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アウグスティヌスの『告白』が名著とされるゆえんとは。『哲学史入門Ⅰ 古代ギリシアからルネサンスまで』

NHK出版デジタルマガジン

アウグスティヌスの『告白』が名著とされるゆえんとは。『哲学史入門Ⅰ 古代ギリシアからルネサンスまで』

 人文ライターの斎藤哲也さんが、第一人者たちへの「聞き書き」で主要哲学者の思想の核心に迫るシリーズ『哲学史入門』。発売即増刷が決定した第一巻『哲学史入門Ⅰ 古代ギリシアからルネサンスまで』より、中世倫理学、スコラ哲学が専門の山内志朗さんによる「哲学と神学はいかに結びついたか 中世哲学の世界」を抜粋して公開します。

『哲学史入門Ⅰ 古代ギリシアからルネサンスまで』2024年4月10日発売 定価1100円(税込)

アウグスティヌスの『告白』

山内 中世スコラ哲学というと、教科書的には「ギリシア哲学とキリスト教思想を混ぜたもの」という感じでざっくりと説明されていますよね。でもこの二つは、本来はなかなかうまく混ざり合わないんです。水と油みたいなもので、どれだけ混ぜても一緒にならない。たとえばアリストテレスの神と、キリスト教の神はまったく違いますよね。

斎藤 アリストテレスの神は「不動の動者」ですよね。自分は動かず、世界にまったく関与しない。一方、キリスト教の神は万物の創造主です。この点だけでも相容れないように見えます。

山内 神の恩寵や聖霊も、アリストテレスの哲学とくっつけることなんてできるはずないですよね。キリスト教の三位一体論は、逆立ちしたってアリストテレスの実体論とは結びつきません。

斎藤 そもそも父・子・聖霊は「三位一体」だというところで、多くの人は思考がストップしてしまいます。そこで、まずはアリストテレスが西洋に入ってくる前のキリスト教思想の話からお聞かせください。高校倫理の教科書では、キリスト教がローマ帝国で公認され、国教になる四世紀から、教父によって神学の基礎が整えられていったと説明されます。その筆頭にあがるのが、アウグスティヌスです。山内さんはアウグスティヌスの思想をどのように捉えていますか。

山内 アウグスティヌスはパウロと似てるようなところがあって「現場の人」なんですよね。若い頃に遊びまくって、放蕩の限りを尽くした。『告白』という著作では、その頃の乱れた生活を一人称で記しています。この「告白 confessio」も実はキリスト教のキーワードです。

 告白とは「聖なるものを示す」ことです。要するに「こんなに罪深い私であっても、神は救ってくれる」というかたちで、神の愛を示す行為が告白なんですね。告白する人間がいかに愚かで惨めでばかげたことをしても、神は赦してくれる。だから告白する内容が酷ければ酷いほど、神の愛を強く顕現させることになるわけです。

斎藤 なるほど。それでアウグスティヌスは、乱れた生活をあけすけに書いているわけですね。

アウレリウス・アウグスティヌス (354–430) サンドロ・ボッティチェッリ作、1480年、 オンニサンティ教会

山内 そうなんです。彼は、自分のどうしようもないことを延々と語ることによって、神の栄光を表現するという方法を発明した。『告白』が名著とされるゆえんです。卑しさこそが崇高さを表せるわけです。私はこれまで五、六回読みましたけど、涙なしには読めません(笑)。

 アウグスティヌスは若い頃、ある女性と同棲していてアデオダトゥスという子どもができる。だけど母親の命令で、子どもだけを引き取って、一五年の間、内縁関係にあったその女性とは無理やり別れさせられるんですね。

 アウグスティヌスは、善を求めつつも自由を失って善を探すことができない、そのような人間の奴隷状態を強調するんです。人間は生まれながらにして原罪を背負っているんだと。だから生まれて三日以内に幼児洗礼をしなきゃいけない、という教義になるわけですね。

ペラギウスの反論

山内 ところがこの教義に反論が出てくるんです。洗礼はけがれを払い除けるような行為ですが、赤ちゃんはけがれてないし、欲望も持ってない。だったら大人になってキリスト教の信仰を正しく理解した後に洗礼すれば十分じゃないかと。こういう考え方をする人たちは、近世になると「再洗礼派」とか「アナバプテスト派」と呼ばれるようになります。そしてアウグスティヌスのライバル的存在だった神学者ペラギウス(354-420頃)もそうでした。

斎藤 アウグスティヌスと論争して異端とされてしまった人ですね。

山内 ペラギウスの思想は哲学的で、ストア派の思想と近い。人間はたしかに罪深いかもしれないけど、アダムの罪を遺伝的に受け継いだわけじゃない。人間は自由意志を持っているから、自分で善を探せるんだ、というのがペラギウスの主張です。

斎藤 筋が通っているように聞こえます。

山内 合理的ですよね。ペラギウスからすると、アウグスティヌスは人間をあまりに低く見積もり、罪深いものと捉えているわけです。

カトリックと東方正教会の人間観

山内 ちょっと寄り道すると、11世紀にローマ・カトリックから分離した東方正教会の人間観もまた違うんですね。アウグスティヌス的な原罪の捉え方に異を唱える点ではペラギウスと一緒ですけど、東方正教会では、人間は神からもらった栄光を失っていないと考えます。

