込まれている。どれも震災当時の記憶から「これがあったら有難かった」「本当はこれを求めていた」と考えながらカートに詰め込んだものばかりだ。特に嗜好品は手に入りにくく喫煙者たちの喜ぶ顔が目に浮かんだ。
「まあ、誰が喜ぼうが悲しもうがどうでもいいけどよ」
「別に人助けがしてえわけじゃねえからな」
「当たりめえだ、だいたい人助けってツラかよ」
「ただの暇潰しのドライブだろ」
「間違いねえ」
「おい無視すんなよコラ、トロトロトロトロ走りやがって逆に危ねえんだよ最低速度違反知らねえのかこの豚トロがそんなに煽られてえかもしくは炙られてえのかこのド蛋白質が」
「さっきからうるせえな、誰だこいつ」
吸い殻を捨てた門屋が上着の内ポケットに手を入れると須坂がそれを制止した。立ち上がりズボンの砂を払った和田は、缶コーヒーを持ったまま三人を見渡せる位置に下がった。プリウスの男はなおも捲し立てた。いつの間にか両手にヌンチャクが握られている。
「うるせえとはなんだこのヒババンゴが腐れ金玉がおもしろインターネットがまったく揃いも揃って実写版びらびら帝国みてえな顔しやがって顔しやがって顔しやがって顔しやがってよぉぉぉぉォォ、ホァッチャァァーーーーーッッ」
男が門屋に襲いかかる。同時に和田が呟いた。
「右だ、門屋」
門屋が右に身体を捻るとヌンチャクが空を切る。軌道を読んだかのような身のこなし。プリウスの頭がクエスチョンマークだらけになる。
「おれの? おれの? おれのおれの? おれのヌンチャクをかわしただと? バカな、おれのっ、おれのおれのおれのっ、おれのぉぉぉおれのぉぉぉ……ホォアターーーッッ」
再び和田が「左だ、須坂」と言った。須坂が左に避けるとヌンチャクはまたも空振りした。
「なんなんなんなんなんだお前らは特にうしろのやつうしろのお前お前お前、右とか左とかおれの自家製リモコンヌンチャク様が見えるのか? 読めるというのか?」
須坂がサングラスを外し「お前のその能力で地震とかアッぽりけも予知できなかったのかよ」と言うと和田は「そりゃ無理だ」と首を振った。
「そんなに遠くのことはわからねよ、この能力は予知やら予言とは微妙にノリが違うからな。喧嘩の時くらいしか使い道がねえ」
そうかよ、とため息をつく須坂の両目が金色に発光する。
「喧嘩ったって直接やるのはいつもおれと門屋だろうがよ」
須坂の両目からビームが放たれた。視線の先にあったプリウスが木端微塵に爆発炎上する。男は「全然状況が飲み込めないのですが」みたいな顔になった。門屋が近寄りながら内ポケットから何かを取り出す。
「うしろからずっと煽ってたの、あんたか」
男は門屋が手にしたものを見て恐怖のあまり腰を抜かした。
「トロくて悪かったな、おっさん。情けねえけどペーパードライバーには対面通行の高速ってのがあんまり怖くてよ、許してくれ。だけどこれ以上しつけーとおれはこいつであんたを殴らなくちゃならねえ」
門屋の手の中のものが鈍く光る。それは金属のような陶器のような一見すると棒のように見えるがロープに見えなくもない刃物とも鈍器とも銃器ともつかない見たことのない何と呼べばよいかわからないただただ異常に危険で有害なことだけはひしひしと伝わってくる何かの物体だった。和田と須坂が男を見下ろす。プリウスの残骸から黒煙が上がっている。
「おっさん、これ以上門屋を刺激するなよ」
「おれたちは門屋がこれで人をどつくところをあんまり見たくねえんだ。あんたも面倒は嫌だろ」
プリウスの男は「オホ……オホホ……」と珍しい泣き方で泣いた。時刻は午前四時を回っている。真っ暗だった空に微かに紺がさしつつあった。

新津インターで磐越道を降り、川口方面にレンタカーを走らせる。コンビニを探すとかつてセーブオンだったところにローソンがあった。看板は消灯しているが店内は明るく、自動ドアも作動している。夜は明けかけていた。
「この辺りはもう電気が通ってるってことか」
「震災の時も最初は電気から復旧したよな」
