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松田聖子はぶりっ子じゃない!デビュー45周年を迎えたアイドルの魅力はいったい何なのか?

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1980年04月01日 松田聖子のデビューシングル「裸足の季節」発売日

“天性の可愛さを秘めた” 本物のアイドル松田聖子


松田聖子は、ぶりっ子じゃない。

―― こう書くと、えっ⁉ と思う人が少なからずいるだろう。いやいや、良くも悪くも、デビュー当初の聖子サンと言えば、“ぶりっ子” が代名詞だったでしょう、と。まぁ、当時の聖子ファンの9割は男性で、世の女性たちから少なからず “やっかみ” で見られていたのは確かである。初期の『ザ・ベストテン』(TBS系)の中継でも、ファンが集まるシチュエーションだと、毎回、野郎どもに取り囲まれるのがお約束だった。聖子サンに女性ファンが増え始めるのは、3年目の「赤いスイートピー」以降である。

それでもなお、初期の聖子サンはぶりっ子―― かわいこぶりっ子じゃなかったのである。どういうことか。種明かしをすると、彼女は “天性の可愛さを秘めた”(← ココ大事)、本物のアイドルだったのである。

デビュー当時は、あまり期待されていなかった?


 エクボの秘密あげたいわ
 もぎたての青い風
 頬を染めて今走り出す私
 二人ひとつのシルエット

ひとつの伝説がある。デビュー曲「裸足の季節」(作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎)がタイアップで起用された資生堂のCM『エクボ洗顔フォーム』のキャンペーンで、サイン会が催された際、観客の多くはCMに出演しているモデルの山田由起子サン(彼女も同CMがモデルとしてのデビュー作だった!)に長蛇の列を作り、聖子サンの前は閑古鳥が鳴いていたという。

まぁ、真偽のほどは定かじゃないけど、まだデビュー間もない聖子サンは知名度も低く、分からぬ話ではない。もっと言えば、モデルの山田由起子サンはくっきり二重の正統派美少女。一方、当時の聖子サンは奥二重で、どちらかと言えば美人というより、ファニーフェイス系。今じゃ信じられないが、デビュー当時の彼女はビジュアル面で、あまり期待されていなかったという。

実際、聖子サンを発掘したCBS・ソニーの若松宗雄サンが、デビューの前年、彼女を預かってくれるよう、馴染みのプロダクションに声をかけるも、写真を見るや、一重まぶた(実際は奥二重)やO脚などを理由に、ことごとく断られたという逸話がある。やっと預かってくれたサンミュージックも、二番手扱いの “秋デビュー” の予定が組まれるなど、必ずしも期待値は高くなかった。

しかし、天性の歌好きが手伝い、サンミュージックの他の歌手のプロモーションに同伴して、歌を披露するようになると、方々から “彼女、いいんじゃないの?” と声をかけられるようになる。そして、事務所内でも段々と彼女を推す声が広まり、ドラマ『おだいじに』(日本テレビ系)に “松田聖子” の役名でレギュラー出演を叶えたり、NHK『レッツゴーヤング』の新年度(1980年4月~)にサンデーズのメンバーとしてトシちゃん(田原俊彦)と共に選ばれたり、デビューへ向けての下地が着々と整えられた。その一環で、前述のデビュー曲のCMタイアップも決まった。

“飾らない魅力” に溢れていた歌声


1980年4月1日、歌手・松田聖子は「裸足の季節」でデビューする。その前月の3月7日に大スター山口百恵が三浦友和との婚約を発表し、同時に芸能界からの引退を公表したタイミングもあり、デビューから27日後に出演した『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)では、司会の井上順サンから “郵便受け百恵ちゃん” と紹介され、一拍後に “ポスト百恵” と気づき、破顔して笑い転げた。世に言う、聖子の “ガハハ笑い” である。

