夏休みに人口が"倍増"する軽井沢。地元の人×移住者×別荘族が交わる町。「壁はあってもいい」
日本有数の歴史ある高級リゾート地として知られる長野県軽井沢町。ここ数年は、ビジネスパーソンのワーケーション拠点や子育て世帯の移住先としても脚光を浴びています。先祖代々長く住んできた人、移住者、別荘を持つ富裕層など、温度感が異なる人たちが入り交じる"特殊"な町が抱える課題と可能性とは。
東京から新幹線で約1時間で行ける避暑地、長野県軽井沢町。外資系企業でマーケティングの仕事をしている山本裕介さんは2020年、東京から軽井沢町に移住してきました。
「2019年に家を買い、引っ越し後は渋谷のオフィスまで通勤するつもりでした。まさかコロナの影響で2020年3月以降、フルリモート勤務になるとは。想定外でした」
移住プレッシャーがない
山本さんは2016年から全国15カ所以上で子連れリモートワークをしてきた「ワーケーション」(workとvacationを組み合わせた造語)の実践者。「移住推進策」としてワーケーションを受け入れている自治体から定住の誘いを受けることも多かった中、軽井沢町だけは「移住してほしいというプレッシャーを受けなかった」と振り返ります。
結局、過度に定住を期待されない気楽さと、こどもを通わせたい小学校が建設されることが決め手となり、軽井沢町に移住を決めました。
「移住を求められたわけではなかったけれど、かといって移住者に冷たいわけでもない。僕たちが住んでいるあたりは住民同士がお互いに顔見知りで、家族構成や乗っている車もわかるくらいの『いい感じの田舎』であるところも心地いいんです」
軽井沢町の人口は約2万人。ところが夏休みには、実質的に5万人になるとも6万人になるとも言われています。これは、軽井沢町に住民票を置かずに別荘を所有している人たちの滞在が集中するため。別荘の数は町民の持ち家の約2.6倍もあり、別荘所有者が納める固定資産税が町の財政を支えているのです。
山本さんは、妻の由美さんとともに、別荘地の社員寮をリノベーションした複合テナント施設「レイクニュータウン軽井沢 nagaya」にカフェ「日々」をオープンさせました。地元の人や移住してきた人たちが訪れて思い思いの時間を過ごせるよう、大きな本棚を設えました。
「軽井沢には旧近衛文麿別荘(市村記念館)などの文化遺産や美術館が多くあり、文化と自然が融合しています。仕事をするときの思考空間として魅力的で、価値を感じます」
独特の「サロン文化」
山本さんと同じように、軽井沢の文化的な価値に惹かれたという人がいます。元ビームス上席執行役員の山﨑元さん。2007年に軽井沢町に移住してきました。
1906(明治39)年に開業した旧三笠ホテルや別荘に政財界のトップが滞在し、交流することで、軽井沢には独特の「サロン文化」が育まれてきました。山﨑さんは「その名残は今もある」と語ります。
「日本を動かす物事は7月に軽井沢で決まる、と言われてきたのもうなずけるほど、ここでは魅力的な人に日常的に会えることに驚きました。今の時代らしく、大学教授や実業家だけでなく、AIやデザインの専門家などクリエイティブな異業種の人たちも集うという点は、軽井沢の大きな魅力です」
この投稿をInstagramで見る
publicbar.nakakaruizawa(@publicbar.nakakaruizawa)がシェアした投稿
山﨑さんは、こうした人のつながりを生み出す場をつくろうとクラウドファンディングを実施し、中軽井沢の空き店舗をDIYした「PUBLIC BAR」を2021年にオープン。同時にNPO法人「織り成す軽井沢」を設立し、その発足メンバーには前出の山本さんも名を連ねました。
「長く地元に住んでいる人たち、自分たちのように移住してきた人たち、別荘を所有している人たち。誰もが気軽に集まり、みんなで30年後の軽井沢をもっと魅力的な町に育てるために活動していきたい」
NPOの設立にはそんな思いを込めたと山﨑さんは話します。
全員で輪になって座る
軽井沢町では今、庁舎改築周辺整備事業の見直しが進んでいます。築56年になり老朽化した役場庁舎を建て替える必要があるものの、総額110億円のコストの情報公開が不十分だとして、2023年2月にいったん事業は凍結され、仕切り直しとなったのです。
「これは庁舎というハコモノにとどまらない話。町の未来をみんなで考えたい」
山﨑さんは公募委員として基本方針の見直しに関わることとなり、「住民との対話の場」の運営と実行に名乗りを上げました。行政が一方的に説明したり、計画に反対する住民が行政を突き上げたりするような「住民説明会」ではなく、もっと前の基本方針に住民の意見を反映することができる段階から、意見を集める必要があると考えたからです。
それは移住者である山﨑さん自身が、軽井沢町の住民の多様性を実感しているからでもありました。
「地元の人と移住してきた人と別荘の人、それぞれバッジをつけて歩いているわけではないものの、やはり経済面や文化的な背景に違いがあり、心理的な壁もあります。ただ、違いがあってもいいと思っています。重要なのは、どんな属性の人であっても、この町を良くするために一緒に考えようとすることです」
このため対話の場では、座席の配置にこだわりました。行政と住民が向かい合うのではなく、行政も住民も輪になるようにして座ったのです。特定の人が長く話し続けたり他の人の意見を否定したりすることがないよう、山﨑さんやプロのファシリテーターが議論をリードしました。
とはいえ山﨑さんは「移住者がリードして町を改革しているという構図にはしたくない」と強調します。
「町の魅力を発信する移住者はとかく注目されがちですが、先祖代々ずっと住んでいる高齢者も、固定資産税で町に貢献している別荘オーナーも、黙々と深く町を愛し続けている人たち。みんな重要なステークホルダーだととらえています。もちろん、こどももです」
対話の場はすべての参加者の意見をフラットに聞く場として、小中学生の参加も呼びかけました。参加した小学4年生の女の子は、帰りの車の中で母親にこう言ったのだといいます。
「未来ってどうなるかよくわかんないけど、こうやって話し合ってつくるんだね」
ほかの地域でもできること
軽井沢は、その洗練された環境から「東京24区」「港区軽井沢」などと呼ばれることがあります。東京から1時間ほどの距離、「サロン文化」や人気店舗の出店、子育て世帯の移住増などは「恵まれた環境」だとして、過疎に悩むほかの地方都市からは「比べることはできない」という声も聞こえてきます。しかし、山﨑さんはきっぱりと言います。
「確かに恵まれてはいますが、それ以外に特殊なところがあるとは思いません。高等教育機関や産業が少ないため若者は転出していきますし、高齢化も進んでいます」
「結局、どの地域でも言えるのは、町を良くしていきたいという人たちの声を、分け隔てなく聞こうとする姿勢が大事だということだと思います。軽井沢はさまざまな属性の人たちが交じり合う土地だからこそ、声を届けづらい人やこどもや若者が、夢や希望を語れる町にしていきたいです」