五日前。中越地方に巨大なアッぽりけが発生したと夕方のニュースで知り、三人は高円寺にある門屋のアパートに集まった。テレビの画面越しに被災地の光景を見ただけで中越地震の記憶が蘇る。バラバラに倒壊した家屋、板チョコのように割れたアスファルト、避難所で途方に暮れる人々。三人は揃って「また小千谷かよ」と言った。
不通だった電話回線は夜明け前には復旧し、門屋と須坂は家族の安否が確認できた。「今のところ死者は報告されていません」と言ったあと、ニュースキャスターは「このアッぽりけが都心で発生していたら被害はより甚大だったでしょう」と付け加えた。
「ご覧ください、こちらが東京で同規模のアッぽりけが発生した時に想定される被害です」
「こうしてみると随分違うものですね~」
「視聴者の皆さん、防災対策はしっかりなさってください。こちらがご家庭で備えておくべきものの一覧です」
門屋はテレビをぼんやり見つめ「田舎だからこれくらいの被害で済みました、とでも言いてえのかな」と言った。
三人は幼稚園からの腐れ縁だった。生まれた町が田舎だという自覚は大雪のせいで物心つく頃にはすっかり刷り込まれていた。バブル世代の親たちは田んぼの近くにスーパーやコンビニが立つのを見て、町が発展していくものと考えた。景気の悪化でその当ては外れ、多くの若者たちは高校を卒業すると県外に出て二度と戻らなかった。三人も十八歳で上京した。商店街には同級生の家族が営む理髪店や青果店があったが、今では日中からシャッターを下ろしている。ピカピカだったコンビニも少しずつ寂れて減少した。三クラスあった小学校の学級も今は一クラスしかない。
中越地震の時に「阪神大震災の教訓が生かされている」と評された政府の対応はこのアッぽりけでも迅速だった。雪のない季節だったことは数少ない幸運だった。それでも関越自動車道は通行止め、鉄道も上越新幹線全線と北陸新幹線の一部区間が運休になっていた。
「ご覧ください、アッぽりけのものと思われる凄惨な被害が残されています」
テレビに映ったのは廃墟と見分けがつかないほどボロボロに倒壊した学校だった。窓ガラスは全て割れ、外壁は焼け焦げている。それは三人がかつて通った小千谷第二高校だった。
「ボロボロだな」
「ああ。ボロボロだ」
「懐かしいな」
「ああ。懐かしい」
磐越道を経由すれば新潟に入れるらしいことを須坂がSNSから調べ上げた。三人は誰が言い出すともなく貯金を出し合ってレンタカーを借り、誰が言い出すともなくドンキホーテで買い出しをした。それが昨日のことだ。
「まったく面倒くせえ」
「あんな田舎がどうなろうが知ったこっちゃねえんだけどな」
「でもまあ、ここまできちまったしよ」
「ところで和田、オフクロさんと連絡ついたかよ」
「いや、まだだ」
品薄になった冷蔵庫に唯一残されていた缶コーヒーを三本買い、三人はローソンを出て再びレンタカーに乗り込んだ。

小千谷市役所に到着した時にはガソリンは底をつきかけていた。庁舎は薄暗かったが危機管理課にだけ予備電源が灯っている。ドンキホーテの黄色い袋を両手に下げ、三人は窓口を訪ねた。
「あの〜……この町の出身の者なんだけどよ」
「なんつうか……飯とかよ、電池とか持ってきてみたんだけどよ」
「あとガスとかな」
「欲しけりゃ置いて帰ってやってもいいんだけどよ」
作業服を着た眼鏡の女が三人の顔を覗き込む。
「寄付でお越しの方でしょうか?」
三人は同時に顔をしかめた。
「ああ? 全然ちげーよ」
「寄付なんかのためにわざわざくるわけねえだろ」
「なんつうか、要するに飯とか電池とか持ってきただけだよ」
「あとガスとかよ」
女の眉毛がハの字になる。合わせて眼鏡も斜めにズレた。
「でもそれは寄付ということなのでは?」
三人の顔が険しくなった。
「だから寄付じゃねえって言ってんだろ!」
「誰が寄付なんかするかよ、こんな町によ!」
「飯とか電池とか持ってきただけだってんだよ!」
「あとガスとかよ!」
