#4『星の王子さま』が語る、幸せの鍵とは――水本弘文さんが読む、サン=テグジュペリ『星の王子さま』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
水本弘文さんによる、サン=テグジュペリ『星の王子さま』の読み解き
大事なことは、目には見えない――。
砂漠に不時着した飛行士が、遠い星から来た不思議な少年と出会う物語『星の王子さま』。子どもの心の大切さを説く哲学的童話として、今も多くの人を魅了し続けています。
『NHK「100分de名著」ブックス サン=テグジュペリ 星の王子さま』では、著者が物語にこめた「目には見えない幸せの世界」について、水元弘文さんが多角的な視点から紐解きます。
今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第4回/全4回)
第3回はこちら
箱のなかのヒツジを外へ
さて、王子の頼みに応じてパイロットは三匹のヒツジを描きます。けれども、王子はどのヒツジにも不満顔です。ヒツジが幼い「子ども心」だとすれば、三匹のヒツジはそれぞれパイロットの子ども心の現状を示して、「病気のヒツジ」のように弱々しく、「角ヒツジ」のように気が立ってとげとげしく、「年寄りヒツジ」のようにもう先がないということです。
同情できます。パイロットは周囲の無理解に疲れ切って、自分の本心は表に出さず、これまでおとなの仮面をつけてやってきたのです。その仮面がいつの間にか肉に食い込んで、子どもの心は息ができなくなっていたのでしょう。
パイロットは最後に箱だけの絵を描き、欲しいヒツジはそのなかにいると言って王子に渡します。ところが、王子の表情は一度に明るくなります。
「そうだよ、こういうのが、ぼく欲しかったんだ!」(2章)
箱のなかのヒツジが子ども心だとすれば、それを見えなくしている箱はパイロットのおとなの部分です。箱はヒツジを閉じこめているようにも、堅固な壁でヒツジを守っているようにも見えます。どちらとも取れるし、実際両方でしょう。守るために作った覆いが、結果的にはヒツジを外に出られなくしています。ただ、箱の側面に開けられた空気穴が救いです。ヒツジを死なせるわけにはいかない、という思いがパイロットにあるということなのですから。いずれにしろこの箱の絵は、自分の素直な気持ちを表に出せなくなった、おとなになりかかった今のパイロットの痛々しい姿そのままで、パイロットは自分では気づかずに自画像を渡したようなものです。
ところが、王子はそれを喜んで受け取りました。この絵のどこが気に入ったのでしょう。もう一度見直してみます。といっても箱があるだけでヒツジの姿は見えません。逆に言えば、その見えないところにこのヒツジの特性があるということになります。王子が求めるヒツジは見えない。形がない。だとすると、このヒツジは必ずしもヒツジの姿はしていないのかもしれません。そんなヒツジの候補ならひとつあります。パイロットが王子に示した少しばかりの優しさです。
パイロットは生きるか死ぬかの大変な状況にいます。それなのに、王子の突飛(とっぴ)な頼みを聞き入れてヒツジの絵を描きました。王子の気に入るようにと、何度も描き直しまでしました。箱の絵のときには幾分投げやりになっていますが、それを差し引いてもパイロットはよくやったと言うべきでしょう。それに「ざっと描いた」という箱の絵も、ヒツジが窒息しないように抜かりなく空気穴を開ける配慮をしています。ヒツジへのいたわりは、ヒツジを大事と思っている王子の気持ちへのいたわりでもあるのです。
つまり、パイロットは自分の心配は後回しにして、王子のことを考えてあげたのでした。王子は自分の頼みに応えようとパイロットが不器用でもあれこれ努力してくれた、その優しさを箱のなかのヒツジとして受けとめたのでしょう。そんな小さな優しさでも、王子には大きな慰めだったのです。嬉しかったのです。つまりそれが王子が本当に欲しかったヒツジだったということです。王子の心も乾いていたのかもしれません。
というのも、傷心の旅に出てからパイロットに出会うまでの王子には、知的な印象はあっても、心優しいという印象が奇妙に少ないのです。星巡りで「変な」おとなたちばかりに出会って、彼らを批判的に見ていたからでしょうか。キツネと友だちにはなるのですが、それもどこかキツネの片思いという感じで、王子は意外に冷静です。キツネとの交流によって生きるたくましさにつながる知恵は学びますが、王子の心がそれでみずみずしく潤ったり、優しい気持ちが湧き出て、生き生きと弾んでいるようには見えません。賢さと強さを身につけるなかで、王子もいつしか心が干からびてきていたのではないでしょうか。「ヒツジを描いてよ!」という王子の頼みは、「ぼくに優しくして! そして、ぼくを優しい気持ちにさせて!」という悲痛な叫びだったように思えます。
