“副業”フリマアプリで1,800万円稼ぐ女優。極貧家庭で“雑草を食べて育つも「貧乏は財産」
スタジオパーソルが運営するYouTubeでは、さまざまなはたらく人の履歴書から「私らしいはたらき方」について深掘りインタビューを行っています。
女優・タレントとして活動する緑川静香さんは、2012年にテレビで極貧だった過去を告白し、大きな話題となりました。その後、バラエティ番組『それって!?実際どうなの課』で不用品をフリマアプリで売る検証企画を担当し、総額1,800万円を達成したことでも一躍注目を集めます。
今では「貧乏は財産」と笑顔で語る緑川さん。壮絶な過去から現在の活躍まで、彼女の歩みにははたらくことや生きることへの大切なヒントが詰まっていました。
※本記事はYouTube『スタジオパーソル』の動画を一部抜粋・編集してお届けします
物置に住み、雑草を食べ、砂のケーキで誕生日。母に支えられた「極貧時代」
今では華やかな芸能界で女優やタレントとして活躍する緑川さんですが、過去の貧乏体験は想像を絶するものでした。埼玉県上尾市で生まれ育った緑川さんは、5歳のときに父親が突然いなくなり、社宅だった家を失います。母親が住む場所として見つけてきたのは、とある家のたった3畳の物置でした。そこで高校3年生まで過ごしたと言います。
「泥壁だったので穴がたくさん空いていて、虫もたくさん入ってきました。部屋の四隅には草花が生えていて、2月にはふきのとうが自然に生えてきて、それを食べて過ごしていました」
さらにお風呂は家の持ち主の許可制で、湯船に浸かれるのは月に1度だけ。食べることさえ簡単ではありませんでした。
「食べるものがなかったので、公園の雑草やスーパーの試食でしのいでいました。母から教わったのは、葉っぱを日光で殺菌してから食べること。葉っぱを採っては太陽にかざして、採ってはかざして。そうやって食べていました」(※野草摂取などは真似をしないでください)
家族の誰かが誕生日を迎えるときには、公園の砂場でホールケーキを作り、枝をロウソクに見立てて、石を苺のように飾りつけていたそうです。
「『ハッピーバースデー』を歌ったあと、普通はロウソクを吹き消しますよね。でも私たち家族の砂のケーキには光が灯るロウソクはないので、代わりに誕生日の人が一気に壊すのがお決まりでした」
笑いながら当時を振り返る緑川さん。そんな極貧の日々を前向きに捉えられたのも、すべて母親のおかげだったと話します。
「母はどんなときもポジティブなんです。雑草を食べるときも『ごめんね、雑草で……』ではなくて、『よーし、今日も雑草を食べに行くよー!』と楽しそうに振舞ってくれていて。だから、悲観的にならずに済んだんだと思います」
公園で入浴代わりの水浴び、筆箱はお菓子の箱。それでも、まだ幼かった緑川さんにとって、母と過ごすその毎日は決してつらい思い出ではありませんでした。
しかし、芸能界に入ってからは長い間、この体験を隠し続けることになります。
「お菓子に釣られて」始まった芸能界。貧乏だとバレるのが怖かった
高校時代、竹下通りを歩くだけでスカウトが絶えないほど注目される存在だった緑川さんでしたが、その多くがグラビアモデルへの誘いだったため、「なんか違う」と断り続けていました。
そんな中、地元・上尾で雑誌の編集者からモデルのスカウトを受けます。何度断ってもあきらめない編集者。緑川さんの心を動かしたのは意外な一言でした。
「最後の最後に、撮影現場にはお菓子がたくさんあると聞いて。その言葉に釣られたんです。『行きます!』と即答しました」
当時16歳だった緑川さんが芸能界へと足を踏み入れたのは、思いがけない一言からだったのです。
「初めてモデルとして私が雑誌に掲載された日、母親は2冊も購入していました。2冊で1,000円。雑草を食べ、試食でしのいでいた私たち家族にとって、それは贅沢と呼べるほどの金額でした。それを惜しげもなく雑誌に使ってくれたことからも、心の底から私の活躍を喜んでくれているのを感じました。『こういう世界なら、母に頑張っている姿を見せられるし、喜んでもらえる。恩返しになるかもしれない』と思って、より気合が入りました」
今でこそ過去を明るく語る緑川さんですが、当時は貧乏であることを周囲に知られないように必死だったと言います。2011年に日本テレビのイメージガール「日テレジェニック」に選ばれた際も、ほかの出演者が毎週違う水着を着てくる中、緑川さんはずっと同じ水着を着続けていました。水着は自腹で購入する必要があったものの、お金がなくて買えなかったのです。
