大分県立芸術文化短期大学のそばに佇む前方後円墳【大臣塚古墳】
現在日本には、本州から九州にかけておよそ16万基の土を高く盛った古代の墓・古墳があるとされています。
その内、日本列島の代表的な古墳形式として知られる「前方後円墳」はおよそ4700基。
今回は、大分県立芸術文化短期大学の東側にひっそりと佇む前方後円墳『大臣(だいじん)塚古墳』をご紹介します。
アクセス
大分駅からは車でおよそ15分。「元町石仏」付近にあります。
国道10号線を進み、フォルクスワーゲン大分中央店向かいの「古国府堂前(どうのまえ)の1踏切」を渡ると元町石仏参拝者用の駐車場があります。
『大臣塚古墳』に専用駐車場はありませんので車はこちらに停めてください。
元町石仏参拝者用の駐車場からは看板に従って歩きます。
途中でY字路が出てくるので左上の道を進んでください。
坂を登ると、塀に看板がありますので『大臣塚古墳』の方向へ進んでください。
こちらのこんもりと木が生い茂った場所が『大臣塚古墳』です。
『大臣塚』という名称は、古くから地元に伝わる百合若大臣の伝説によってつけられたといわれています。
『大臣塚古墳』
『大臣塚古墳』は大分県立芸術文化短期大学の東側と隣接した場所にあります。
この日は声楽科の方々の美声が響いていました。
古墳の入り口には看板が建てられており、前方後円墳の大きさが記されています。
看板によると、前方後円墳は全長約50m、後円部は直径約35m。
崖際にあるため保存状況はあまりよくないということですが、後円部は完全に残っています。
高さが約13mということなので、涼しげな木陰の階段を登るとすぐに古墳の上に辿り着きます。
歴史
墳丘の形から5世紀代の古墳と考えられている『大臣塚古墳』の上には石碑があります。
府内城主の略伝を始め、神社・ 仏閣・名所旧跡等の由緒を記述した「雉城雑誌」(ちじょうざっし)によると、寛永13年(1636年)に府内藩主・日根野吉明(ひねのよしあきら)が前年の大風で壊れた大臣塚を復旧したと記されており、その際に発掘調査が行われたといわれています。
その発掘調査の際、後円部の中央にあった石棺の中から人骨や刀、甲冑などが見つかったといわれており、これらの出土品は再び埋められ、その塚の上に吉明の命による碑が今も建っていると伝えられています。
『大臣塚古墳』には、看板が建っていた入り口の他に方一つ階段があります。
こちらからも『大臣塚古墳』に上がることができますので、利用してみてくださいね。
大分県立芸術文化短期大学のそばにひっそりと佇む前方後円墳『大臣塚古墳』。
みなさんも機会がありましたら是非足を運んでみてください。