女は少し怯みながらも「わかりました」とあくまで冷静に言った。別の職員がやってきてドンキホーテの袋を開け「申し訳ありませんが」「お気持ちは大変有難いのですが」と刺身のパックと千羽鶴を返された。あのよ、と門屋。
「いらねえのかよ……結構いい刺身にしたんだけどよ」
「生鮮食品は受け付けることができません」
「ごはんに合うぜ……」
「火の通っていない肉や魚は食中毒の恐れがありますので」
「じゃあツルはよ? ツルは食中毒と関係ねえだろ……本当にいらねえのか?」
「こういったものも最近は被災者の気持ちに寄り添うと難しいところがありまして」
和田と須坂がうしろから口を挟む。
「寄り添ったからこそのツルだろ」
「心を込めて一羽ずつ折ったんだからよ、なんとかならねえのか」
女は「では千羽鶴はお預りします。ですがお刺身はお持ち帰りください」と刺身の容器をそっと押し返した。千羽鶴は両腕でクルクル巻き取られ、受付の下の三人からは見えないところに素早く放り込まれた。
「このたびはご協力ありがとうございました」
刺身のパックを小脇に抱え、三人は喫煙所を探した。
「あれがお役所仕事ってやつか」
「こっちの気持ちなんかお構いなしだからな」
「こうなることもお前の予知能力でパッとわからなかったのかよ」
「だから予知とはちげーんだよ。気合い入れると異常に勘が冴えまくるみてえなそういう感じなんだよ、うまく説明できねえけどよ」
「まあ気持ちも何もねえけどな。こんな田舎がどうなろうがどうでもいいよ」
「そうだな」
「ところで和田、オフクロさんと連絡ついたかよ」
「まだだ。まあ、死んじゃいねえだろ。それより小便したくねえか?」
「さっきしたからいいわ。一人で行ってこいよ、先に一服してるからよ」
数分後、喫煙所に現れた和田の手に一枚のチラシが握られていた。門屋と須坂が目を細め、咥え煙草のままそれを読む。「あそこの掲示板に貼ってあってよ」と和田。ボランティア募集。瓦礫の撤去作業。力仕事。

「新潟県立小千谷第二高等学校」と記された門柱は稲妻のような亀裂で真っ二つに割れていた。四階建ての校舎は斜めに傾き、屋上の手すりは捻じ曲がり、生徒玄関に面した教員用駐車場に瓦礫と窓ガラスが散らばっている。
「ボロボロだな」
「ああ。ボロボロだ」
「懐かしいな」
「ああ。懐かしい」
「とりあえず瓦礫を拾うところからだな」
三人はボランティアをグループに分けて業務とエリアを分担し、必要な道具を配った。チラシ指定の集合場所には市外県外からボランティアが集合していた。三人は彼らを引き連れて廃墟と化した母校にやってきたのである。
「軍手が破れたバカはすぐに言えよ。怪我したら仕事にならねえからな」
「あと定期的に水分補給しろよ。おめえらクソの一人ひとりの貢献でチームが成り立ってることを忘れんな」
昼過ぎには広い駐車場にコンクリート、ガラス、木材、その他のゴミに分別された瓦礫の山ができた。
「次は校舎だな。誰かクレーンとショベルを借りてこい。運転できるやつも一緒にな」
「セメントがいるな、あと新しいガラスも。業者の知り合いが呼べるやつは全員連れてこい」
やがて複数のクレーン車、ミキサー車、ダンブカー、ショベルカー、ブルドーザーが校門を抜けて入ってきた。三人は重機の運転手と職人たちに担当業務と締め切りを伝えて目標を設定し、進捗を確認し、進捗が芳しくない担当者には声をかけて理由を説明させ、課題があれば一緒に相談して解決していった。夕方には校舎の傾きが解消され、窓枠に新しいガラスがはめ込まれ、外壁にはベージュを基調としたペンキが隙間なく塗られた。
「だいぶ良くなったな」
「ああ。あとは明日にでも中を掃除していけば元通り使えるだろ」
三人は翌日の集合時刻と「あくまで有志だからこれるやつだけでいい」ことを伝え「これはほんの気持ちだから調子に乗るなよ」と一人に二切れずつ刺身を配り、作業を終えようとした。そこに災害対策課の腕章をつけた市役所の職員たちが入ってきた。
