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下剋上アイドル南野陽子!スケバン刑事をきっかけに群雄割拠を制したキャリアの軌跡

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1987年01月10日 南野陽子のシングル「楽園のDoor」発売日

出遅れたスタート、CBS・ソニーと講談社の“2番手”


1985年、女性アイドルシーンは活気に満ちていた。大手プロダクション、大手レコード会社が強力な新人を続々と送り出したからである。そんな中、南野陽子も大手のCBS・ソニーから売り出されたが、同社のイチオシ新人は『ミス・セブンティーンコンテスト』グランプリ受賞者の松本典子だった。また、講談社のアイドル雑誌でもプッシュされていたものの、そこでも『ミスマガジン』の斉藤由貴に次ぐ2番手扱いだった。

斉藤由貴の「卒業」リリースから4ヶ月後、南野陽子のデビュー曲「恥ずかしすぎて」は18歳の誕生日である1985年6月23日に発売されている。オリコン週間シングルチャートの最高位は57位(以下、順位はいずれも同チャートを掲載)。「卒業」は6位、同月デビューの中山美穂「『C』」は12位。後発のおニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」は5位。これら同期アイドルのデビュー曲と比較しても、初動の弱さは明らかだった。

デビュー曲「恥ずかしすぎて」の歌詞は、控えめな主人公が、好きな相手に思いを告げるべきか葛藤する内容だ。1980年代流の性的暗喩も内包された中山美穂「『C』」や、あっけらかんとセックスにアプローチしたおニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」とは対極にあった。

「スケバン刑事Ⅱ 少女鉄仮面伝説」の挿入歌「さよならのめまい」


6月に歌手デビューした南野陽子だが、8月に舞台出演があり、セカンドシングルの発売は遅れた。同期のアイドルたちが続々とブレイクしていくなか、歌手としては足踏みする状態だったが、そこから一発逆転のチャンスをつかむ。

1985年11月スタートのテレビドラマ『スケバン刑事Ⅱ 少女鉄仮面伝説』(フジテレビ系)の主演に起用されたのである。19時台に放送されたこのドラマは13〜14%の視聴率をキープ(ビデオリサーチ調べ・関東地区。以下同)。視聴者は、 “幼い頃から鉄仮面を被らされて育った” という強烈な設定にツッコミを入れながらも、いつしか南野陽子の存在そのものに惹かれていった。

同月には、ドラマの挿入歌であるセカンドシングル「さよならのめまい」をリリース。チャートでは最高15位。健闘といえるが、主題歌である「なぜ?の嵐」(8位)には遠く及ばなかった。「なぜ?の嵐」は、共演者の吉沢秋絵が “吉沢秋絵 with おニャン子クラブ” 名義でリリースしたデビュー曲である。そう、その時点ではおニャン子の方が上にいたと言っていいだろう。

お嬢様イメージとはギャップのある、ユニークなキャラクター


南野陽子は兵庫県出身で “神戸にある私立中高一貫・女子校出身” というプロフィールを持つことから、当時のアイドル雑誌のライターたちに、“神戸のお嬢様” とステレオタイプにラベリングされていた(実際は伊丹市出身)。ところが、10月から放送されたラジオ番組『南野陽子 落書きだらけのクロッキーブック』(ニッポン放送)では、そのお嬢様イメージとはギャップのある、ユニークなキャラクターが知られていく。

1986年3月発売のサードシングル「悲しみモニュメント」は、『スケバン刑事Ⅱ』の新主題歌となって初登場6位。ついにトップ10入りである。この曲でフジテレビ系歌番組『夜のヒットスタジオ』への初出演も果たし、注目度の上昇は明らかだった。4月にリリースされたファーストアルバム『ジェラート』は週間アルバムチャートで2位を獲得した。次のシングルは7月発売。『スケバン刑事Ⅱ』の新しい主題歌「風のマドリガル」だ。最高位は5位。まだ “頂点” には達していない。

ドラマ『スケバン刑事Ⅱ』で使用された楽曲は「さよならのめまい」「悲しみモニュメント」「風のマドリガル」の3曲。これらはいずれもマイナー調のミディアムテンポで、哀愁を感じさせながらも、前向きな希望が感じられる歌詞が特徴の “スケバン刑事サウンド” と呼ぶにふさわしい楽曲だ。当時の南野陽子は、ロングスカートを好み、ヘアスタイルはロングのストレートで前髪をアレンジ。曲のイメージに合わせ歌唱時は笑わなかった。

『スケバン刑事Ⅱ』の最終回は、全42話の最高視聴率となる19.1%を記録。人気はもはや潜在的なものではなくなった。ここで確認しておきたいのは、南野陽子は同期デビューの斉藤由貴、中山美穂と同じく、俳優業と歌手業の割合を “50/50” にしたアイドルだということである。テレビドラマや映画を重視し、早朝、夕方、深夜などに放送されるバラエティ番組にはあまり出ない。アイドル水泳大会にも出ない。このスタイルである。南野陽子は『スケバン刑事Ⅱ』終了直前から、山田太一脚本のテレビドラマ『時にはいっしょに』(フジテレビ系)へ出演。俳優としてのアイデンティティを示し続けていた。