 アウグスティヌスを重視するのがカトリックですが、その立場では「私が悪うございました、心を入れ替えます」という告白が重要になります。でも東方正教会では、人間は本来、神の栄光を持っているので、その光を大きくして神に近づきましょうという思想になるんですね。それを「神化(テオーシス)」と言います。

斎藤 西と東で人間観がまったく違うんですね。

山内 完全に違うんですよ。

 東方正教会は、『新約聖書』にある「タボル山での変容」というエピソードをとても大事にしています。聖書には山の名前は出てきませんが、正教会ではタボル山と伝わっているんです。イエスと弟子がこの山に登ったとき、「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」(「マタイによる福音書」一七章一節、新共同訳)。

 さらにその後には、光り輝く雲が弟子たちを包んだという記述があるんですよ。東方正教会はここを重視して、人間である弟子たちも、イエスの光を受けて輝いたと解釈します。

斎藤 人間も神に近づけるというふうに捉えるわけですね。

山内 そうです。ただ、ここでまたアウグスティヌスに戻ると、彼が人間の罪深さを強調したのは、人間がどうしようもない生き物だと言いたいからじゃないんですね。どうしようもない生き物だけど、人間はそのことを理解して、自己意識を変化させることができる。だからこそ神に救済されるんだというロジックです。

 このことを理解するうえで、時代はちょっと飛びますが、中世末期を扱ったホイジンガ(1872-1945)の『中世の秋』が参考になります。この本ではジャン・ジェルソン(1363-1429)という神学者が大きく取り上げられています。このジャン・ジェルソンはパリ大学総長を務め、教会大分裂を終わらせた大神学者ですが、アウグスティヌスからとても強い影響を受け、彼は人間の情念や欲望を高く評価しているんですね。

 ジェルソンに言わせると、犬や猫など、動物の欲望はけがれていないけれど、人間の欲望はけがれているといいます。でもけがれているから、改悛の余地がある。良きものに変えることができると言うんです。

 一方で動物は、神から与えられた自然本性をそのまま生きているから、欲望のあり方も変えようがないわけです。そうすると、神は動物を救済する必要がないんですね。罪を持っていることが、人間が救済されるための条件になるわけです。こういう考え方の根っこにあるのが、アウグスティヌス的な人間観なんですね。

三位一体と人間の心

斎藤 そういう人間観と、アウグスティヌスの三位一体論はどういう関係にあるんでしょうか。

山内 アウグスティヌスの三位一体論は「心理学的な三位一体」と評されます。大前提としてアウグスティヌスは、「父と子と聖霊が同格とか、イエスが100%神で100%人間とか、わかりっこない」という立場なんですよね。哲学のような理屈で理解できるはずないと。

斎藤 そうですよねぇ(笑)。

山内 でも、わからないままで済ますわけにはいかないので、自分の心のなかを振り返ろうと考えます。そうすると人間の心のなかには、記憶・知性・意志の三つがある。彼はこの三つを三位一体に対応させる。記憶が父、知性が子(イエス)、意志が聖霊です。

 こうすれば、人間の心を見つめることで、神様の三位一体もそういうふうなものかなって少しは近づけるじゃないですか。もちろん、それで完全にわかったと思ってはいけないと、アウグスティヌスは聖書の一節を何度も繰り返し引用して言います。

 わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。

「コリントの信徒への手紙一」一三章一二節、『新約聖書』新共同訳

 「そのとき」というのは、神が天上において人間の魂に姿を現すときのことです。でも俗世にいる私たちには、自分という鏡におぼろげに映る神しか見えません。要するに、自分の心のなかに神様がうっすらといる感じです。これを三位一体を理解する手掛かりにしてみましょう、というわけです。

 アウグスティヌスの『三位一体論』という著作を読むと、そのことがよくわかります。この作品は全一五巻からなっていて、第一巻は「三位一体わかる?」「わからん!」といった理解を絶したところから始まる。第八巻まで来て神学的な高みから降りてきて、人間的領域に入り込み、ようやく「心のなかをみなさん見てみましょう」となるんです。

斎藤 中盤でようやく内面を見つめるんですね。

山内 そう。第八巻で鏡を見て、なんとなくわかったという安心感があると、その先の高みに至る登り道に進む気力が湧いてきます。ただ最後の第一五巻くらいになると、そうとうな険路なんですけどね(笑)。

 こういう認識のあり方もギリシア哲学と対照的です。アリストテレスの哲学だと、遠くの世界まではっきり見えているんですよ。でもアウグスティヌス的な世界は靄もやがかかっていて、ぼんやりとしか見えない。だから「あっちに行くと宝物があるだろう」というふうに自分の意志でどんどん進んでいけないんですね。心のなかを見つめ、神を愛し信じないといけないわけです。

山内志朗
1957年生まれ。慶應義塾大学名誉教授。専門は中世倫理哲学、スコラ哲学など。著書に『普遍論争』(平凡社)、『中世哲学入門』(ちくま新書)など。

斎藤哲也(聞き手)
1971年生まれ。人文ライター。東京大学文学部哲学科卒業。著書に『試験に出る哲学』シリーズ(NHK出版新書)、監修に『哲学用語図鑑』(プレジデント社)など。

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