「MCの有吉弘行さんに『お前、また同じ水着だな!』と突っ込まれて、『気に入っているんです』と笑いながら答えていましたが、本当はお金がなくて買えませんでした」
化粧品も買えないため、撮影がある日は店頭の試供品コーナーでメイクを済ませてから現場に向かっていたそうです。
そんなある日、とある番組でお酒を飲む企画があり、アルコールの勢いもあって、ついに自分の過去を初めてテレビで語ることになります。しかし、話した後の緑川さんを襲ったのは深い後悔でした。
「正直、話したあとはすごく後悔しました。『嫌われてしまうかもしれない』『ファンが離れてしまうかもしれない』と……」
隠し続けてきた過去を公にしてしまった緑川さん。この告白が、彼女の人生を大きく変えることになるのです。
貧乏という「隠したい過去」が、自分らしさの証明になる
極貧体験をテレビで初告白した結果、緑川さんを待っていたのは予想もしなかった反響でした。ブログには「すごく感動しました」「私も同じような生活をしていました」「貧乏界の星になってください」といった温かいコメントが殺到。「嫌われてしまうかも」と恐れていた緑川さんの心境は一変します。
「一気に気持ちが楽になったんです。ずっと背負っていたものが、スッと肩から降りた。『このままでいいんだ』『自分を隠さなくていいんだ』と思えました」
この告白をきっかけに、緑川さんのキャリアは大きく好転します。2019年にスタートした『それって!?実際どうなの課』で、フリマアプリ検証企画を担当し、総売上は約1,800万円に。ここからさらに緑川さんの存在が世に広く知られることになります。
貧乏だったからこそ、ものを大切にする精神が人一倍強く、「不用品も活用しなければもったいない」という想いもあって、2016年ごろからフリマアプリを始めていたのだとか。
「人の力になれるということがすごくうれしくて。『人のために頑張るのが好きなんだな』って気付きました」
充実した日々を送る中、緑川さんは18歳のときに書いた作文を見つけます。そこには、こんな言葉が綴られていました。
これからはもっともっと頑張って、お金だけじゃなくて、言葉として、形として(お母さんに)恩返しがしたい。そのためにも、もちろん自分のためにも、夢を叶えます。想いは、願えば必ず叶う。そう思うので走り続けます。嫌なことも、楽しいことも、どんどんかかってこい。飛び越えてやるんだ。この18年間、悔いなし!
この作文を読み返した今、緑川さんは涙を浮かべながらこう振り返ります。
「すごく夢と希望に溢れていて、エネルギーを感じました。『あ、今もこのときの気持ちと変わっていないな』と思ったんですよね。この作文を書いたのが18歳。そして今、ちょうどその倍の年齢の36歳。当時の自分に『ちゃんと走り続けているよ』と言ってあげたいなって」
隠し続けていた貧乏という過去が、実は誰かの心を動かし、自分自身の可能性を広げる力になっていた。恥ずかしいと思っていた経験こそが、緑川さんを今の場所に導いてくれたのです。
今がしんどいすべての人へ「そのままで大丈夫」
公園で雑草を食べ、砂でケーキを作って誕生日を祝っていた緑川さん。その日々を振り返って、今、彼女はこう語ります。
「貧乏って財産だなと思えるようになりました。小さいことでも感動できるんです。ご飯を食べられただけでもう100点。さらに美味しかったら110点、120点、130点みたいな」
とはいえ、「仕事がしんどい」と感じることもあると話します。
「しんどいと思うことはもちろんあります。でも、『しんどい』で終わらせないようにしています。何か一つでも面白いことを見つけようと意識しているし、『しんどかったけどやってよかった』と思える未来を自分でつくればいい。すべてに意味があると思っています」
最後に、ご自身の経緯を踏まえて、はたらくモヤモヤを抱える若者に向けたメッセージを伺いました。
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「私もモヤモヤはたくさんありますよ。でも、毎日がつらくなってしまうので、『面白い瞬間』を見つけて、その光をたどっていましたね。心が動いたらやってみて、動かなかったら別のことをやればいい。そうやって、心のアンテナを敏感にしていくことが、きっとはたらく楽しさにつながると思います」
物置で虫と一緒に暮らし、雑草で空腹を満たしていた日々から学んだ、人生を豊かにする究極の知恵。それは、どんな状況でも「それで良かった」と思える未来を自分でつくり続けることでした。
(「スタジオパーソル」編集部/文:間宮まさかず 編集:いしかわゆき、おのまり)