ところで、パイロットがこのとき見せた優しさはかつて王子がバラに示した優しさ、つまり王子の子ども心と変わるところがありません。自分のことは脇に置いて相手のことを思う気持ちです。その意味ではパイロットは自分のなかの一番大事な部分、子ども心を久しぶりに表に出したことになります。しかも、それが王子に喜びをもって受け入れられました。これはパイロットの子ども心にとっては初めての嬉しい経験です。王子の笑顔はおとなの仮面の下で窒息(ちっそく)しかけていたパイロットの子ども心に、再生への息を吹き込んだと言えます。
個人的な真実の大切さ
子ども心を大切にするというのは、自分の素直な心を生きるということです。
たとえば4章ですが、パイロットは王子が本当に存在したことを次のような言い方で証明しようとします。笑ってしまうほど、思い切り主観的な論理です。
王子さまがいたという証拠ですか、それは、王子さまがとてもすてきだった、笑っていた、ヒツジを欲しがっていたということです。(4章)
これでは他の人々を納得させるのは難しいでしょう。ですがパイロットはこれはこれでいい、というより、むしろこちらの方が客観的な証明よりはましだと主張しているように見えます。納得できなくもありません。なぜなら、こうした主観的な形でしか表現できない個人的な真実というものがあり、しかも、そうした真実こそが私たちにとって本当に大切なものである場合が多いからです。
たとえば食べ物の好き嫌いがそうですし、恋愛の相手とかになると特にそうでしょう。みんなが素敵という人でも自分がそう感じなければ「他の人が素敵と言っている人」でしかなく、逆に周りの評価は大したことはないのに、自分の心がその人を前にしてときめくのであれば、その人は自分にとっては素敵な人です。
「自分にとって」という条件つきだと、何だかつまらないことのようですが、逆で、この条件のなかで受けとめられたものこそが、実感という形で私たちの日々に充実をもたらします。他人の実感などではありません。
その意味では、パイロットにとって王子が「とてもすてきだった」一番の証拠は、パイロット自身が王子を本当に「すてきだ」と思ったことです。そして王子がいた一番の証拠としては、王子によって揺れ動いた自分の心と、自分が受けとめた王子の姿と声があれば十分で、それ以上の証拠は必要もないし、あるはずもないということです。主観的と軽視されがちな個人的な真実の意味が実はとても大きいということ、それをパイロットは言おうとしているのです。
どうやら分かってきました。『星の王子さま』が語る「子ども心」の回復、そして私たちの幸せの鍵というのは、まずこの実感、そしてその実感をもとにした個人的な真実を大切にすることにあるようです。当然と言えば当然かもしれません。幸せは実感の世界ですから。
とは言っても、幼い思い込みの世界にとどまれというのではないでしょう。客観的にはどうなのか、他の人にはどうなのか、それはもちろん分かっていなければならないのですが、ただそこを終点にはしないということです。そこからさらに一歩を進め、「自分にとっては」どうなのかと問いなおし、自分一人の遠近法で見えてくる自分仕様の世界、個人的な世界を大事にしようということです。
たとえば1+1=2と決まっていても、もし好きな人と相思相愛になれたとしたらその嬉しさのなかで1+1=∞(無限大)にもなるのです。逆にその人が自分から去れば、2-1=1ではなく2-1=0、さらには2-1=-∞(マイナス無限大)ともなります。試験では使えなくても、自分の真実はそこにあります。
目新しいことではありません。私たちは誰もが大なり小なりこの自分だけの価値観や好みで構成される世界を抱えていて、客観世界とのバランスをとりながらも、この個人世界を大事にし、豊かなものに育てようとしています。『星の王子さま』はそれでこそ人間の生活だと言っているのです。
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著者
水本弘文(みずもと・ひろふみ)
北九州市立大学名誉教授。九州大学文学部、同大学院修士課程修了。九州大学文学部仏語・仏文学科助手を経て、1975年から北九州市立大学文学部に勤務。専門はフランス文学。2011年に退職、現在は同大学名誉教授。著書に『「星の王子さま」の見えない世界』(大学教育出版)がある。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
■「100分de名著ブックス サン=テグジュペリ星の王子さま」(水本弘文著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。
*本書における『星の王子さま』他からの引用は、特記ない限り著者が翻訳しました。サン=テグジュペリ画の挿絵は『星の王子さま』(岩波書店)より引用しました。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2012年12月に放送された「サン=テグジュペリ 星の王子さま」のテキストを底本として一部加筆修正し、新たにブックス特別章「味わいながら目指すいい人生」、読書案内、年譜などを収載したものです。