「ちょっとあなたたち、勝手に何やってるんですか」
ああ? と須坂が汗を拭きながら答えた。
「見りゃわかんだろ、学校を直してんだよ」
「役所からそんな指示は出していません。まだ水道もガスも復旧してないんですよ? ボランティアは有難いですがインフラの再整備が先です」
門屋と和田が煙草の煙を大きく吐いた。
「なんだてめえら。インフラもわかるけどよ、教育だって同じくらい大事なんじゃねえのか」
「若者や子供たちの未来に先行投資して何が悪いんだコラ」
ボランティアメンバーも三人を擁護した。
「仰ることもわかりますが、彼らは優れたリーダーでしたよ。熱意をもって私たちを導き一日で学校を元通りにしたんですから」
「この校舎を見てください。もうアッぽりけの影響なんて微塵もわからないでしょう?」
すると役所の職員は「は?」と呆気にとられた。
「この学校はアッぽりけの前から廃墟でしたよ」
ボランティアメンバーの目が点になった。キョトンという音が聞こえてきそうだった。
「十年ほど前に生徒に破壊されたんですよ。この町では伝説になってます」
「途轍もない戦闘能力を持った不良がいましてね。目から破壊光線を出す男や得体の知れない謎の武器で戦う男がいました。予知みたいなことができる生徒もいて、彼らを捕まえるのは難しかったと聞いてます」
「もう廃校にされて随分たちますよ」
ざわつくボランティア。顔を見合わせ呆然とする者もいる。門屋はいつの間にかヘッドフォンで音楽を聴いている。須坂と和田はUNOを始めていた。
その時、誰かが叫んだ。
「アッぽりけだ!」「でけえ!」
声の方を見ると夕陽を背負った巨大な何かが空間を歪めていた。見たこともない大きさだった。
「おいおいマジか」
「なんだあのデカさ」
「和田よお、こんなのも予知できたんじゃねえのかよ」
「だから予知とは微妙にちげーんだって」
職員が「アッぽりけはあとにして私たちの質問に答えてください」と言うのを無視して須坂はサングラスを外し、門屋は内ポケットに手を入れ、和田はメガホン片手に全体が見渡せる場所に移動した。地面が揺れ、須坂の両目に金色の光が集まる。ボランティアの一人が言った。
「俄かには信じがたい話ですが……校舎を破壊できるほどの不良が本当にいたとして……だけど彼らも反省してるんじゃないですかね?」
和田の「前に走れ」のメガホンに門屋と須坂が反応する。ボロボロと剥がれ落ちた巨大なぽりけが二人のいた位置に落下した。アスファルトが波打ち、クレーン車とショベルカーが転倒する。門屋は懐から金属のような陶器のような棒にもロープにも見える刃物とも鈍器とも銃器ともつかないただただ異常に危険で有害なことだけはひしひしと伝わってくる物体を取り出す。別のボランティアが言った。
「誰にでも若気の至りはあるものです。彼らが今どこで何をしているのかわかりませんが……もしかしたら罪を償いに近くまできているかも」
須坂のビームが砂埃を巻き上げアッぽりけをえぐる。焼け焦げたぽりけの悪臭と熱気。和田の「横からだ」の指示で門屋はアッぽりけの右に回り込む。その時、一本のぽりけが須坂の足に巻きついた。ダンプカーに叩きつけられる須坂、肋骨の折れる音。「嘘だろ」と和田。ボランティアが諌めるように言った。
「不良たちの行為は許されるものではないかも知れない。しかし謝罪のタイミングを逸しているだけの可能性もある。だからこそ……まずは話を聞いてやるのが大人の役目だと思います」
