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『枕草子』はマナー集? 山口仲美さんが読む、清少納言『枕草子』#1【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

NHK出版デジタルマガジン

『枕草子』はマナー集? 山口仲美さんが読む、清少納言『枕草子』#1【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

山口仲美さんによる、清少納言『枕草子』読み解き

どうして、春は「あけぼの」?

平安中期、清少納言が中宮定子のもとに出仕した7年間の宮中経験や、その間に感じた物事を綴った日本最古のエッセイ集『枕草子』。

『NHK「100分de名著」ブックス 清少納言 枕草子』では、山口仲美さんが、当時、初めて散文に取り入れられた風景描写、男女間のエチケットなど、清少納言独自の観察力・批判力に注目して解説していきます。

今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第1回/全6回)

描写力抜群のマナー集(はじめに)

『枕草子』は、さまざまな魅力に満ち溢れています。とりわけ魅せられるのは、作者清少納言の描写力です。たとえば、冒頭の「春はあけぼの」の章段。あまりにも有名な文章なので、諳(そら)んじている方も多いでしょう。

 春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。

 簡潔だけれど、余韻がある。洗練された格調の高い文章です。目の前に、春の夜明けの空がだんだん白み、やがて山ぎわがほんのり明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいている、そんな光景が眼前に広がります。清少納言は絵画的描写力にたけているのです。彼女の絵画的描写力は、自然描写のみならず、人物描写にまで及びます。

 二つ三つばかりなるちごの、いそぎて這ひ来る道に、いと小さき塵のありけるを、目ざとに見つけて、いとをかしげなる指(および)にとらへて、大人ごとに見せたる、いとうつくし。

(二、三歳くらいの幼児が急いで這い這いしてくる途中、ごく小さいゴミが落ちているのを目ざとく見つけて、とても愛らしげな指で拾って、大人などに見せているのは、すごく可愛い。)

 きれいに掃いたはずの床に、小さなゴミが落ちている。幼児はそれを目ざとく見つけて、それをあどけない仕草で大人に見せる。抱きしめたいほど愛らしい幼児の動作が、目に浮かびます。

 こうした絵画的描写力に支えられた『枕草子』は、どこをとっても面白いのですが、とりわけ、人間をターゲットにした章段では、彼女の鋭い批判力と相まって、優れた人間観察が提示されています。たとえば、

 にくきもの いそぐ事あるをりに来て、長言(ながごと)するまらうど。あなづりやすき人ならば、「後に」とてもやりつべけれど、心はづかしき人、いとにくくむつかし。

 (癪に障るもの。急いでいる時にやって来て、長話をするお客。軽く扱ってもいい人なら「あとで」などと言って帰してしまえようが、気のおける立派な人の時は、そうもできず、ひどく憎らしく困ってしまう。)

 いますよね、こういうお客。出かけようと思っている矢先に玄関に現れ、こちらの都合も考えないで長々と話す。こちらが落ち着かない様子を見せても、ちっとも察してくれないでどんと腰を据えて話している。清少納言は、こういう日常での出来事をとらえて、「許せないわよね、こういう人」という説得力のある例を次々に提示しています。「寒い時に一人で暖房器具を独占している人」「周りの人間に知られたくない逢瀬なのに、目立つ音を立てたり、いびきをかいたりしてしまう男」などと。

 列挙された事柄を裏返してみると、人として、あるいは男と女の間で、してはならないエチケットが説かれているとみることができます。急用がある人のところで長居をしてはいけないのです。寒い時には皆で分かち合って暖をとるべきなのです。人目を忍ぶ逢引では、目立つ音は厳禁です。同様に、「はづかしきもの」「にげなきもの(似つかわしくないもの)」といったマイナス面に焦点を合わせた章段で列挙された事柄は、すべて人として守るべきマナーや男と女のエチケットを説いていると見ることができてしまう。

 逆に「心にくきもの(奥ゆかしいもの)」「めでたきもの」など褒め称えるべきプラス事項を列挙してある章段では、こうすると好感度が上がるというマナー集として読むことができる。鋭い批判力から生まれた『枕草子』は、古今東西に通用する礼儀作法の書としても読めるのです。こうした観点から、『枕草子』をとりあげたのが、拙著『すらすら読める枕草子』(講談社)です。

 本書では、拙著を踏まえつつ、「魅力的な男とは? 女とは?」「マナーのない人、ある人」などの話題を中心に据え、『枕草子』の魅力を存分に味わってみたいと思います。随所で、優れた描写力の生み出す絵画的な場面があなたを魅了するでしょう。

著者

山口仲美(やまぐち・なかみ)
文学博士。埼玉大学名誉教授。専攻は、日本語学(日本語史、擬声語研究)。1977年、日本古典文学会賞受賞。1987年、金田一京助博士記念賞受賞。2007年、日本エッセイスト・クラブ賞受賞。2008年、紫綬褒章受章。著書に『すらすら読める枕草子』(講談社)、『ちんちん千鳥のなく声は』(講談社学術文庫)、『日本語の歴史』『日本語の古典』(ともに岩波新書)などがある。
※全て刊行時の情報です。

■『NHK100分de名著ブックス 清少納言 枕草子』(山口仲美著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しています。
*本書における『枕草子』の本文は、『新編日本古典文学全集18 枕草子』(小学館)によっています。ただし、その他の諸本を参考にして手を加えたところがあります。また、読みやすさを考慮して、適宜漢字表記に改めたり、句読点を加えたりしてあります。
*本文の漢字には、現代仮名づかいで振り仮名をつけました。
*現代語訳は、すべて著者・山口仲美の責任にかかるものです。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2014年10月に放送された「枕草子」のテキストを底本として一部加筆・修正し、新たにブックス特別章「女の才能、花開く── 清少納言と紫式部と和泉式部」を収載したものです。

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