#7 「現実の戦争」と「絶対的戦争」──西谷修さんと読む、カイヨワ『戦争論』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
西谷修さんによるカイヨワ『戦争論』読み解き #7
ひとはなぜ戦争をするのか? 戦闘と殺戮の「本質」を解き明かす――。
『遊びと人間』で知られる哲学者・社会学者ロジェ・カイヨワ(1913-1978)が1950~60年代の冷戦時代に綴った『戦争論』。彼は本書で、戦争の歴史に新たな光をあて、これまでなぜ人類が戦争を避けることができなかったかを徹底的に分析しました。
『NHK「100分de名著」ブックス ロジェ・カイヨワ 戦争論』では、民族間、宗教間の対立が激化し、最新兵器によるテロや紛争が絶えない現代に浮かび上がる『戦争論』の価値を、西谷修さんと明らかにしていきます。
2025年7月から全国の書店とNHK出版ECサイトで開催中の「100分de名著」フェアを記念して、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします。(第7回/全7回)
第1章──近代的戦争の誕生 より
クラウゼヴィッツの『戦争論』──戦争の「純粋な形態」
ちょうどその頃、近代の戦争とはどのようなものかを考察したのが、クラウゼヴィッツの『戦争論』です。これは一八一八~三〇年頃に書かれ、彼の死後、一八三二年に刊行されました。クラウゼヴィッツは、フランス革命後の対仏同盟戦争と、その後のナポレオン戦争に、プロイセン軍の兵士(のちに指揮官)として自身が従軍した経験を素材にして、「国民の事業」となった戦争について、その質と実際とを本格的に論じました。「ナポレオンこのかた、戦争はまずフランスの側において、ついでフランスに対抗する同盟軍の側で、再び国民の本分となり、これまでとはまったく異なる性質を帯びるにいたった、── と言うよりは、むしろ戦争の本性、即ち戦争の絶対的形態に著しく近づいた、と言うほうがいっそう適切である」(篠田英雄訳、岩波文庫、下巻)
ここで「戦争の本性」とか「戦争の絶対的形態」といっているのは、「敵の完全な打倒」という理念のことです。しかしクラウゼヴィッツはそのような「絶対的戦争」もしくは「純粋戦争」というものを、あくまでも「現実の戦争」とは区別して考えました。「戦争は政治的手段とは異なる手段をもって継続される政治にほかならない」(同、上巻)というのが、クラウゼヴィッツの有名な定式です。戦争は基本的に政治の延長上にあり、その目的も政治的なものである。それが「現実の戦争」だというのです。国家間の政治が外交でうまくいかないときに、非常手段に訴えて「我が方の意志を強要する」ことが戦争であると定義して、そのための合理的な条件や方法を考えたのです。
ところが、いかに政治に従属するとはいっても、戦争には戦争独自の内在的な論理がある、とクラウゼヴィッツは考えました。戦争行為は政治的な配慮を超えて、双方の威力の「競り上げ」に走るという傾向を持っているというのです。すなわち、敵の強力発揮に対して、自国はそれ以上の破壊力を示す、敵がそれを上回れば、自国もまたさらに倍加した破壊力を求める、という抗争そのものの内にある競り上げの論理です。
もし戦争が政治的目的の枠を超えて自己目的化し、その「本性」つまりは「純粋な形態」をさらけ出したら、破壊的な威力だけが闇雲にエスカレートして留まるところを知らない、というわけです。
カイヨワは、クラウゼヴィッツの論をめぐって、以下のように書いています。
いまや戦争はある原理によって動かされるようになってしまったのであって、その原理は何か無制限なものを含んでおり、そのために戦争の大きさと激しさは、休むことなく無限に増大してゆくしかない、というのである。法のうえでの平等は、徴兵により召集された兵士に対して、士気を与える結果となった。こうしてはじめて兵士たちは、祖国の呼びかけに答えて祖国防衛のためあるいは他国攻撃のために戦うのは、とりもなおさず自分自身のものを守り、自分自身のものを増大させるために戦うことなのだ、という考えをもつようになった。(略)クラウゼヴィッツにとって、一九世紀に起こった大きな変化とはこのようなものであった。〈いまから少し前、戦争がそれまであった慣習的な枠を破りはじめた時以来〉国家の運命を方向づけてきたのはこの変化であった。(略)戦争がその本性にもどった、といってもよい。戦争はその変態的形態を脱して、純粋な形態に到達したのである。
(第二部・第一章)
ここでカイヨワは、十九世紀初めの「国民戦争」の始まりの中で、クラウゼヴィッツが危機感をもってその予兆を見た、戦争の「純粋な形態」に着目しています。クラウゼヴィッツはあくまでも、「現実の戦争」は政治的理性によってコントロールされるべき手段であるとみなしていました。しかし実際にカイヨワの時代が経験したのは、まさに政治を呑み込んでしまう戦争の「純粋な形態」の現れであり、苛烈な「絶対的戦争」だったのです。
本書『NHK「100分de名著」ブックス ロジェ・カイヨワ 戦争論』では、第2章以降「戦争の新たな次元「全体戦争」…」、「内的体験としての戦争」、「戦争への傾きとストッパー、特別章「文明的戦争からサバイバーの共生世界へ」という構成で、「戦争」について考えていきます。
著者
西谷修(にしたに・おさむ)
1950年愛知県生まれ。東京大学法学部卒業、東京都立大学フランス文学科修士課程修了。哲学者。明治学院大学教授、東京外国語大学大学院教授、立教大学大学院特任教授を歴任、東京外国語大学名誉教授。フランス文学・思想の研究をベースに、世界史や戦争、メディア、人間の生死などの問題を広く論じる。著書に『不死のワンダーランド』(青土社)、『戦争論』(講談社学術文庫)、『夜の鼓動にふれる── 戦争論講義』(ちくま学芸文庫)、『世界史の臨界』(岩波書店)、『戦争とは何だろうか』(ちくまプリマー新書)、『私たちはどんな世界を生きているか』(講談社現代新書)などが、訳書にジョルジュ・バタイユ『非-知──閉じざる思考』(平凡社ライブラリー)、エマニュエル・レヴィナス『実存から実存者へ』(ちくま学芸文庫)、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ『自発的隷従論』(監修、ちくま学芸文庫)などがある。
※刊行時の情報です。
■『NHK「100分de名著」ブックス ロジェ・カイヨワ 戦争論 文明という果てしない暴力』より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛している場合があります。
※本書は、「NHK100分de名著」において、2019年8月に放送された「ロジェ・カイヨワ 戦争論」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「文明的戦争からサバイバーの共生世界へ──西洋的原理からの脱却」、読書案内などを収載したものです。
※本書における『戦争論』からの引用部分については、秋枝茂夫訳(法政大学出版局)によります。