【7/14再放送】なまっているのは標準語のほうだった?野路毅彦アナ(SBS静岡放送)が企画したラジオ番組に込めた思いとは?
ギャラクシー賞大賞を受賞『方言アクセントエンターテインメント ~なまってんのは、東京の方かもしんねーんだかんな~』
「こんなにすごい人が静岡に?」。きっかけは20年前の新聞記事
優れたテレビやラジオ番組、CMなどを顕彰する第61回ギャラクシー賞(放送批評懇談会主催)の贈賞式がこのほど都内で行われ、SBS静岡放送が2023年5月に放送したラジオ番組「方言アクセントエンターテインメント~なまってんのは、東京の方かもしんねーんだかんな~」がラジオ部門で大賞を受賞しました。
同番組の企画・取材、番組進行役を担当したSBS静岡放送の野路毅彦アナウンサーに企画した経緯や作品に込めた思いなどを聞きました。
――静岡県の一部や北関東などで使われる、決まったアクセントがない方言(無型アクセント)が実は日本語の原型で、「標準語」とされる東京言葉の方が実はなまっているのでは?という説をさまざまな角度から考察する内容でした。企画の経緯をお聞かせください。
野路 きっかけは20年ほど前にさかのぼります。当時、静岡新聞の連載「静岡発 がんこ者列伝」に、在野の方言学者として湖西市(旧新居町)の山口幸洋さん(故人)が取り上げられていました。
日本語のアクセントについて定説をひっくり返す新説を唱え、学界の権威である金田一春彦さん(故人)に真っ向から挑む姿に「こんなにすごい人が静岡にいるんだ」と驚いたんです。
そしてこの説は、より多くの人が知るべきだと思いました。すぐにテレビで番組化する企画書を書きましたが、当時は「内容がテレビ向きではない」とボツになりました。
コンプレックスがある人を救いたかった
――それがなぜ、再び陽の目を浴びてラジオで番組化されたのですか。
野路 2022年春の人事異動でアナウンス部長から専門職アナウンサー局次長(当時)に立場が変わり、席を移ることになりました。移る席がそれまでより小スペースだったため、書類などを断捨離することになって…。そこで20年前に書いた企画書が机の中から出てきたんです。
――捨てずに保管していたということは、いつか形にしたいと思っていたんですね。
野路 心のどこかで未練があったんでしょう。山口さんの論文のコピーなどを改めて読んで、込められた気迫や自信に突き動かされましたね。
この仮説が本当なら、今まで方言や言葉のアクセントに大きなコンプレックスを抱えている人や、それが理由で肩身が狭かった人、そういった経験がある人を大げさに言えば救えるんじゃないかと思いました。
ラジオ番組なら世に出せるかもしれないと思ってラジオ局に企画を持ちかけました。
専門的な話を笑いに包んだエンターテインメント
――「SBSラジオギャラリー」はこれまでも数々の賞を受賞している1時間の枠です。番組づくりは野路さんにとってもプレッシャーが大きかったのでは?
野路 ラジオ番組の制作経験がなかったので、数々の受賞経験がある名伯楽の菊池勝プロデューサ―に伴走してもらいました。
最初に「野路さん、1時間番組を作るには、まず3時間分の台本を書いてください」と言われました(笑)。さすがに3時間には届きませんでしたがアイデアを書いて提出したら、「だんだん面白くなってきましたね」と。菊池さんも手応えを感じてくれたんだと思います。
――番組を聞くまで「無型アクセント」がどんなものなのか具体的にイメージができませんでした。
野路 芸能人だと手品師のマギー司郎さん(茨城県出身)や人気漫才コンビ・U字工事の2人(ともに栃木県出身)など、音の高低が一本調子な話し方が無型アクセントです。
例えば「はし」と言う場合、渡る橋、食事に使う箸、場所を示す端を私たちはアクセントで使い分けますが、北関東や静岡の大井川上流域にもある無型アクセント地域では、決まったアクセントが無いんです。
――無型アクセントの特徴はお笑い芸人の赤プルさんの出演でよく分かりました。何とも言えない方言の温かみに思わず笑みがこぼれました。
野路 審査員の講評に「専門的な話を笑いに包んで届けてくれました」と書いてありました。私は番組を分かりやすく、興味深いものにしたいと思っていましたが「笑いに包む」ことは考えませんでした。それをやってくれたのは赤プルさんなので、彼女の存在はMVP級だったと思います。
静岡弁は無意識に使っている人が多い?