―― そう、これだ。彼女は写真ではそこまで分からないが、映像だとその魅力が数倍、いや数十倍にも増す。スラリとした体躯(意外と身長は160㎝と高い)に華奢な肩幅、長い首、やや短めのレイヤーカット(後の聖子ちゃんカットである)にキュッと締まったウエスト―― このフォルムに白いドレスがよく似合う。何よりその歌声だ。少女特有の太く、愁いを帯びたアルトヴォイスに、伸びやかな余韻、サビのハイトーンの破壊力は、一瞬でお茶の間の胸を掴んだ。

 白いヨットの影 渚をすべり
 入江に近づくの 手を振るあなた
 夢の中のこととわかっていても
 思い切りこたえる私です

そう、18歳の少女の歌声は、プロデューサーの若松宗雄サンの見立てた通り、“飾らない魅力” に溢れていた。お分かりだろうか。そこには微塵も “ぶりっ子” たる装飾はなかったのである。奥二重のまぶた、ガハハ笑い、太く、伸びやかなアルトヴォイス―― 彼女は、躊躇なくありのままの自分を魅せ、結果的にお茶の間の胸を掴んだ。

見事な “聖子ちゃんカット” で登場した「ザ・ベストテン」


松田聖子サンが『ザ・ベストテン』に初めて登場するのは、デビューから3ヶ月後の1980年7月3日である。デビュー曲「裸足の季節」が11位に入り、“今週のスポットライト” に呼ばれる。この頃になると “夜ヒット” の時は “おにぎり” みたいだった髪型が、見事な “聖子ちゃんカット” へと進化。彼女は人より髪が伸びるのが早いのだ。ちなみに、同番組で一度、MCの久米宏サンからその話題を振られ、自ら “私、髪の毛が伸びるのが早いんですよ。髪の毛が伸びるのが早いのはスケベなんですって” と予想外の返しをして、ガハハ笑いを披露している。この飾らなさが聖子サンの魅力である。

そして―― 同年8月14日、ベストテンに初ランクイン(8位)したセカンドシングル「青い珊瑚礁」で、伝説の羽田空港の回を迎える。その日、札幌で仕事を終えた聖子サンが全日空機で羽田空港に降り立ち、タラップを降りて、スポット(駐機場)でヘッドホンをして歌った、あの歴史的シーンだ。髪は風でやや乱れ、普段着の淡いブルーのワンピースで歌う彼女は、透き通るようなナチュラルメイクで、実に伸びやかな歌声を披露した。それは、新たなヒロインの誕生を予感させた。

山口百恵と史上初の2ショット


同年9月25日、この日の『ザ・ベストテン』は、新旧歌姫の最初で最後の共演が実現する。10位に山口百恵サンの「さよならの向こう側」がランクインして、片や聖子サンが「青い珊瑚礁」で2週連続1位。史上初の2ショットである。百恵サンは肩パッドの入ったパープルのドレスが風格を帯び、片や聖子サンは華奢な肩幅に白いドレスがよく似合った。久米サンから “(聖子サンへ)お言葉をお願いしたいんですけど…” と振られた百恵サンは「おめでとうございます。これからも頑張ってください」と祝福し、久米サンから “どうでした?” と聞かれた聖子サンは「もう、嬉しいです」と少女のように答えた。

この回、実は個人的に気に入ってるシーンがある。1位が発表され、ミラーゲートから登場した聖子サンに、黒柳徹子サンが前週の初の1位でお母様から贈られたケーキのエピソードを披露した後に、久米サンが別の話題に移ろうとした際、聖子サン、横にいる長身の久米サンをスッと見上げたんですね。この時、まるで少女のように、ジッと久米サンの目を見つめる聖子サンの可愛いこと!

僕は、かねがね “本当に可愛い女の子は横で話してる男性の顔をじっと見つめる” 法則を唱えていて(本当にそうなんです!)、この時の聖子サンがまさにソレ。で、なんと―― 見られてる久米サン自身が、話してる途中で思わず “可愛い~!” と吐露しちゃったのだ。そう、それは僕の唱える法則が証明された瞬間でもあった。

繰り返す。松田聖子はぶりっ子じゃない。

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