オリコン1位を獲得した「楽園のDoor」


1986年10月、これまでの “スケバン刑事サウンド” とは異なる雰囲気のシングル「接近(アプローチ)」をリリース。こちらは最高位6位。南野陽子の絶頂期は、まだ少し先だ。また、この秋から始まったラジオ番組『南野陽子 ナンノこれしきっ!』(ニッポン放送)は、同時代のアイドル番組のなかでも突出した人気を獲得する。

そして、1987年1月に発売されたシングル「楽園のDoor」でいよいよ初のオリコン1位を獲得した。これは主演映画『スケバン刑事』の主題歌であり、“スケバン刑事サウンド” の集大成といえるものだった。デビューから1年半、南野陽子の黄金時代はここからだ。

同年4月に発売された「話しかけたかった」は、初のメジャーコード主体の楽曲であるとともに、シングルA面では初めて笑顔で歌う曲だった。同時期にはドラマ『アリエスの乙女たち』(フジテレビ系)に主演し、放送は半年間にも及んだ。続く7月発売の「パンドラの恋人」はメロウなサマーソング。9月発売の「秋のIndication」は、本人出演の江崎グリコ・セシルチョコレートのCMソングだった。

「パンドラの恋人」と「秋のIndication」はミディアムテンポのマイナー曲で、まさに南野陽子の世界だ。この頃になると、南野陽子はCBS・ソニーが大プッシュするアイドルになっていた。12月には、同名主演映画の主題歌「はいからさんが通る」をリリース。この曲も含め1987年にリリースされた5枚のシングルはすべて初登場1位を記録した。

CMソング「吐息でネット」も1位


1988年、南野陽子はNHK大河ドラマ『武田信玄』にレギュラー出演。トップアイドルにして大河ドラマのヒロインを務めるという、前人未到の領域に達した。2月にリリースされたカネボウ化粧品のCMソング「吐息でネット」も1位。4月にはフジテレビ系ドラマ『熱っぽいの!』が放送開始。

6月発売のシングル「あなたを愛したい」は、8月公開の主演映画『菩提樹 リンデンバウム』の主題歌だ。これも1位。さらに、続く10月のシングル「秋からも、そばにいて」は江崎グリコのCM曲で、マイナーコードのミディアムテンポ。また1位。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

1989年1月、激動の昭和が終わる。平成に入った2月のシングル「涙はどこへいったの」はオリコン2位。南野陽子自身が作詞を手掛けた6月発売の「トラブル・メーカー / 瞳のなかの未来」も2位。しかし、続く11月発売の「フィルムの向こう側」は1位に返り咲き。まだまだ人気は根強かった。10月から始まったフジテレビ系ドラマ『あいつがトラブル』の役作りのため、髪型をベリーショートにしていた時期だ。

アイドルとしての卒業制作となった「夏のおバカさん」


その後、南野陽子は所属プロダクションを離れ、個人事務所を設立する。興味深いのは、そこで南野陽子が大胆な転換を試みたことだ。半年のブランクをおき、20歳になった1990年6月から、作家陣や楽曲スタイルを大きく変えたシングルを3ヶ月連続でリリースするという、攻めの姿勢に打って出たのだ。

6月の「ダブルゲーム」では、荒木とよひさ、三木たかしを起用しテレサ・テン風の曲に挑戦。最高位3位。7月の「へんなの‼」は、当時の米米CLUBを思わせる曲調、ファンでさえ後退りするようなエキセントリックすぎる衣装、そしてヘンテコな歌唱が強烈だった。この問題作は前衛的すぎてトップ10入りを逃している。さらに8月の「耳をすましてごらん」は一転してしっとりした昭和歌謡のカバー。持ち直して7位。南野陽子が、何かをぶち壊そうとしていたのは明らかだった。

同年11月リリースの「KISSしてロンリネス」はCMタイアップ曲で9位。最後のトップ10入り楽曲となる。翌1991年6月、初めて自ら作曲した「夏のおバカさん」をリリースするが、これがアイドルとしての卒業制作となった。 南野陽子はそこから一気に舵を切り、演技者として生きていくことになる。

デビュー40周年記念コンサートツアーを開催


1992年には、1月公開の映画『寒椿』で初めてのヌードシーンに挑戦。さらに11月公開の『私を抱いてそしてキスして』では、HIVに感染した女性を演じた。ここでは赤井英和との激しいベッドシーンがあった。1980年代のメジャーアイドルで、ここまで思い切った方向転換をした例はほかにない。以後、30年以上、南野陽子は、歌手でもタレントでもなく、俳優であり続けた。主演に固執せず、テレビ、映画、舞台でキャリアを重ねてきた。

ただし、今年2025年は特別な年であり、歌手・南野陽子が本格的に戻ってくる。7月より南野陽子デビュー40周年記念コンサートツアー『YOKO MINAMINO 40th Anniversary 〜ALL singles〜 “楽園のDoor”』を開催するのだ。あの曲も、あの曲も、あの曲も全部歌うのである。補足すると、各公演とも6月上旬の時点でチケットは入手困難の模様だ。

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