【大相撲】横綱在位最長&最短ランキング スピード出世の大の里に期待される息の長い活躍
史上最長84場所も横綱に君臨した白鵬
大相撲5月場所で大関・大の里が2場所連続4回目の優勝を果たし、横綱昇進を確実にした。場所後に正式に決まれば、輪島の21場所を大幅に更新する史上最速の所要13場所で第75代横綱となる。
稀勢の里以来、久々の日本人横綱が誕生すれば、これから角界も盛り上がるだろう。6月で25歳になるニュースターに期待されるのは息の長い活躍だ。
これまで横綱を最も長く務めたのは白鵬。約14年間、計84場所で在位期間中に42回も優勝した。ランキングは以下の通りとなっている。
「柏鵬時代」「輪湖時代」築いた名横綱も
白鵬に次いで長いのが63場所の北の湖。さらに59場所の千代の富士、58場所の大鵬と大横綱が続く。
5位は49場所の貴乃花、6位は48場所の曙と同時期にしのぎを削ったライバルが名を連ねる。貴乃花は横綱昇進がなかなか認められず大関までに7回優勝しており、横綱昇進後の優勝は15回だった。
7位タイで47場所の柏戸と輪島が並んでいる。柏戸は大鵬と「柏鵬時代」、輪島は北の湖と「輪湖時代」を築いた。
9位には42場所の朝青龍、10位は41場所の鶴竜とモンゴル勢が続く。鶴竜は横綱になってからケガに苦しみ、幕内通算231休(645勝394敗)のうち、横綱で227休(266勝117敗)と休場が多く、最後は5場所連続休場して復帰できないまま引退した。
琴櫻、三重ノ海、双羽黒は最短8場所
一方、横綱になるほどの実力がありながら“短命”に終わった力士もいる。最短ランキングは以下の通り。
最短の8場所で終わった横綱は琴櫻、三重ノ海、双羽黒の3人。琴櫻は現役の大関・琴櫻の祖父で、32歳だった1973年1月場所で連覇を果たして横綱に昇進したが、加齢による衰えや持病の左ひざ痛もあって1974年7月場所初日の3日前に引退を表明した。
三重ノ海は大関時代に関脇陥落しながら10勝を挙げて1場所で大関に復帰し、31歳だった1979年7月場所後に横綱昇進。同年11月場所から連覇を果たしたが、2場所連続休場後の1980年11月場所で初日から2連敗し、引退を決めた。
双羽黒は1986年7月場所千秋楽で優勝決定戦の末、千代の富士に敗れて優勝を逃した。優勝未経験のため反対する声もあったが、将来性を期待されて22歳11カ月の若さで横綱に昇進。本名の北尾から双羽黒に改名したが、1987年12月にトラブルから部屋を脱走し、結局、一度も優勝できないまま廃業となった。
大の里の師匠、稀勢の里は12場所で引退
4位は9場所の旭富士。連続優勝で平成初の横綱昇進となったが、長年苦しめられた膵臓炎などもあり、1992年1月場所で曙、安芸ノ島、若花田に3連敗して引退を決めた。
5位は10場所の玉の海。1970年1月場所の優勝決定戦で敗れた北の富士とともに同時昇進し、横綱になってから短期間で4回優勝したが、1971年10月に病気のため急死した。巡業先で突然の訃報を聞いたライバル北の富士は、人目もはばからず号泣したという。「北玉時代」は突然の幕切れとなった。
弟・貴乃花とともに空前の相撲ブームを牽引した若乃花も横綱としては短命だった。1998年5月場所で連覇を果たして史上初の兄弟横綱が誕生したが、横綱昇進後は賜杯を抱くことができず、在位11場所で引退した。
大の里の師匠、稀勢の里(現二所ノ関親方)も横綱としては12場所しか土俵に上がれなかった。以下、8位が15場所の隆の里、9位が16場所の朝潮、10位が17場所の栃ノ海となっている。
大の里は異例のスピード出世で角界の頂点に立つ。名実ともに今後の大相撲を引っ張っていく存在だ。強くて息の長い活躍で大横綱として君臨することが期待される。
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記事:SPAIA編集部