門屋を見失ったアッぽりけがぐるぐると蠢く。和田の合図で死角から奇襲をかける。うじゃうじゃのぽりけをかき分け背面に回り、異常に危険で有害なことだけは伝わってくる物体の鋭利な部分をグッと突き刺す。このダボが、喰らいやがれ! 飛び散るぽりけ、咆哮、悲鳴。イチかバチか、ぽりけのビラビラに異常に危険で有害なことだけは伝わってくる物体の一番厄介な部分をグイッと捻じ込む。すると次の瞬間、ぽりけの隙間のフワフワがブシャァッとあれしたかと思うと目の前でパカッとなりさっきまでゴワゴワだった門屋を容赦なくモチモチにした。しかしブチョブチョをビャッとやるより一瞬早く、異常に危険で有害なことだけは伝わってくる物体の最高の部分がアッぽりけのあそこに到達する。いける! いやいけるか? いけいけいけいけいけ、おっ、いった。ヨシ! しかしその刹那、アッぽりけのメインの部分がテッテレーと分離した。かと思うと空高く飛び上がり雲の隙間に消えていく。残された大量のぽりけとサブの部分が音を立てて崩れ落ちた。
「クソが! 逃したか」
脇腹をおさえ須坂が上空を目で追う。和田はメガホンを叩きつけ、門屋はその場にへたり込む。全身がぽりけ塗れだった。
「なんだありゃ……さすがにデカ過ぎるだろ」
「ああ、どれだけひでえアッぽりけだったかよくわかったぜ……ところで和田、オフクロさんと連絡ついたかよ」
「勿論まだだ」
「…………」
「…………」
「まあ死んじゃいねえだろ。それより小便したくねえか?」
その時、誰かが叫んだ。
「アッぽりけの腹から何か出てる!」
それは人間の、恐らく五十歳から六十歳くらいの女の手だった。和田がため息をつきながら近づき、グッと掴んで引っ張った。引き上げられたのは和田にそっくりな中年女性だった。
「母ちゃん、そんげとこいたがあ? そりゃ電波なんて通じねえこてや」
全身にぽりけを纏った母親がぺろっと舌を出しグーで自分の頭をコツンとやった。笑顔の和田が錐揉み状に回転しながら母親に抱きつくと、二人はその勢いでアハハと踊りながら遠くに消えた。アハハ、ワーイ、アハハハ。門屋と須坂は「歳を考えなさいよ」「まあでもよかったな」と言いながら煙草に火をつけた。
「なんか疲れちまったな、アバラもいてえし」
「校舎の復旧はあとはあの連中に任せるか」
「ここまで仕上がってりゃ余裕だろ。帰るか、東京に」
すると母親をお姫様だっこで抱えた和田が戻ってきた。
「おめえら……実家には寄らなくていいのか?」
ああ、と須坂。
「うちはみんな無事だって早めにわかってたからよ。町の様子も見れたしわざわざ帰る必要ねえかなと思ってるよ」
門屋も同じだった。
「もう疲れちまったし、どうせまたいつでもこれるようになるだろ」
和田が母親に頬ずりしながら諭すように言った。
「余計なお世話かも知れねえけどよ……親には会えるうちに会っといた方がいいぞ。またいつ何が起こるかわからねえんだからよ」
「はあ? なんだそりゃ」と門屋。
「それも未来予知かよ」と須坂。
「だから予知とはちげーんだって……まあ、お前らがそうするならそれでいいけどよ」
息子の腕からおろされた母親は「もう行ってしまうのね」と表情で語った。母親としばらく見つめ合うと、和田はフッと息を吐いて門屋と須坂を見やった。
「何だよ、何かあるなら言えよ」
「そのうちわかるよ、おめえらにも」

三人がレンタカーに乗り込む。また常磐道を逆から行かないと東京には戻れない。陽は沈みかけている。もう二十四時間以上も眠っていない。ボランティアメンバーと役所の職員が三人に手を振っていた。
「じゃあな、ザコども」
「あとは任せたぜ」
「おれたちがいない間、この町を頼む」
時速五十キロ。子供の頃から何往復したかわからない県道を練馬ナンバーの車で行く。まずはまともに営業しているガソリンスタンドを探さなければ。傷ついた町に黄昏がおり始める。窓を全開にして仲間たちと吸う煙草の味。最後の一本だったことに火をつけてから気がついた。
かつてパチンコ店だった空地に仮設住宅が建ち始めている。震災がそうだったように、失われたものは二度と取り戻せないまま、復興は力強く容赦なく町を継ぎ接ぎのように新しく変えていく。薄暗くなった空に分厚い雲がたれこめる。今にも何かを降らせてきそうな重く湿った黒雲が。
「車を止めろ」
和田が言った。

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