――番組冒頭ではAIアナウンサーが地名のアクセントを間違える例や、ジュビロ磐田の「いわた」をJリーグ発足時、県外の局が尻上がりで発音していたことが紹介されました。県内や栃木県での方言インタビューも聴き応えがあって、アクセントの世界にぐいぐい引き込まれました。
野路 静岡市での街頭インタビューでは「からし」「食べる」などの単語が入った文章を読んでいただくと、多くの人に静岡弁のアクセントが出てきました。
――「納豆食べる? からし混ぜる?」と読んでもらっていた場面ですね。
野路 「いま静岡弁のアクセントが出ましたよ!」と指摘しても、「え?どこですか?」と分からない人が結構いました。本人は静岡弁を普段話しませんと言っていてもアクセントは染み付いているんです。
実は方言を話していることに本人が気付く面白い場面でしたが、やや罪深いことをしてしまいましたね。方言って、気付くと無くそうとするものなのでね…。「気付いても方言を直さないで使い続けて」とこの場をもってお願いしたいですね。
――方言インタビューへの抵抗感は皆さん無かったんですか?
野路 ほとんどの人が好意的に協力してくれました。顔が出ないラジオ番組だからだったのかもしれませんね。言葉で問い掛けるのではなくスケッチブックに文字を書き「これを読んでください」と依頼したのも答えやすかったんだと思います。
街頭で3、40人に聞いて「これはカットするのが惜しいなぁ」と思う街録も数多くありました。
――取材ではどんな点で苦労しましたか?
野路 苦労という苦労ではありませんが、他県の無型アクセント地域の人に取材を重ねる中、静岡県内でも無型アクセントが悩みだった人の話を紹介する必要がありました。
大井川上流域出身の人を訪ねたのですが、当初は拒否反応が少なからずありましたね。 最終的には70代の女性が静岡市の高校に進学した時にアクセントをクラスで笑われ、友人に教えてもらいながら懸命に直した経験を語ってくれました。
――他にも無型アクセントを話す大物政治家の国会質問やジャパネットたかたの高田明さんへのインタビュー、昭和のお笑い芸人「横山ホットブラザーズ」の持ちネタを解説に取り入れるなど、音を聞き分けて楽しむコンテンツが満載でしたね。
野路 タイトルにもあるように、最終的には学術的になりすぎないエンターテインメントに仕上がったと思います。横山ホットブラザーズの部分は、大阪のラジオ局に音源を問い合わせたのですが無いことが分かり、仕方なく私が真似しました。
自宅の電子ピアノで百何十通りの音の中から、のこぎりのビョンビョン音に近いものを選んで「お〜ま〜え〜は、あ〜ほ〜か〜」を妻のいない日に一人で録音しました(笑)。
突き動かされた、方言学者・山口幸洋さんの存在
――番組後半では湖西市の方言学者・山口幸洋さんに改めて光を当てています。身内ならではの視点で語った息子さんへの取材では、調査研究に心血を注いだ姿が浮き彫りになりました。
野路 山口さんは家業の燃料店を経営しながら在野の方言研究者として全国各地を取材し、静岡大学で教鞭も執った人物です。
日本語研究の権威である金田一さんをはじめとした主流の考え方では、「無型アクセント」は各地方でアクセントが単純な方向へと変化し、最終的に無くなった「なれの果て」だとされています。
それに対して「地方を軽く見ているのではないか」という反発が山口さんにはありました。
著書や論文を読むと、山口さんの気迫に圧倒されるところが数多くあります。山口さんの強い信念と気迫に突き動かされ、20年経って番組化できたと思っています。
――SBS静岡放送の番組がギャラクシー賞で大賞を受賞するのは初めてです。
野路 まさか大賞をいただけるとは思っていなかったので、発表された時はとてもうれしかったです。先に「日本民間放送連盟賞」でも優秀賞を受賞しましたが、ギャラクシー賞の反響の大きさに驚いています。
7月14日(日)午後2時から再放送
――7月14日(日)午後2時からSBSラジオで再放送が決まりました。リスナーに改めてメッセージをお願いします。
野路 私がこの番組を形にしなければと強く思ったのは、なまりで苦しんだ人を救えるんじゃないかと思ったことが理由です。実際、これまで2回放送し「もっと早くこの説の存在を知りたかった」と言われました。
国語辞典の巻末に「アクセント分布図」が掲載されているのですが栃木県の人から、「私の住む地域は『崩壊アクセント』と書いてあり、自分が話す言葉は崩壊しているのかと悲しかった覚えがあるのですが、心が晴れました」と言われました。その時は番組を作って本当に良かったなと思いました。
ひどいケースでは、なまりがあるだけでその人の能力が疑われるなど、実際にそういう話もあります。こういった経験がある人や今悩んでいる人にぜひ聞いてほしいですし、大げさに言うと「聞けば人生が変わる番組ですよ」と伝えたいです。
(聞き手・アットエス編集部 柏木かほる)